2014年10月31日金曜日

11月1日


111日は「本格焼酎・泡盛」の日だそうだ。沖縄に行ったら、必ず泡盛を飲むし、土産に買ってくる。新聞広告に記念日特集として焼酎のことが書かれていたので紹介する。
麦焼酎を育んだ風土と文化
歴史の島に伝わる伝統の味 浪漫あふれる壱岐焼酎
玄界沖にある壱岐は麦焼酎発祥の地といわれる。古くから中国・朝鮮半島との交易路にあたる壱岐には、焼酎文化を育む豊かな恵みと風土があった。良質な地下水と広い穀倉地。神道発祥の地といわれるだけに神社も多く、神事に欠かせないどぶろく文化が広く根付いていた。そんな壱岐に大陸から蒸留技術が伝えられたのは15世紀初頭のこと。この蒸留技術と島のどぶろく文化が出合い、麦焼酎が誕生する。
では、なぜ麦焼酎だったのか。壱岐では早くから農耕文化が栄え米も麦も豊富に取れた。米には命を育む栄養素があり甘みもある。しかし、米への課税は厳しく、島民の手元にはほとんど残らなかった。神へは貴重な米で造った清酒を神酒としてささげるが、庶民が飲む焼酎を米だけで造るのはぜいたく過ぎる。そこで、先人たちは麦を主原料にし、せめて麹だけでも米を使おうと考え、試行錯誤の結果、大麦3分の2、米麹3分の1という黄金比率にたどり着いた。この原料配分こそ、壱岐焼酎最大の特徴でもある。
「原料配分は同じでも、蔵や杜氏のくせ、麹の種類、水などいろいろなものの結集が、その蔵の焼酎です。焼酎のラベルには造り手の思いが凝縮されています。食品や化粧品を買う時のように、焼酎もぜひラベルを見て買っていただきたいですね」と、蔵元の山内賢明さん。
明治の初めに50軒あった蔵は現在7軒。時代の淘汰を経て選ばれた壱岐の7蔵は、舌の肥えた島民が納得する焼酎を造れば世界にも通じると、麦焼酎発祥の地としての誇りと伝統を守りながら、新たな挑戦を続けている。
壱岐の麦焼酎はよく飲むが、なぜ壱岐に麦焼酎なのかがよくわかった。宣伝広告も勉強になることがある。
以下、なぜ111日を焼酎、泡盛の日としたかの説明をネットから調査)
昭和62年9月、日本酒造組合中央会は11月1日を「本格焼酎&泡盛の日」に制定しました。毎年8~9月頃仕込みが始まり、その年の「本格焼酎ヌーボー」すなわち縁起のよい新酒が飲めるようになるのが11月1日前後だということから、その日に決まりました。また全国の土地神様が出雲大社に集まるため留守になるので10月を神無月といいますが、11月1日は神様がお国へ帰るめでたい日に当たり、本格焼酎が毎年新しい芽を出す節日としてふさわしいといえます。この日が「いい月いい日」と読めるのも偶然ではないような気がします。

2014年10月29日水曜日

腎臓移植


以前にも紹介したが、日経の連載小説「禁断のスカルペル」から、なまなましい所を紹介する。
じっさい、腎臓をやり取りする負担はドナーもレシピエントも、当人たちの思っている以上のものがある。
だから無償提供が定められている生体腎移植であっても、補償の心理が働く。兄弟間の移植の場合、内々で親から譲られた山一つ分の権利が移動していたいなどという話を耳にすることもある。むろん冗談めかした会話の中でだが・・・
いずれにしても現実は露骨で身も蓋もない。生体腎移植が叶わず、ネットワークで献腎移植の順番を待っていたのでは間に合わない--となると、外国に行って移植を強行する者も出てくる。いわゆる移植ツーリズムである。移植にまつわる法律の緩いフィリピンや中国などに行って、腎臓をお金で買うのである。倫理的に非常に問題だ。
なにしろその腎臓は貧者から安価に提供されたものばかりでなく、処刑された犯罪者のものだったり、噂だが反政府的宗教団体を弾圧して、信者から摘出した臓器が使われることもあるという。
だがツーリズムの患者にとって、そんなことは関係ない。金にもの言わせて移植を強行する。東子たちの悩みは、そうやって外国で移植を受けた患者が、日本に帰ってきて事後の面倒をみてくれと迫ることだった。カルテもなし、いつ、どこで、どう手術し、どんな抑制剤を用いたかも不明。犯罪と関わっているかも知れぬのに、彼らは平気でその尻拭いを東子たちに求めるのだ。
腎臓移植については、様々な問題がある。まだまだ人工透析の需要は大きい。

2014年10月27日月曜日

最善説経済論


毎日新聞、鹿島茂の「引用句辞典」を久々に紹介する。今回はヴォルテールの「カンディード」と言う本から次の言葉を引用している。
「個々の不幸は全体の幸福を作り出す。それゆえに、個々の不幸が多いほど、全ては善なのだ」
いずれにしろ、私が最も恐れるのは、安倍首相が経済ブレーンの言葉に愚直に従うことである。というのも『カンディード』で主人公のカンディードが家庭教師のパングロスの最善説を無批判に信じたのと「信の構造」がよく似ているからだ。
パングロスは「すべては善であると主張した者たちは愚かなことを言ったものだ。すべては最善の状態にあると言うべきであった」と主張し、個々の不幸がどれほど目の前にあっても、いちいち目くじらを立てるべきではないと言う。なぜなら、「個々の不幸は全体の幸福をつくり出す」はずなのだから。
このパングロスの最善説は、新自由派経済学者たちによってたくみに作り替えられて、いまや世界経済の主流になりつつある。間接税を増税し、法人減税を実施すれば、たとえ一時的に格差拡大という「不幸」に見舞われるかもしれないが、最終的には、「個々の不幸」は国家全体の幸福を生みだし、ひいては、世界経済を好調の波に乗せるという議論である。こうした思考法は、ある意味、不都合な真実を見てもまったく動じないという点で「最強」であり、むしろ「個々の不.幸が多ければ多いほど」、「すべては最善」という自身の理論の確かさを信じてしまうのだ。
だから、リスボン大地震に遭遇したのを皮切りに、ありとあらゆる不幸に見舞われたカンディードがついに最善説とは「うまくいっていないのに、すべては善だと言い張る血迷った熱病さ」と悟ったとしても、あいかわらず、パングロスは「個々の不幸は全体の幸福をつくり出す」と言い張ってやまないのである。
まさに、安倍はブレーンからこの言葉を紹介され、素直に信じているのかもしれない。

2014年10月24日金曜日

気になる日本語


日刊紙「赤旗」に映画字幕翻訳者の太田直子氏が「気になる日本語」というエッセイを連載しているので紹介する。
現在、東京国際映画祭のロシア映画翻訳で悶絶中です。上映日まで2週間しかないのに、映像と台本が届いたばかり。おかげで私的な予定はすべてキャンセルしました。
ここで質問です。右の「私的」をいま何と読みましたか?「してき」と読んでくださいましたよね。「わたしてき」ではなく。これが近年、字幕屋の悩みのひとつです。
ずいぶん前から、「わたし的にはこう思う」とか「俺的には無理」という言い方が増殖しています。「わたしはこう思う」「俺には無理」と言えばいいのに、「的」のクッションを条件反射的に挟む。
「お願いします」を「お願いできますか」と言い換える心理同様、よく言えば気遣い、悪く言えば責任逃れでしょうか。(「責任逃れです」と言い切れない私も同じ病)
国語辞典を見ると「的」は「そのものではないが、それに似た性質を持つ(中略)の意を表す」とあります。ズバリと言うことを避けているわけです。こういう気遣い(弱気)と、ヘイトスピーチのような容赦ない罵倒(強気)が、両極化していることが気になります。人々が両極に分かれているのではなく、同じ人が両方をやっていそうなことにぞっとするのです。「○○死ね、出て行け」と叫んでいる人が、身近な相手には気遣い全開の物言いをし、スマホなどでかわいらしい絵文字・顔文字・スタンプを駆使する。うっかり既読スルーすれば、ここぞとばかりにいじめられる。
なんという痛ましい綱渡りでしょう。それほどまでに他者は恐ろしく、瞥成しなければ私たちは生きていけないのでしょうか。下手な鉄砲も数打ちゃ当たると言いますが、むやみに気遣いばかりして疲れ果てるより、もっと的を絞ったほうが楽でしょうに。器用に立ち回ろうとするほどに、生きつらく不器用になっていくようです。
ともあれ、字幕屋が悩んでいるのは、もっと上っ面の話。先日、字幕原稿に「私的な会話」と書いたら、若い担当さんに「“わたしてきな会話” は、日本語として変では? 」と言われました。仰天しつつ、「してき」とルビをふるのも業腹なので、「では『内輪の会話』に修正します」と答える弱気な字幕屋。もう少し強気で抗戦すべきでしょうか。
私も筆者と全く同感。はっきりものを言うとバッシングされる社会、又、やたら自己主張ばかりする人、解決する方法を考えたい。

2014年10月21日火曜日

枕草子


NHKの「100分で名著」で清少納言の「枕草子」をやっている。解説は文学博士の山口仲美氏である。その中でマナーの欠ける人の事を述べているところがあるので紹介する。
マナーに欠ける人とは?
では、清少納言は具体的に、どんな人がマナーに欠け、どんな人がマナーにかなっていると言っているのでしょうか?まずはマナーに欠ける人の例から。「にくきもの」(二六段)という章段に集中して書かれています。「にくし」は、現代語の「にくい」ほど、相手に対する攻撃性を持っていません。現代では、「殺してやりたいほど憎い」のように、相手に何か害を与えてやりたいと思うような強い攻撃性があります。
平安時代の「にくし」は「気に入らない」「癪に障る」「いやだ」くらいの意味で自分自身の中にとどまる感情です。
「にくもの」の章段には、清少納言の規範意識や美意識から外れるものが「にくし」として列挙されているので、裏返すと、「そうあってはならない」という礼儀作法が説かれていることになるわけです。
さて、この章段から、マナーに欠ける人を抜き出してみましょう。後ろに現代語訳をつけておきます。
いそぐ事あるをりに来て、長言するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後に」とてもやりつべけれど、心はづかしき人、 いとにくくむつかし。
(急いでいる時にやって来て、長話をするお客。軽く扱ってもいい人なら「あとで」などと言って帰してしまえようが、気のおける立派な人の時は、そうもできず、ひどく憎らしく困ってしまう。)
いますよね、こういうお客。出かけようと思っている矢先に玄関に現れ、こちらの都合も考えないで長々と話す。こちらが落ち着かない様子を見せても、ちっとも察してくれないでどんどん腰を据えて話している。
今から1000年位前の「枕草子」書かれていることは、今とまったく変わらない。人の心は簡単には変わらないものなんだなあ。

2014年10月15日水曜日

傷心合戦と配慮要求


作家で愛知淑徳大準教授の諏訪哲史氏が毎日新聞の月刊誌「毎日夫人」に「うたかたの日々」を書いている。11月号を紹介する。
傷心合戦と配慮要求
僕のゼミ生は大学34年生で、みな成人だ。でも驚くほど幼い。まるで思春期の子供のようなナイーヴさだ。アニメやゲームやお絵かきやコスプレを好み、仲間とウェブ上へ画像を持ち寄って、ひたすら褒め合っている。「傷つけ合わない同盟」だ。
彼らを教えるのは実に難しい。論文や実作などを課す際、僕が彼らに与えるのは、①事前の助言、② 嘘のない講評③成果への賛辞、この三つだ。① は惜しみなく与え、③ は出来に応じて振る舞う。悩ましいのは②、つまり「ここはよくない」と指摘する段階だ。習作になら当然散見される欠点に触れず、適当に褒め流す怠惰は、学生への不義理でしかない。拙い作品のどこが拙いか、どう直すべきかを教えねばならない。怖いのはこの時だ。どれほど慎重な物言いをしても、幼い必死の作者たちは、僕の講評を聞くなり、「私の人間性への全的な否定」と取り、かつ「私のような人間はこの世に生きる価値なんかないんだ」と極論し、ことさらに嘆き、絶望しようとする。
純粋な子ほど、「批評」を「否定」としか捉えない。彼らには「称賛」だけが「肯定」なのだ。無暗に褒められてきた子供たち。素晴らしい、天才、といわれなければショックを受け、さらに「ここはよくない」といわれ驚く。彼らはこれを「怒られた」という。僕は怒ってなどいない。作品を離れた所では彼らを愛し肯定しているのに、僕の本音の指摘は「怒り」や「人格否定」と解釈されてしまう。
彼らの極論に従うなら、教えるは傷つけると同意になる。実はそれは一面の真理だ。なぜなら、この世で生きてゆくことそれ自体が、人と人とのたえまない傷つけ合いなのだから。子も親も教員も「分け隔てなく傷つけ合って」生きている。それを三者とも自分が一番つらいと思いたがる。一番傷つく者が一番配慮され、気遣われるからだ。
「傷心合戦」は子供に分がある。「子供より親が大事、と思いたい」(「桜桃」) と書いた太宰治は、子供の座をみなが争う社会の到来を見抜いていたのである。
作家であり、大学の先生という人の人を見る目は鋭い。参考にすべきと考える。

2014年10月14日火曜日

大人の流儀


 伊集院静「大人の流儀」の中に、「グリーン車に乗る馬鹿な若者へ」という随想を紹介する。
海外取材を終え、仙台駅に着いた時、“こまち号”に乗車していたのだが、連結した電車が“はやぶさ号”で、そこにグランクラスという普通より一万円近く高いプレミアムシートに座ってる連中が見えた。
―どんな連中が乗ってるんだ?
驚いた。
私より若い連中がふんぞり返って乗っている。
この頃、グリーン車でも若者が1人で乗っているのを見かける。     
―なぜこんな若い奴がグリーン車に乗ってるんだ? 盗みでもしたのか。
そういう若者は決って身に付けているものも妙だし、行動もおかしい。第一顔の相が良くない。稼ぎもないのに、こういうことが平然とできるのは金を渡した親もバカだが、やはり当人が無知なのだろう。オマエ達の座るところじゃないだろうが、分をわきまえんか。
世の中には若者が座ってしかるべき席があることもわからないのだろう。若者は自由席かデッキだろうよ。
若くしてこういうことを平気でできる奴は十中八、九、人生に失敗する。
ディズニー ランドかどこかの帰りの子供と若い父、母が乗っているのもある。親もバカなら子もバカである。金を払えば何でもオーケーと考える親が育てた子供は、それをしっかり受け止めて、さらにバカな人間になる。
大人の男の居る場所に子供を入れるナ。
ソウルへ行った時、地下鉄に乗った。ソウルの若者に席を譲られた。一度断ったが、ぜひと言われ座った。考えさせられた経験であった。

 

2014年10月10日金曜日

ヘイトスピーチ


革新懇ニュースに雨宮処凛さんが、「ヘイトスピーチと若者」題して随想を書いているので紹介する。
90年代後半、私は2年間、右翼団体に所属していた。当時の私はフリーター。
バブル崩壊後の不景気の中、バイト先では「時給が高い日本人より、時給が安い韓国人と取り替えたい」なんて言葉を投げかけられた。おそらく、戦後の日本で初めて「若者」が「外国人労働者化」した瞬間だった。
そんな中、私が彼らと自分を差別化するために発見したのが「日本人である」ということだった。日本にいながら国際競争の底辺で最低賃金競争をさせられている私には、そこしかすがる先がなかった。同時に、単身上京していた私は、どこにも帰属していなかった。家族、地域社会、学校、会社という中間団体の不在は、私を一気に「国家」に向かわせた。
あれから、十数年。社会は一層不安定化し、グローバル競争は熾烈を極め、雇用は破壊され、多くの「報われない」層を生み出している。そこそこ「報われている」層でも、多くの人が剥奪感を抱えている。自分は何か大いなるものを奪われている。それは安定した職や将来設計かもしれないし、「日本は経済大国である」という漠然とした肯定感かもしれない。だけど、何が悪いのか、誰のせいなのかわからない。そこで登場したのが「外国人」や「在日特権」というキーワードだ。
ヘイトスピーチは、決してあってはならないものだ。しかし、「何をどうやっても報われない層」を作り出したこの社会の歪みこそが、彼らを生み出したようにも思えるのだ。
「何をどうやっても報われない、安定した職もない、将来設計も描けない」若者が増えてきている。ノーベル物理学賞を日本人が受賞した。このような若者が多い日本は、将来、受賞者が出てくるのであろうか。

2014年10月8日水曜日

日本のうんちく


 大塚製薬が出している「大塚薬報」という月刊誌がある。時々、面白い連載が載っている。平岡裕太郎氏の「そうだったのか?!日本のうんちく」に「立ち上がる」という言葉に対しての違和感から始まって、最近の日本語全般について書かれている部分は面白いので紹介する。
誰もが平気で何の違和感も覚えずに使っている「立ち上がる」という言葉、気持ちが悪くて仕方がないのは私だけだろうか。パソコンの電源を入れ、プロジェクトを発足させ、懇話会が開かれると、どこかに支障があるのか。
私の記憶では、二十数年前、コンピューターを使う作業が一般的になり始めた頃からトこの言葉が本来の意味とは違った分野でいつの間にか市民権を得てきたような記憶があるが、こんないんちき臭い言葉に市民権などいらない。「言葉は時代と共に変容する」ことは否定しない。
言葉の変化を見ていれば、その時代感覚の一端を窺うことができる。その意味では言葉の変遷をたどるのは面白い。しかし、昨今の変遷は、ただ「雑」の一語に尽きる。加えて、使っている本人たちが本当の意味を分かっているのかどうか限りなく怪しい「スキーム」だの「コンテンツ」だのと、外来語にすぐかぶれる悪い癖に拍車がかかっている。よっぽど敏感肌? しかし、何でも横文字にすれば「らしく聞こえる」という幼稚な考えは、もういいんではないかね。終戦直後じゃないんだし。
無段階とも言えるほど表現の幅の広い日本語を母国語に持ちながら、使い分けが面倒だからと、それらしい意味の便利な一言にまとめてしまい、事足りたような「気分」に浸っている。語彙の貧困さは、高校生、百歩譲って大学生までならまだ許しもしよう。
しかし、いい年をした大人がしたり顔で変な横文字を使っているのを聞くと、「あんた、どこの人?」と言いたくなるばかりか、顔付きまで馬鹿に見えてくる。これでは、今の若い者の言葉遣いがなっとらん!と怒るわけにもいかない。
もっとも、若い者どころではなく、最近はテレビのアナウンサーさえも「ドラマ」の「マ」を尻上がりにしている。「ドラマ」は平板な発音でいいのに。
時代劇などでも、プロの俳優といえどもアクセントがメタメタの人が結構多い。例を挙げれば、相手を指す「そなた」という言葉。ほぼ9割近くが「ピアノソナタ」や「冬のソナタ」のような発音をしているが、これは「そなた」の「な」にアクセントがかかる。
こういう例は言い出せば切りがない。昨年の朝の連続ドラマに大正時代の大阪が舞台の作品があったが、大阪弁のアクセントも違えば、言葉の時代感覚も違っており、いつのどこを舞台にしたものか、最初の頃はとんと分からぬ始末だった。
最近は、パソコンが立ち上がる、プロジェクトが立ち上がるという言葉に私は違和感がない世代だが、変な横文字、イントネーションがおかしいことは全く同感である。まともな日本語も話せない、英語も話せいないでは、これからの日本が心配になってくる。話変わるが、モンゴルの関取は日本語がうまいですね。

2014年10月2日木曜日

地救人


「人にはどれだけの物が必要か」という本から示唆に富む文章を紹介する。
最後に結論をいます。科学はずいぶん進歩したようだけれども、私は社会科学から医学、動物学、植物学など、割合広くやって、この頃ハッキリ分った。人間には人間から遠いものほどよく分る。宇宙、火星、冥王星まで行くような宇宙船とか、日食がピッタリ当るとか、人間から遠いものを扱う学問は、もう信頼出来る。
ところが、学問は人間に近付いてくるほどインチキです。人間自身に関する学問は一番発達していない。哲学、医学の大半は信頼できない。心理学、教育学もデタラメ。学説や「常識」がコロコロ変る。だから、社会科学なんて言うな、と言うのです。社会や人間を扱う学問というのは、数量化・モデル化が出来ないけれども、面白いものをやる学問だということで、科学から外せばいいんだけれども、みんな、社会科学を数量化とかモデル化とかいうことでつまらなくするから、碌なことがない。人間に関する学問は、芸術と同じで、面白くて感動を与えれば証明は不必要です。
私はいまのような生き方で、公害の問題、地球資源の問題に対してはいろいろ実行し、多くの提案があるけれども、最後に、「地球は私のもの、私は地救()人だ」ということを、皆さん方の中の誰か一人でも真剣に考えて頂きたいと思います。
別に法律で規制するわけではない。みんなが勝手にそう思えばいい。思うことは互いにぶつからない。精神の世界は無限空間で、お互いにぶつからない。すべての人が「地球は私のものだ」と思えば、問題はずうっと解決する。それをもうちょっと体系化して、世界に広めることが、いまの日本が、進んだ科学の英知を集めた上で、やれることではないだろうか。こういう楽天的な立場で毎日暮しております。
「地救人」という言葉は面白い。学問は人間に近付いてくるほどインチキだというのは、成程と思う。