2013年8月1日木曜日

水俣学

週刊金曜日の田中優子氏の「音と色」というエッセーから、紹介したい。原田正純とう名前からすぐに「水俣病」が出てくる人は少ない。原田さんが亡くなられた年におこなわれた対談集「原田正純の遺言」の紹介をしている。
水俣学の遺言
参院選の投票前に思い出さねばならない歴史がある。水俣だ。思い出さねばならない人がいる。昨年六月に亡くなった原田正純である。
亡くなった年におこなわれた対談集『原田正純の遺言』(朝日新聞西部本社編・岩波書店刊)が先日、ついに刊行された。これを読むと遺言とは過去の述懐ではなく、未来に向かって投げかけるものだと、つくづく思う。
「人類の歴史の中で、技術の大きな変換点というのは何かが起こる可能性がある。それが起こったときに、しわ寄せが来るのは、庶民ですね」「圧倒的に被害者のほうが弱いんですからね。中立ってことは『ほとんど何もせん』ってことですよね。『何もせん』てことは結果的に、加害者に加担しているわけです」「医学も必要だけれども、この人をどうやって救済するかというのは、きわめて政治的、行政的問題でしょう?」
原田正純の言葉は、そのまま選挙の争点である。
原発事故には被害者がいる。にもかかわらず脱原発を掲げず、柏崎をはじめとする複数の原発の再稼働を後押し、海外輸出までもくろむ自民党に投票することは、理由は何であれ加害者になることだ。
196070年代を知っている読者の皆さんは、あのころ、日本人として生きているだけで、朝鮮分断にもベトナム戦争にも水俣病にも加担していることに気付いたはずだ。民主主義国家においては「何もしない」ことを含め、日々の言動が政治的な立場の表明である。今回の選挙も、自分の人間としてのありようを決める行動なのだ。とりわけ参識院の役割はチェック機能であるから、自分自身を決めるという意味では、あいまいな態度の政治家を選ぶことはできない。
「水俣病の歴史は足尾鉱毒事件と同じで、100年も200年も続く事件だと思うんです」「ぼくの経験では、歴史を動かすのは多数派じゃないんです。ほんとうに志のある何人かですね」「これほど社会的な事件を、医学だけで解決できるわけがない・・・いろんな学問が自分たちの分野に水俣を映してみたときに何が見えるか・・・学問の枠を取っ払って、しかも、民衆も参加するような研究の仕方がいま、ものすごく必要なんです」―― これらの言葉には、今後長い時間かけて取り組むべき課題がつまっている。
水俣学は、足尾での谷中学を継承する目的で起こった。それを福島学につなげてゆく必要がある。しかし前者ふたつと違って、福島の被害者たちは「避難民」として別の地に移った。核と原子力が英語では同じであるように、避難民と難民は英語では同じだ。日本は「核難民」を出現させたのである。
では福島学は成り立たないのかといえばそうではない。チェルノブイリが象徴であるように、福島も世界の核問題の象徴になる。いや、そうさせねばならない。水俣学が水俣の住民だけではなく、世界中の文学者や写真家や医学者を巻き込んでいるように、福島学は日本人および、原発をもつ世界中の人々が担うべき課題だろう。原田正純は、水俣を次につなげろと言っている。
中立ってことは『ほとんど何もせん』ってことですよね。『何もせん』てことは結果的に、加害者に加担しているわけです。という言葉はするどい。

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