2014年8月28日木曜日

ウクライナ問題


毎日新聞のコラム「海外からの発信」は以前にも紹介したが、いい記事が多い。今回は「ウクライナ」問題である。
対蕗制裁は逆効果
トニー・ブレントン元駐ロシア英大使
ウクライナを巡るロシアと欧米の対立は、マレーシア機の撃墜でさらに深まった。欧米の制裁にもかかわらず、ロシアはウクライナ東部の親ロシア派武装集団を支援する姿勢を崩してていない。この状態は、緊張を高めるばかりで極めて危険だ。緊張緩和には、制裁強化ではなくロシアとの交渉しかないと思う。
まず、ロシアのクリミア半島編入について、ロシアの防衛的側面が強いことを強調しておきたい。ソ連崩壊(1991)後、ロシアは北大西洋条約機構(NATO)拡大の脅威にさらされてきた。エリツィン露大統領(当時)90年代、クリントン米大統領()から「NATOは拡大しない」との約束を得たと考えていた。
だから99年にポーランドなど(東欧3、カ国)NATOに加盟したとき、ロシアは裏切られたと感じた。ソ連崩壊後、NATOに加盟した国は計12カ国だ。NATO拡大が続く中でウクライナ危機は発生した。ロシアにとってウクライナは兄弟国だ。特にクリミア半島は54年までロシア領だった。これ以上のNATO拡大を回避するには、クリミア編入しかないとロシアは考えた。
ロシアはウクライナ東部にまで軍事侵攻する計画はないはずだ。ただ、親露派武装集団への支援を中止することもできない。親露派を見捨てることは、プーチン大統領にとって国内での威信を大きく低下させることになるためだ。そのため欧米が制裁を強化しても、ロシアは親霜派支援を変えていない。
マレーシア機撃墜で欧米が対露制裁を強化したのは理解できる。多くの自国民の命を奪われた西側諸国には、制裁強化以外の選択肢はなかった。ただ、制裁は逆効果であることも知るべきだ。制裁によってロシア国内では愛国主義が高まり、西側への敵意が強まった。ロシアを民主的な国にすることの妨げとなった。
ロシアには今、民主主義や法の支配など西側の価値観を知る中産層(ミドルクラス)の市民が約4000万人いる。たぶん、欧州で最も大きな中産層を持つ国だ。
長期的には西側諸国は、ロシアとの貿易を進め、教育や社会的な交流を深めるしかないだろう。自由や民主主義の重要性をロシア市民に知ってもらうことでロシアを変えることが得策だろう。
日本の対中国、対韓国への対応も同じような事が言える。自己満足だけの対応は外交とは言えないのである。

2014年8月26日火曜日

日本国憲法を世界憲章に


毎日新聞のオピニオン欄に「柳田邦男の深呼吸」がある。戦争と大量虐殺は「必然の倫理喪失」として以下のような事を書いている。一部紹介したい。
毎日新聞が折り込みとして発行している「ロシアNOW」の一面に「ロシア作家の戦争観」と題して、近現代の著名な作家たちが戦争というものをどのように見ていたか、その言説を著作の中から拾い上げて特集している。
それぞれの戦争観に戦争体験の有無や思想が投影されていて興味深いのだが、旧ソ連時代に反体制作家だったソルジェニーツィンは小説「煉獄のなかで」において、こう書いている。「いかなる戦争も解決にはならない。戦争は破滅だ。戦争が恐ろしいのは、火災や爆撃のためではなく、何よりも、自ら思考する者すべてを、愚鈍の必然的な暴力に追いやってしまうことだ・・・」
彼は第二次世界大戦で実戦を経験し、思想犯として監獄と強制収容所に放り込まれた経験も持つ。彼の小説はフィクションではなく、現実をリアルに描き出している。日常は考える力を持つ人間でも、戦場では「愚鈍」になり、その結果、「必然的な暴力」を振るう人間に変容してしまうという言説は、戦争について論じる時には、絶対に前提条件とすべきものだ。 中略
では、無防備の民間人の群衆を一斉射撃で殺りくするソ連軍兵士たちの心理や感情はどうだったのか。おそらく日常における正常な心理や感情とは異次元の状態になっていただろう。共産主義国家の兵士として、日本人であれば軍人だろうが民間人だろうが、掃討すべき資本主義・帝国主義の先兵として虫けら同様に踏み潰すべき存在に過ぎないのだ。
もはや一人一人が人生や家族のある人間なのだといった感情も理性も働いていない。私(一人称の命)でも、あなた(二人称の命)でも、彼・彼女(三人称の命)でもない単なる標的(無人称の存荏)でしかない倫理観の喪失。 中略
民族、宗教、イデオロギーの違いは、何とたやすく異民族、異教徒、対立思想の相手を無人称視してしまうことか。ソルジェニーツィンの言葉はまさに真実だ。人類の歴史とともに繰り返されてきたこの殺伐とした人間の暗部を超克するにはどうすればよいのか。紛争の解決手段としての武力を永久に放棄するという日本国憲法の思想を、何十年かけてでも世界憲章として普遍化すべく努力することを、今こそ日本の国是とすべきではないか。
一人称でもない、二人称でもない、三人称でもない単なる無人称の存在である命、なんたる倫理感の喪失。今のイスラム国の紛争はまさにこの状態だ。柳田氏はこれを打破するには日本国憲法の思想であると言っている。

2014年8月20日水曜日

七転び八起き


毎日新聞の野坂昭如氏の連載「七転び八起き」は「集団的自衛権、何故そんなに急ぐか」というタイトルである。一部紹介する。
安倍首相は集団的自衛権の行使容認を押し通した。これからの日本の在り方に関わる大転換を、わずかなメンバーによる閣議決定で決めるという暴挙に出た。昭和9年頃の大日本帝国陸軍の抱懐した考え方を彷彿とさせる。
いかなる事態でも国民の命と平和を守り抜く、その大きな責任があると、安倍首相は言う。時の権力が変われば解釈も変わる。その時々の首相が決めることになる。集団的自衛権に歯止めはない。安倍さんがあとどれくらい首相を続けられるか知らないが、数年足らずの「大きな責任」に過ぎず、あとは知ったこっちゃない。無責任すぎる。野党がいかにもだらしがなく、正面からその本質をあばく力がない。あるいは世間の側の無関心か。
いずれにしても集団的自衛権行使容認は、戦後の大きな曲がり角であろう。日本は戦後69年、集団的自衛権を結ばず戦争に巻き込まれなかった。何故今、そんなに急ぐのか。時代が違うといい、積極的平和主義だという。日本列島はユーラシア大陸の東に張りついたアメリカの楯。自他共に認めていたアメリカの世界の瞥察というポジションは変わりつつある。
アメリカにばかり頼っていられぬ。やられたら自前でやり返すだけの軍備を持つことが肝要。万全の備え抑止力によって平和と安全を確かにするという。言っておく、暖味な抑止力ほど危ないものはない。リスクを伴う。
軍事国家というものは基本的人権の抹殺を意味する。日本は安保に只乗りしているわけじゃない。沖縄という犠牲を払っている。集団的自衛権行使容認はハードな面のみならず、人の心、考え方を硬くする。
野党がだらしないと書かれているが、だらしなくない野党がいることは書かれていない。

2014年8月18日月曜日

幸せについてと国富論


NHKの「100分de名著」は時々紹介するが、今回は別冊「100分de名著」「幸せについて考えよう」という本を紹介する。その中で経済学の章がある。なんと強面の「浜矩子」氏がアダム・スミスの『国富論』から“幸せとは人の痛みがわかることである”と言っているのである。その章の「割り込みコラム」ということで、哲学者の西研氏が、アダム・スミスの『国富論』の「道徳的感情論」について、以下のように述べている。
哲学の立場から
アダム・スミスは『道徳感情論』で、道徳というのはシンパシー、つまり「共感」の働きから生まれてくると言いますね。ルソーの言う「あわれみ」とも響き.合っていますが、ここがアダム・スミスの優れたところだと思うのです。いわゆる新自由主義とはまったく根本精神がちがうということです。
ただ問題は、やはり自由な暮らしが一定程度進展すると、共感性が失われるという側面があると思います。いまの日本も、それがかなり深刻になってきている。ぼくが「確かめ合いを大事に」と強調しているのは、お互いの思いを伝え合うなかで、「そうか、この人はこんなふうに感じていたのか」と言葉で確かめることをしないと、やはり共感のおよぶ幅も狭くなっていくからです。なんとか共感の働きを活性化していかないと、いまはしんどい状況だと思います。
アダム・スミスの『国富論』が本来の意味から、間違った捉え方をされているのが残念である。

2014年8月14日木曜日

製薬企業を警戒せよ


今、山梨民医連では「製薬企業・MRとの関わり方」を議論しているが、以前にも紹介した「正常を救え」(アレン・フランセス)という本の中から、「製薬企業を警戒せよ」という部分を紹介する。
製薬企業を警戒せよ
製薬業界は人々を欺き導くために全力を尽くす。市場を拡大して金を稼ぐのにいそしみ、新たな顧客を開拓するためなら手段を選ばない。製薬企業は消費者や医師に偽りの情報を無節操にばらまいた罪でしょっちゅう罰金を科せられているが、それで大儲けできるからやめようとしない。
製薬企業の宣伝は、商品をさばくために巧妙に工夫されており、診断の網を広く張って、その商品を必要としない人たちまでしばしばとらえるので、特に警戒しなければならない。この罠にはまってはならないし、わが子が罠にはまらないようにしなくてはならない。口の達者な中古車セールスマンに向けるような健全な疑心を持って、薬の宣伝をあしらうべきだ。また、「医師に相談を」という文句にしたがえば、いんちき薬から守ってもらえると思ってはならない。かかりつけ医もまた、製薬企業のマーケティングの強大な力にはなはだしい影響を受けているかもしれない。
製薬企業のロゴ入りのメモ帳やペンやマグカップを使っていたり、無料サンプルを気前よくくれたりする医師には注意したほうがいい。疑い深くあるべきだが、何もかも疑うべきではない。正しく用いれば、薬はとても役に立つし、病気をなおしてくれることもある。
精神保健に効果があると謳う薬草療法は、薬よりなおのこと規制がゆるい。アメリカ食品医薬品局が監督していないので、薬草療法の推進者たちは、証拠による裏づけがまったくなくても、とんでもない効能を謳うことができるし、現に謳っている。そういう商品が本物で'安全で、有効かを知るすべはない。どれもぼったくりのまがい物だと考えるのが妥当だ。
インターネットは、精神科の診断の最良の情報源でもあり、最悪の情報源でもある。サイトは慎重に選び、内容を鵜呑みにしてはならない。どう見ても製薬企業のマーケティングの場であるサイトもあれば、サブリミナル効果のあるさりげないマーケティングによって見えにくい形で多大な影響を受けているサイトも多くある。それらの内容を信じる前に、二重三重のチェックをするべきだ。
製薬メーカーの新薬のパンフレット程、あてにならない物はない。この間の「ディオバン」「ブロプレス」問題は、氷山の一角である。

2014年8月12日火曜日

21世紀の資本論



 東洋経済に紹介されている、「21世紀の資本論」の著者トマ・ピケティー氏のインタビュー記事を紹介する。この本はまだ日本語に翻訳されていない。翻訳されたらぜひ読んでみたい。
本書では、三つの重要な点を指摘しています。①経済成長率よりも資本収益率が高くなり、資本を持つ者にさらに資本が蓄積していく傾向がある、②この不平等は世襲を通じて拡大する、③この不平等を是正するには、世界規模で資産への課税強化が必要だ、ということです。
不平等の是正には資産への累進課税だ
 ―不平等の維持を食い止めるためには、どんな政策が必要ですか。
理想的な方法は資産への累進課税だ。固定資産税など、すでに存在している税の枠組みを利用して課税強化すればよい。徴収方法は必ず累進的にして、課税の対象は資産・負債の差し引きを考慮した純資産で考えるべきだ。
「資産の集中を制限するとイノベーションが阻害される」という意見もあるが、それは誇張だ。ビル・ゲイツは30年前に米マイクロソフトを設立したが、現在の数百億㌦の資産を事にするために起業したわけではない。仮にそれが5億ドルだったとしでも、よい仕事をしたはずだ。
資産への累進課税は、ある程度までは国内で完結する。ただし最も大きなレベルの資産については、国際的な協調が必要になるだろう。
― もし資産への累進課税が実現したとすれば、富裕層はどう反応するでしょうか。
課税は寄付とは違う。民主主義に基づいて多数決で決まり、全員に影響する。富裕層が賛成する、しないは関係ない。民主杉の力によって富裕層に法の規則を与えることは可能だ。
たとえば5年前まで、厳格な守秘義務を持つスイスの銀行は顧客情報の開示などしないと誰もが思っていた。だが、米国が(脱税幇助だとして)制裁を加え、スイスの銀行はやり方をがらりと変えた。
この例が示すのは、明確な制裁をもってすれば前進があるということだ。この点について私は楽観的で、結局は民主主義が透明性を確保する方向に動かすと思っている。
民主的な仕組みを論じるに当たって、金融の不透明性は非常に問題だ。多くの資産が隠され富裕層が税を逃れているのに、サラリーマンや中間層、貧困層に増税を行うことはできないはずだ。
―このインタビュー前に、日本の経済成長率や人口動態などのデータをあらためて見ていただきましたが、日本についてはどうご覧になりますか。
日本のケースは私の主張を裏付ける端的なものだ。欧州と似ているが欧州よりも極端なケースになっている。1970年から2010年までの期間で見ると、国民所得に対する民問資本の割合は、戦後の約3倍から、現在では6-7倍になっている。この変化はイタリアや英国、フランスとかなり近い。経済成長がスローな国では資産の蓄積がより大きくなる。
日本社会で注目すべきもう一つのポイントは人口動態だ。人口が増えないどころか減少している。
― 人口減少社会は、どのような不平等を生むでしょうか。
人口が減る社会は、時代を経るにつれ大きな不平等を生むリスクを抱えている。子どもの数が少ない社会では、相続財産、つまり過去に蓄積された富の剖合が大きくなる。
夫婦に子どもが10人いるなら相続はそれほど重要ではない。1人が継ぐ財産の量は少ないからだ。子どもは自分で仕事をして、自分で富の蓄積をすることになる。
一万で、人口減少社会では前世代が形成した富をその後の世代が引き継ぐので、富の蓄積がどんどん進む。夫婦に子どもが1人しかいなければ、両親から財産を受け継ぐ。双方の親に富がなければ、どちらからも財産を継承できない。こうして、世襲によって受け継がれる不平等がとても大きくなる。仕事で成果を出しても報われないリスクも高まるということだ。
人口減少と不平等という視点は成程と思わせる。

 

2014年8月11日月曜日

NHKの危機


革新懇ニュースに元NHKディレクター池田恵理子氏のインタビューが載っている。以下、紹介する。
いま“NHKの危機”が心配されていますが、それは“国民の知る権利の危機”、“日本の民主主義の危機” というのが本質ではないでしょうか。
籾井勝人NHK会長の「政府が右ということを左というわけにはいかない」をはじめ、「慰安婦」をめぐる発言などは、公共放送、ジャーナリズムであることのあからさまな否定です。聞いていて恥ずかしくなります。
異常事態がうまれている
安倍首相が“お友達” をNHKの経営委員に送り込んだ結果ですから、事態は深刻です。このままではNHKは政府の広報機関になり下がってしまいます。昨年、大問題になった特定秘密保護法についても問題点を掘り下げるような番絶組放送はなく、「クローズアップ現代」で1回も取り上げませんでした。ニュースに安倍首相が登場する頻度が増し、国会答弁で窮した場面のカット編集が目立ちます。
こんなことが当たり前になるというのは異常事態です。籾井会長や極右の言動をくりかえす経営委員の罷免を求めるとともに、NHKそのものを見直さなければなりません。
私は1991年以後、日本軍「慰安婦」の番組を「ETV特集」などで計8本ほど作ってきました。NHKと「慰安婦」問題
しかし90年代後半、右派勢力の攻撃が強まるようになると、番組の企画は全く通らなくなりました。やっと実現した2001年の女性国際戦犯法廷の番組には、安倍首相(当時・官房副長官)らがNHKに圧力をかけて、ズタズタに改変させてしまいました。「慰安婦」問題は、今日の“NHKの危機”の象徴といえるのではないでしょうか。
「慰安婦」問題が顕在化したのは、91年に韓国の「慰安婦」被害者・金学順(キム・ハクスン)さんが名乗り出てからです。戦時中、日本軍と政府は国民に慰安所の存在を隠し通してメディアには報道管制を敷き、兵隊に向けては「慰安婦」は戦場に金もうけに来た売春婦だとしてきました。歴史的にも長い間、公娼制度を維持し、今でも売買春に寛容な日本社会であるだけに、「慰安婦」問題についてはメディアの責任も含めて、国民的に真剣な議論がいると思っています。
安倍首相は「慰安婦」の事実を歪め、否定しようとします。しかし、歴史は消せないし、世界の人びとは事実を知っています。国際社会では、「慰安婦」は性暴力の被害者であり、「慰安婦」制度は重大な戦争犯罪だということが常識になっています。歴史を学ぼうとしない安倍首相は、日本を「美しい国」にするのでなく、世界から軽蔑される国にしてしまうのです。
NHKの現場の人たちには、外に向かって少しでも声を出してほしいですね。私の在職中と比べても今のNHKは格段に管理強化されて、相互監視によって萎縮し、自由のない職場になっています。
しかし、こんな危機的な状況だからこそ何とか手を尽くして、内部からのまっとうな声を発信して欲しいです。こんな時こそ労働組令(日放労)にがんばってもらいたい。
あなたの声を
ひとりひとりの視聴者の皆さんにも声をあげてはしいです。1本の電話やメールの積み上げは力になります。NHKの中では必ず回覧されるし、影響大です。
私は先輩から、「1本の電話の背後には同じ思いの10人がいる。1通の手紙には100人がいると考えなさい」と教えられました。現場のディレクターや記者は厳しい批判から学び、励まされます。OBOGもがんばります。あきらめず、力を合わせていきましょう。
私達も電話、メールでどんどん意見をあげていきたい。

2014年8月9日土曜日

憲法九条は国際的宣言


 雑誌「世界」7月号で、作家の佐藤優氏が「反射し連動する世界を読み解く」と題して、ウクライナ、スコットランド、沖縄まで論じている。その中で、質問形式で「集団的自衛権」について述べている。一部紹介する。
質問:日本の政治の現状について、集団的自衛権、改憲含めてどうお考えですか。
憲法九条に関しては、三つの要素があると思っています。それは、 一つは、憲法九条の枠内では、自衛隊を持てない、国防軍を持てない、という法理上の議論です。二番目は、国際的宣言としての性格。憲法九条は、日本は一方的に戦争を放棄するとした国際的宣言なのです。三番目は、憲法九条にあらわされたところの平和国家として日本を特徴づけるという、日本の国柄に関する議論です。憲法の議論には、この三つの要素があるのですが、それがごちゃごちゃになっています。私が最も関心を持っているのは二番目の議論です。日本国憲法は、一九四五年七月二六日にポツダム宣言を受諾して九月二日にミズーリ号の上で敗戦文書に調印して、 一九四六年一月に日本国憲法の草案が発表され、憲法が採択されて発効、そして一九五二年のサンフランシスコ平和条約という、少なくともこの四つの国際合意がなされたプロセスにおける、国際的な宣言なのです。その「国際的な宣言である」ということをどうとらえるかという感覚が、今の政権にはほとんど稀薄であることに、私は危倶を抱いています。
それから、「押し付け憲法論」という議論がありますね。つまり、主体であるところの日本国民を無視して外国が憲法を押し付けたという議論です。では大日本帝国憲法はどうなのか。日本国憲法は占領下にあるとはいえ、一応議会の審査議会を経て採択された憲法です。ところが大日本帝国憲法は帝国議会を通していないのです。一方的に官僚が作った、空から降って来たもので、民意を全然反映していません。押し付け以外の何物でもない。一方外圧はかかっていて、作成には外国人が関与しています。そもそも、大日本帝国憲法を作る動機は関税自主権を回復することでしたが、そのためには治外法権撤廃が必要だ、そしてそのためには近代法がなければいけないと言われて、諸外国の圧力により作った憲法です。
となると、「押し付け憲法論」の主張の一番のポイントはGHQが作ったからけしからん、ということです。すなわち、あれは負け戦だった、勝ったやつが作ったからけしからん。つまりあの戦争に負けたという事実に対しておもしろくないという心情から来ている。そしてそれは三番目の日本人の心情や国柄、あるいは国体をどう表すかという議論につながります。そこを整理して議論する必要があります。
特に安倍さんの場合は三番目の要素が強く二番目の法理的な解釈についてはあまり踏み込まず、二番目の国際的宣言の要素を完全に無視している。その点で私は、憲法九条はいま触るべきではないし、九六条改正などという、行き先がわからない憲法改正はいけないと思います。
ただ私は憲法改正は必要だと思っています。どの点で必要か、それは沖縄問題です。沖縄を日本の中にとどめるためには、連邦制への転換をしないと無理だと思っています。護憲論というものが結局は数の上での民主主義にすぎないのだとしたら、沖縄はこのまま永続的に基地負担を担うのか。しかし沖縄はもはやそれに耐えることはしない、自主決定権の行使を始めるというところまで来ている。私は国家統合論者で、沖縄は日本の中にあった方がいいと思います。その観点からすると、憲法改正を視野に入れながら連邦制を考えないと、日本の国家体制を維持できない。ただ、その話を展開するにはまだ時期尚早です。現時点で憲法を触る必要はないし、集団的自衛権に踏み込む必要もない。国内と国外で違う説明をするのもやめた方がいいと考えています。
憲法九条は国際的宣言であるという性格を改めて認識したい。

2014年8月7日木曜日

里山資本主義


「里山資本主義」の著者、藻谷浩介さんが、日経で「豊かさを考え直す」として語っている。概要を紹介する。
お金は大事だが、『里山資本主義』はそれ以外の価値も大切にする。
高度成長期を経て豊かになった日本。公害もバブルも経験し、国としての青春期は過ぎた。成熟期を迎えても少子高齢化、将来の生活不安、生態系破壊の危機など日本は依然“課題先進社会”のまま。その処方箋として「里山資本主義」を提唱する。
「里山資本主義とは、『マネー資本主義』の対義語です。お金だけに支配されるのではなく、お金で計れない価値も大切にしよう、そんな意味です。里山には古井戸があり、雑木林があり、生態系が維持されていて、食料や水、燃料が、ほとんどただで手に入る。人と人の絆があり、恩送りや手間返し、物々交換のネットワークが生きている。日本人誰もがやっていたことです。お金が『メーンシステム』なのは間違いないですが、『サブシステム』も用意しておこうということです」
「都会で懸命に働き、食べ物はコンビニなどで買い、お金を多く持っている方が『田舎(=里山)で自給自足する人より偉い』と思い込む。一方で田舎の人は『自分たちは遅れている』と考える。それは違います。
田舎にはホームレスの人もいないし、スラムもない。残れる人しか残っていないからです。実は、田舎の方が競争は激しい。食べられない人が都会に出て、労働力として消費されているのです。
里山が注目される背景には、東日本大震災以降、日本人はお金の循環が崩壊するリスクに本能的に気付いているからではないか、と著書の中で指摘する。
「日本が輸入する石油などの化石燃料は、2001年には約85000億円でした。昨年は27兆円。10年と少しで約3倍になりました。一方で化石燃料をベースにいろいろな物を生産しマネーで回す仕組みは少し危うくなってきている。ではどうするか。原子力か、自然エネルギーか。ここに里山の存在意義があります。里山資本主義は、そう、安心の『種火』です。里山に自然エネルギーのシステムを持っておけば住む人は幸せだし、いざという時、創意工夫、技術革新を加え、位相を大転換し構造を変えられる可能性もある。水力なども入れれば、必要なエネルギーの3-4割は賄えます。バックアップシステムとともして『種火』を灯しておくことは必要です」
彼の言っていることは、「新自由主義」への、優しい言葉での警告である。

2014年8月5日火曜日

「7対1」


今年度4月の診療報酬改定は様々なところに影響を与えている。特に「7対1」の厳格化は病院間連携にも影響を与えている。東洋経済に川島みどり氏がコメントしている。
日本赤十字看諸大学名誉教授川嶋みどり
医療技術の進歩や在院日数の短縮化などで、看護の現場は超過密労働を強いられている。「71」の要件が厳格化されたことで看護師は一層追い込まれる。今年度の診療朝報酬定で、事実上71が看護配置の最高基準となってしまったが、高度急性期病棟では「51」が望ましい。
急性期では、看護師を増やすことなく平均在院日数を短くすることは不可能だ。慢性期でも71が最低限必要だ。
「特定行為に係る看護師の研修制度」が事実上決まり、看護師の業務拡大が具体的になりつつある。これは「ミニドクタ」を作るだけだ。本来の看護とは療養上の世話にあり、私はこの制度に一貫して反対している。診療の補助として看護師を使うより,看護と介護が連携し質の向上を図るべきだ。
患者に手を当て、不安を和らげながらケアする本来の看護を実現しようと、今年5月に宮城県東松島市に地域密着完結型ケア拠点「ハウス・て・あーて東松島」を開いた。高齢社会を見据え、看護師が中心となって新しい看護の在り方を模索しているところだ。
診療報酬改定は医療体系をも変化をさせる。それに対して受け身だけでは戦えない。このようなあらたな挑戦が必要とされているのではないかと思う。