2014年10月24日金曜日

気になる日本語


日刊紙「赤旗」に映画字幕翻訳者の太田直子氏が「気になる日本語」というエッセイを連載しているので紹介する。
現在、東京国際映画祭のロシア映画翻訳で悶絶中です。上映日まで2週間しかないのに、映像と台本が届いたばかり。おかげで私的な予定はすべてキャンセルしました。
ここで質問です。右の「私的」をいま何と読みましたか?「してき」と読んでくださいましたよね。「わたしてき」ではなく。これが近年、字幕屋の悩みのひとつです。
ずいぶん前から、「わたし的にはこう思う」とか「俺的には無理」という言い方が増殖しています。「わたしはこう思う」「俺には無理」と言えばいいのに、「的」のクッションを条件反射的に挟む。
「お願いします」を「お願いできますか」と言い換える心理同様、よく言えば気遣い、悪く言えば責任逃れでしょうか。(「責任逃れです」と言い切れない私も同じ病)
国語辞典を見ると「的」は「そのものではないが、それに似た性質を持つ(中略)の意を表す」とあります。ズバリと言うことを避けているわけです。こういう気遣い(弱気)と、ヘイトスピーチのような容赦ない罵倒(強気)が、両極化していることが気になります。人々が両極に分かれているのではなく、同じ人が両方をやっていそうなことにぞっとするのです。「○○死ね、出て行け」と叫んでいる人が、身近な相手には気遣い全開の物言いをし、スマホなどでかわいらしい絵文字・顔文字・スタンプを駆使する。うっかり既読スルーすれば、ここぞとばかりにいじめられる。
なんという痛ましい綱渡りでしょう。それほどまでに他者は恐ろしく、瞥成しなければ私たちは生きていけないのでしょうか。下手な鉄砲も数打ちゃ当たると言いますが、むやみに気遣いばかりして疲れ果てるより、もっと的を絞ったほうが楽でしょうに。器用に立ち回ろうとするほどに、生きつらく不器用になっていくようです。
ともあれ、字幕屋が悩んでいるのは、もっと上っ面の話。先日、字幕原稿に「私的な会話」と書いたら、若い担当さんに「“わたしてきな会話” は、日本語として変では? 」と言われました。仰天しつつ、「してき」とルビをふるのも業腹なので、「では『内輪の会話』に修正します」と答える弱気な字幕屋。もう少し強気で抗戦すべきでしょうか。
私も筆者と全く同感。はっきりものを言うとバッシングされる社会、又、やたら自己主張ばかりする人、解決する方法を考えたい。

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