2014年10月10日金曜日

ヘイトスピーチ


革新懇ニュースに雨宮処凛さんが、「ヘイトスピーチと若者」題して随想を書いているので紹介する。
90年代後半、私は2年間、右翼団体に所属していた。当時の私はフリーター。
バブル崩壊後の不景気の中、バイト先では「時給が高い日本人より、時給が安い韓国人と取り替えたい」なんて言葉を投げかけられた。おそらく、戦後の日本で初めて「若者」が「外国人労働者化」した瞬間だった。
そんな中、私が彼らと自分を差別化するために発見したのが「日本人である」ということだった。日本にいながら国際競争の底辺で最低賃金競争をさせられている私には、そこしかすがる先がなかった。同時に、単身上京していた私は、どこにも帰属していなかった。家族、地域社会、学校、会社という中間団体の不在は、私を一気に「国家」に向かわせた。
あれから、十数年。社会は一層不安定化し、グローバル競争は熾烈を極め、雇用は破壊され、多くの「報われない」層を生み出している。そこそこ「報われている」層でも、多くの人が剥奪感を抱えている。自分は何か大いなるものを奪われている。それは安定した職や将来設計かもしれないし、「日本は経済大国である」という漠然とした肯定感かもしれない。だけど、何が悪いのか、誰のせいなのかわからない。そこで登場したのが「外国人」や「在日特権」というキーワードだ。
ヘイトスピーチは、決してあってはならないものだ。しかし、「何をどうやっても報われない層」を作り出したこの社会の歪みこそが、彼らを生み出したようにも思えるのだ。
「何をどうやっても報われない、安定した職もない、将来設計も描けない」若者が増えてきている。ノーベル物理学賞を日本人が受賞した。このような若者が多い日本は、将来、受賞者が出てくるのであろうか。

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