2014年10月8日水曜日

日本のうんちく


 大塚製薬が出している「大塚薬報」という月刊誌がある。時々、面白い連載が載っている。平岡裕太郎氏の「そうだったのか?!日本のうんちく」に「立ち上がる」という言葉に対しての違和感から始まって、最近の日本語全般について書かれている部分は面白いので紹介する。
誰もが平気で何の違和感も覚えずに使っている「立ち上がる」という言葉、気持ちが悪くて仕方がないのは私だけだろうか。パソコンの電源を入れ、プロジェクトを発足させ、懇話会が開かれると、どこかに支障があるのか。
私の記憶では、二十数年前、コンピューターを使う作業が一般的になり始めた頃からトこの言葉が本来の意味とは違った分野でいつの間にか市民権を得てきたような記憶があるが、こんないんちき臭い言葉に市民権などいらない。「言葉は時代と共に変容する」ことは否定しない。
言葉の変化を見ていれば、その時代感覚の一端を窺うことができる。その意味では言葉の変遷をたどるのは面白い。しかし、昨今の変遷は、ただ「雑」の一語に尽きる。加えて、使っている本人たちが本当の意味を分かっているのかどうか限りなく怪しい「スキーム」だの「コンテンツ」だのと、外来語にすぐかぶれる悪い癖に拍車がかかっている。よっぽど敏感肌? しかし、何でも横文字にすれば「らしく聞こえる」という幼稚な考えは、もういいんではないかね。終戦直後じゃないんだし。
無段階とも言えるほど表現の幅の広い日本語を母国語に持ちながら、使い分けが面倒だからと、それらしい意味の便利な一言にまとめてしまい、事足りたような「気分」に浸っている。語彙の貧困さは、高校生、百歩譲って大学生までならまだ許しもしよう。
しかし、いい年をした大人がしたり顔で変な横文字を使っているのを聞くと、「あんた、どこの人?」と言いたくなるばかりか、顔付きまで馬鹿に見えてくる。これでは、今の若い者の言葉遣いがなっとらん!と怒るわけにもいかない。
もっとも、若い者どころではなく、最近はテレビのアナウンサーさえも「ドラマ」の「マ」を尻上がりにしている。「ドラマ」は平板な発音でいいのに。
時代劇などでも、プロの俳優といえどもアクセントがメタメタの人が結構多い。例を挙げれば、相手を指す「そなた」という言葉。ほぼ9割近くが「ピアノソナタ」や「冬のソナタ」のような発音をしているが、これは「そなた」の「な」にアクセントがかかる。
こういう例は言い出せば切りがない。昨年の朝の連続ドラマに大正時代の大阪が舞台の作品があったが、大阪弁のアクセントも違えば、言葉の時代感覚も違っており、いつのどこを舞台にしたものか、最初の頃はとんと分からぬ始末だった。
最近は、パソコンが立ち上がる、プロジェクトが立ち上がるという言葉に私は違和感がない世代だが、変な横文字、イントネーションがおかしいことは全く同感である。まともな日本語も話せない、英語も話せいないでは、これからの日本が心配になってくる。話変わるが、モンゴルの関取は日本語がうまいですね。

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