2014年8月9日土曜日

憲法九条は国際的宣言


 雑誌「世界」7月号で、作家の佐藤優氏が「反射し連動する世界を読み解く」と題して、ウクライナ、スコットランド、沖縄まで論じている。その中で、質問形式で「集団的自衛権」について述べている。一部紹介する。
質問:日本の政治の現状について、集団的自衛権、改憲含めてどうお考えですか。
憲法九条に関しては、三つの要素があると思っています。それは、 一つは、憲法九条の枠内では、自衛隊を持てない、国防軍を持てない、という法理上の議論です。二番目は、国際的宣言としての性格。憲法九条は、日本は一方的に戦争を放棄するとした国際的宣言なのです。三番目は、憲法九条にあらわされたところの平和国家として日本を特徴づけるという、日本の国柄に関する議論です。憲法の議論には、この三つの要素があるのですが、それがごちゃごちゃになっています。私が最も関心を持っているのは二番目の議論です。日本国憲法は、一九四五年七月二六日にポツダム宣言を受諾して九月二日にミズーリ号の上で敗戦文書に調印して、 一九四六年一月に日本国憲法の草案が発表され、憲法が採択されて発効、そして一九五二年のサンフランシスコ平和条約という、少なくともこの四つの国際合意がなされたプロセスにおける、国際的な宣言なのです。その「国際的な宣言である」ということをどうとらえるかという感覚が、今の政権にはほとんど稀薄であることに、私は危倶を抱いています。
それから、「押し付け憲法論」という議論がありますね。つまり、主体であるところの日本国民を無視して外国が憲法を押し付けたという議論です。では大日本帝国憲法はどうなのか。日本国憲法は占領下にあるとはいえ、一応議会の審査議会を経て採択された憲法です。ところが大日本帝国憲法は帝国議会を通していないのです。一方的に官僚が作った、空から降って来たもので、民意を全然反映していません。押し付け以外の何物でもない。一方外圧はかかっていて、作成には外国人が関与しています。そもそも、大日本帝国憲法を作る動機は関税自主権を回復することでしたが、そのためには治外法権撤廃が必要だ、そしてそのためには近代法がなければいけないと言われて、諸外国の圧力により作った憲法です。
となると、「押し付け憲法論」の主張の一番のポイントはGHQが作ったからけしからん、ということです。すなわち、あれは負け戦だった、勝ったやつが作ったからけしからん。つまりあの戦争に負けたという事実に対しておもしろくないという心情から来ている。そしてそれは三番目の日本人の心情や国柄、あるいは国体をどう表すかという議論につながります。そこを整理して議論する必要があります。
特に安倍さんの場合は三番目の要素が強く二番目の法理的な解釈についてはあまり踏み込まず、二番目の国際的宣言の要素を完全に無視している。その点で私は、憲法九条はいま触るべきではないし、九六条改正などという、行き先がわからない憲法改正はいけないと思います。
ただ私は憲法改正は必要だと思っています。どの点で必要か、それは沖縄問題です。沖縄を日本の中にとどめるためには、連邦制への転換をしないと無理だと思っています。護憲論というものが結局は数の上での民主主義にすぎないのだとしたら、沖縄はこのまま永続的に基地負担を担うのか。しかし沖縄はもはやそれに耐えることはしない、自主決定権の行使を始めるというところまで来ている。私は国家統合論者で、沖縄は日本の中にあった方がいいと思います。その観点からすると、憲法改正を視野に入れながら連邦制を考えないと、日本の国家体制を維持できない。ただ、その話を展開するにはまだ時期尚早です。現時点で憲法を触る必要はないし、集団的自衛権に踏み込む必要もない。国内と国外で違う説明をするのもやめた方がいいと考えています。
憲法九条は国際的宣言であるという性格を改めて認識したい。

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