2014年10月29日水曜日

腎臓移植


以前にも紹介したが、日経の連載小説「禁断のスカルペル」から、なまなましい所を紹介する。
じっさい、腎臓をやり取りする負担はドナーもレシピエントも、当人たちの思っている以上のものがある。
だから無償提供が定められている生体腎移植であっても、補償の心理が働く。兄弟間の移植の場合、内々で親から譲られた山一つ分の権利が移動していたいなどという話を耳にすることもある。むろん冗談めかした会話の中でだが・・・
いずれにしても現実は露骨で身も蓋もない。生体腎移植が叶わず、ネットワークで献腎移植の順番を待っていたのでは間に合わない--となると、外国に行って移植を強行する者も出てくる。いわゆる移植ツーリズムである。移植にまつわる法律の緩いフィリピンや中国などに行って、腎臓をお金で買うのである。倫理的に非常に問題だ。
なにしろその腎臓は貧者から安価に提供されたものばかりでなく、処刑された犯罪者のものだったり、噂だが反政府的宗教団体を弾圧して、信者から摘出した臓器が使われることもあるという。
だがツーリズムの患者にとって、そんなことは関係ない。金にもの言わせて移植を強行する。東子たちの悩みは、そうやって外国で移植を受けた患者が、日本に帰ってきて事後の面倒をみてくれと迫ることだった。カルテもなし、いつ、どこで、どう手術し、どんな抑制剤を用いたかも不明。犯罪と関わっているかも知れぬのに、彼らは平気でその尻拭いを東子たちに求めるのだ。
腎臓移植については、様々な問題がある。まだまだ人工透析の需要は大きい。

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