2011年8月31日水曜日

放射能とケガレ

精神科医の斉藤環氏は「時代の風」というコラムで「放射能とケガレ」というタイトルで以下のことを言っている。以下概要を記す。

岩手県陸前高田市の高田松原と言えば、かつては「日本百景」にも選ばれた美しい海岸だ。私も子供時代に、何度か遊んだことがある。その見事な松並木が、東日本大震災の津波でなぎ倒された。この松を巡って繰り広げられた一連のドタバタは、いまだ記憶に新しい。岩手出身の私にとっては、あの美しい松たちがこうむった悲哀を、とても人ごとに思えなかった。
経緯をかいつまんで振り返ってみよう。
今年6月、大分市の美術家の発案で、高田松原の松で作った薪に犠牲者の名前などを書き、京都市の「五山送り火」で燃やすという計画が立てられた。しかし市民から被ばくを恐れる声が相次いだため、計画は中止となった。集められた薪から放射性物質は検出されなかったにもかかわらず、である。
ところが今度は京都市などに「風評被害を助長する」などの2000件以上もの抗議が殺到した。そこで、もう一度新たに薪を取り寄せたところ、今度は薪の表皮から放射性セシウムが検出されてしまった。
これで計画は再度中止となり、門川大作・京都市長は記者会見で謝罪した。陸前高田の戸羽太市長は、「もっと慎重にやっていただきたかった」と京都市に対して苦言を呈している。事件はさまざまな反響を呼んだ。もっとも多かったのは京都市の対応に対する批判だ。ただし、この一事をもって京都市民を排他的であるとか差別的であるとか断ずることは、同じ過ちを繰り返すことになる。
ただ、被災地の側に立つ者として、中止の判断を下した人々には一言言っておきたい。被災地の「こころ」にかかわるものには、善意を発揮した「責任」が生ずる。覚悟と根気なしに「こころ」にかかわるべきではない。後腐れのない善意を発揮したい人たち向けには、「義援金」という方法がある。すでに指摘されているように、この一連の経緯からは、いまや「放射能」が一種の「ケガレ」として受けとめられていることがよくわかる。放射能が測定されていないにもかかわらず、不安を訴える人々がいたこと。送り火をおこなう僧侶たち以上に、一般市民が過敏な反応を示したこと。これらの点にも、「ケガレ」の問題がみてとれる。日本神話起源の「ケガレ」感覚は、仏教以上に、われわれ日常生活に深く根を下ろしているからだ。
もっとも震災直後からその兆候はあった。フクシマ″差別である。タクシーの乗車拒否、ホテルでの宿泊拒否、福島からの転校生へのいじめ、等々の問題である。放射能が「ケガレ」と思われているもうひとつの根拠として、どうやら「キヨメ」が有効とみなされているらしい、ということもある。
放射能を「ケガレ」ととらえてはいけない。なぜか。差別を助長するから?それだけではない。物理量が測定できる放射性物質まで、実体なき空虚と扱ってしまいかねないからだ。不可視で不吉な放射能を「ケガレ」に読み替えたくなる気持ちはわかる。しかしその姿勢は、放射能までも、あたかも勝手に発生した自然現象であるかのような理解をうながしてしまう。本来「ケガレ」とはそうしたものなのだから。人間の罪や責任を、まるで自然現象のようにとらえる感性は、つらい経験を受け流すうえでは役にたつ。しかし「原発」は決して「ケガレ」ではない。その「罪」と「怒り」とは、キヨメではなく「補償」と「対策」によって癒されるほかはないのだ。
考えさせられる文章である。私自身、こんなに深く福島問題を考えたことはないが、彼が言っている「後腐れのない善意には義捐金という方法がある」と言っていることに同感である。義捐金以外の方法で、善意を示すには、どんな方法であろうとも行違い、すれ違いがあると覚悟しておいた方がいい。

2011年8月26日金曜日

浅井基文

浅井基文氏の「ヒロシマと広島」(かもがわ出版1890円)という決して売れそうにない、字ばかりで読みづらい本を読んだ。最近、表舞台にあまり出てこないと思っていたら、彼は20054月より200113月まで広島市立大学の「広島平和研究所」の所長をしていたのであった。彼が、そこを辞めるにあたって書いた本が「ヒロシマと広島」である。その中で、彼の平和感、憲法観が端的に現れているのが、以下の文章である。

 (日本国憲法)について
私は、人間の尊厳及び人権・民主(デモクラシー)そして「力によらない」平和観を体現した日本国憲法は、広島・長崎の原爆体験なくしては誕生していなかったのではないかと考えます。何故にこれほど徹底した平和観を備えるに至ったかを解く一つの重要なカギは正に原爆体験です。そのことは、日本国憲法を国連憲章と比較することによって直ちに明らかになります。
国連憲章も恒久平和の実現を目指す点では憲法と同じ立場です。また、戦争を否定する立場においても両者は共通しています。しかし、前にも述べましたように、国連憲章は自衛のための軍事行動は肯定しています(51)。しかも19458月の原爆投下前に作成された憲章の成立過程が明らかにするように、第二次世界大戦の中ですでに明らかになっていた米ソ対立を背景にして、軍事力行使を正当化する法的根拠を確保するためにこの条項が設けられたのです。つまり、国連憲章を根底において支配するのは「力による」平和観だったということです。しかし、原爆投下後に作成された憲法は、核兵器のすさまじい破壊力の前では、「政治の継続」としての戦争がもはやいかなる意味でも正当化されなくなったという痛切な認識に基づいているのです。原爆投下前に作られた国連憲章とその後に作られた憲法、つまり原爆投下が両者の拠って立つ平和観の決定的な分岐点なのです。
周知のとおり、憲法がたどった歴史はきわめて厳しいものでした。憲法とは両立し得ない「力による」平和観に立脚する日米安保条約を独立と引き替えに選択した戦後保守政治は、敗戦後のしばらくの間は国民の間に強かった反戦平和の感情を無視するわけにはいかず、解釈改憲という手法に訴えて違憲状態の既成事実化を積み重ねてきました。その結果、多くの国民の間に「憲法も安保も」という自己矛盾以外の何ものでもない平和観が定着することになりました。
21世紀の世界に向き合う上で、私たちはどちらの平和観に立つのか。それが今私たち主権者に突きつけられている最重要の選択課題です。アメリカ及び日本の保守政治(政官財)は、日本がアメリカの忠実な同盟国としてアメリカが行う戦争に全面的に加担する国になることを望んでいます。
そのためには9条改憲が不可欠の要請になります。彼らの立場からすれば、「憲法も安保も」という国民の中途半端な平和観は受け入れられないのです。しかし、私が述べてきた21世紀が求める客観的な方向は、「力によらない」平和観に立つ世界の実現です。憲法は正に、日本がそういう世界の実現のために先頭に立つ指針を明確に提起しているのです。人類史の方向が私たちに求めるのは、「憲法も安保も」という暖味な平和観に安住することではなく、決然として平和憲法の側に立つことです。

彼は又、この本の中で、人間の尊厳について詳しく書いています。その動機の一つとして、彼の孫娘が世界に十数例しか報告されていないと言う病気で、障害を持って生まれてきたことがあります。それゆえ彼の言葉には説得力があります。

2011年8月25日木曜日

マルサスの「人口論」

毎日新聞の「引用句辞典」(鹿島茂)は示唆に富む記事が多いので、愛読している。今回は「マルサス」の人口論という本から、興味深い提案をしている。マルサスは本の中で、第一に「食料は人間の生存にとって不可欠である」第二に「男女間の性欲は必然であり、ほぼ現状のまま将来も推移する。と言っている。

第一原理はそのままだが、「男女間の性欲は必然であり、ほぼ現状のまま将来も存続する」という第二原理は、マルサスの人間観察が甘かったことを物語っているのである。つまり、衣食足りて、社会が豊かになった段階ではたしかにマルサスの言った通り、人口は増大するのだが、社会がそこからさらに豊かになり、衣食が足りすぎると、「男女間の性欲」は必然ではなくなり、人口は減少に向かうということである。
では、社会が豊かになりすぎると、なぜ「男女間の性欲」は必然ではなくなってしまうのだろうか?男女とも高学歴化することによる。高学歴化は、中産階級が富裕化レースに競り勝とうとして学歴獲得に乗り出すことに始まるが、この傾向が下層中産階級にまで波及すると、事態は決定的な段階を迎える。一般的に、大学生でいる間、人はセックスはしても結婚は考えないものである。だから、大学への進学率が上がれば上がるほど、結婚年齢は後ろ倒しにされ、理の当然として、少子化現象が発生する。さらに、大学を出たのなら、そこで得た知識を生かしてバリバリ働きたいと思うのが人情である。 
必然的に、その間、結婚と子づくりは延期される。もっとも、男子の大学進学率だけが上がっている段階では、合計特殊出生率の落ち込み幅は大きくはない。だが、高学歴化が女性にまで及ぶと、少子化のカーブは急勾配になる。女性が大学を出てフルタイム労働に従事し、出世競争で男性に競り勝ち、なおかつ三人以上の子をもうけるということは、たとえ将来、出産・子育て状況が劇的に改善されたとしても困難だからである。
最高に頑張っても二人が限度だろう。したがって、女性の高学歴化と社会進出が止まらない限り、民主党がマニフェストを貫徹して子ども手当の全面実施に踏み切っていたとしても、出生率が劇的に回復することはありえなかったにちがいない。
しかし、アフガニスタンのタリバーンのように女性の高学歴化と社会進出を「禁止」するということは社会の進化を止めるに等しい不可能事である。となると、残るはこれしかない。大学にも保育園を併設し、学生結婚、院生結婚をどんどん奨励することである。 
子どものいる大学生・院生には手厚い奨学金を支給する。その上で、企業には子どものいる大学生から優先的に採用することを法律で義務づける。就活の前に婚活、さらには「子活」となること必定である。
言っていることはかなり乱暴であるが、面白い提案ではある。

2011年8月22日月曜日

カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロの経歴を簡単に記すと以下である。彼の本を4冊ほど読んだ。最初は極めて読みにくい。英語を翻訳したものである。訳者の問題かとおもったが、これは作家の書き方の問題と、イギリス人の思考回路の問題であると感じた。しかし、我慢して読んでいると、だんだんとスピードがあがってきて、すらすらと読めるようになる。そして、イギリス人の思考回路もなんとなくわかるようになるのだ。

長崎県長崎市で生まれる。1960年、5歳の時に海洋学者の父親が北海で油田調査をすることになり、一家でサリー州ギルドフォードに移住、現地の小学校・グラマースクールに通う。
1978ケント大学英文学科、1980にはイースト・アングリア大学大学院創作学科を卒業する。当初はミュージシャンを目指すも、文学者に進路を転じた。
1982年、イギリスに帰化する。1986年にイギリス人ローナ・アン・マクドゥーガルと結婚する。
両親とも日本人で、本人も成人するまで日本国籍であったが、幼年期に渡英しており、日本語はほとんど話すことができないという。1990年のインタビューでは「もし偽名で作品を書いて、表紙に別人の写真を載せれば『日本の作家を思わせる』などという読者は誰もいないだろう」と述べている

代表作「日の名残り」の概略は以下である。
物語は1956の「現在」と1920年代から1930年代にかけての回想シーンを往復しつつ進められる。
第二次世界大戦が終わって数年が経った「現在」、執事スティーブンスは新しい主人ファラディ氏の勧めでイギリス西岸のクリーヴトンへと小旅行に出かける。前の主人ダーリントン卿の死後、親族の誰も彼の屋敷ダーリントンホールを受け継ごうとしなかったのをアメリカ人の富豪ファラディ氏が買い取ったのだが、ダーリントンホールでは深刻なスタッフ不足を抱えていた。ダーリントン卿亡き後、屋敷がファラディ氏に売り渡される際に熟練のスタッフたちが辞めていったためだった。人手不足に悩むスティーブンスのもとに、かつてダーリントンホールでともに働いていたベン夫人から手紙が届く。ベン夫人からの手紙には現在の悩みとともに、昔を懐かしむ言葉が書かれていた。ベン夫人に職場復帰してもらうことができれば、人手不足が解決すると考えたスティーブンスは、彼女に会うために、ファラディ氏の勧めに従い、旅に出ることを思い立つ。しかしながら彼にはもうひとつ解決せねばならぬ問題があった。彼のもうひとつの問題、それは彼女がベン夫人ではなく旧姓のケントンと呼ばれていた時代からのものだった。旅の道すがら、スティーブンスはダーリントン卿がまだ健在で、ミス・ケントンとともに屋敷を切り盛りしていた時代を思い出していた。
今は過去となってしまった時代、スティーブンスが心から敬愛する主人・ダーリントン卿は、ヨーロッパが再び第一次世界大戦のような惨禍を見ることがないように、戦後ヴェルサイユ条約の過酷な条件で経済的に混乱したドイツを救おうと、ドイツ政府とフランス政府・イギリス政府を宥和させるべく奔走していた。やがて、ダーリントンホールでは秘密裡に国際的な会合が繰り返されるようになるが、次第にダーリントン卿はナチス・ドイツによる対イギリス工作に巻き込まれていく。
再び1956年。ベン夫人と再会を済ませたスティーブンスは、不遇のうちに世を去ったかつての主人や失われつつある伝統に思いを馳せ、涙を流すが、やがて前向きに現在の主人に仕えるべく決意を新たにする。屋敷へ戻ったら手始めに、アメリカ人であるファラディ氏を笑わせるようなジョークを練習しよう、と。
「人生が思い通りに行かないからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても,それは詮無いことです。私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様の手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありませんか。」
 最後の執事の言葉は味わいのあることばである。
 どんな難解な本でも、最後まで読み通すと、何かが得られる。ある国を理解しようとする一つの手段として、その国の好きな作家の本をすべて読んでみることは意外と効果的である。

2011年8月17日水曜日

原爆と原発

民医連医療9月号畑田重夫氏の「メディアへの眼」第5回に「原爆と原発」と題した中に以下のような文章がある。

人々は言います。放射能関係の学者・研究者の使う専門用語には難しい言葉が多くてどうもよくわからないと。だからというわけでもないのですが、その分野以外の人の文章や発言の方がわかりやすくて説得力がある場合がしばしばあるものです。いま内外で最大の注目を集めている原発について、一人は評論家、一人は作家の発言が面白いと思いましたので、それを手がかりに考えてみたいと思います。
「九条の会」アピールの9人の知性人の一人でもあり、「知の巨人」とも言われていた加藤周一さん(故人)19991020日付「朝日新聞」夕刊の「夕陽妄語」のなかで次のように書いています。
「核爆弾も原子力発電も、核分裂の連鎖反応から生じる。連鎖反応が加速されれば爆発して爆弾となり、原子炉のなかで制御されて臨界状態が続けば発電所の熱源となる。比喰的にいえば原子爆弾とは制御機構の故障した発電所のようなものである」「核兵器と原子力発電は、一方が『戦争』に属し、他方が平和』に属するという意味では、かぎりなく遠い。しかしどちらも核分裂の結果であるという意味ではきわめて近い」
つまり、加藤さんの言いたいことは、原爆にしろ、原発にしろ、放射能をまきちらすという点では違いはないということなのです。
それをさらにわかりやすく簡潔に表現したのが、作家の池津夏樹さんです。彼は201167日付「朝日新聞」夕刊紙上で、「原発とは緩慢に爆発する原爆である」と一般国民にも理解されやすい表現で、原爆と原発の関係を明らかにしました。原爆と原発が、放射能をこの地球上にばらまき、環境と人体・人命にマイナスの影響を及ぼすという点で共通点をもつとすれば、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマは、私たち日本国民にどのような責任や課題を提起しているかは、おのずから明らかだということになります。
「ヒロシマのある国で」と言う歌があるが、今後は「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマのあるまちで」にならざるを得ない。

2011年8月15日月曜日

人間と国家

 坂本義和氏の「人間と国家」(ある政治学徒の回想)上下(岩波新書)を購入した。なぜ読む気になったかと言えば、本の帯に「なぜ国家への不信感を抱き続けてきたのか?」と書いてあったからだ。坂本義和氏をよく知っていたわけではない。本というものは、こんなちょっとしたきっかけで読むことが多い。それで、いい本にめぐり会うことができれば儲けものだ。これは儲けものの本であった。中の前書きの一部を紹介しよう。

個人が人を殺せば、重い罪となります。しかし、国家の戦争で、できるだけ多数の敵を殺せば、愛国者として賞勲を受けられる。これが国家の歴史とともに、古くから当然のこととして繰り返されてきた事実なのです。
今日では、二〇世紀に行われた戦争、たとえば、第一次・第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻といった、国家と国家の間の戦争の時代は終わったとよく言われます。しかし、国家の名のもとに、ひとを殺すことが正当化されることは、過去のものとなったわけではありません。二〇〇一年の九・一一事件以降の対テロ戦争という「新しい戦争」において、当時のブッシュ大統領は、その演説で「やつらを捕まえるか、殺すかだ」と何度も述べています。
私は、この言葉を耳にして、強い衝撃を受けました。「ひとを殺すなかれ」は、モーゼの十戒以来、西洋の、そしておそらくは世界の多くの社会で、最も基本的な規範となってきたはずです。しかし、二一世紀のアメリカの大統領が、公然と「殺してしまえ」とテレビ演説で言っても、アメリカのメディアや国民の多くは、慄然とするそぶりさえ見せなかった。それどころか、「プッシュの戦争」に距離を置いたオバマ大統領が、丸腰のオサマビンラディンの殺害を公表した時、ホワイトハウスの前では、群集が熱狂的な歓声をあげたのでした。オバマ大統領は、ビンラディン「容疑者」を国際裁判にもかけずに殺したことを「正義が執行された」と誇ったのです。こうした公然たる殺人の誇示と支持、それが私にとって衝撃だったのです。
これは、戦争だけの問題ではありません。最近の日本では、なぜ殺人にまで至ったのか、「説明不能」の事件がふえています。この現実に関連して、「なぜ、ひとを殺してはならないのか」という問いが、メディアで論じられたことがありました。しかし、結局、説得力のある論証は、不十分に終わったように思われます。こうした後味の悪い結果になったのは何故でしょうか。
それは、問題の立て方自体に問題があるからだと、私は考えます。「なぜ、ひとを殺してはならないか」とい問いは、論理的な証明で答えられる、また答えるべき問題ではありません。それは、「人間は誰もが同じく生命をもった人間だという感覚」、「他者の生命に対する畏敬の感覚」という、論理や論証よりも根源的な感性にかかわることなのです。それは「人の死」が自然災害の結果である場合も同じです。いわんや、人間が「ひとを殺す」とき、人は、その行為で、自分自身のなかで、何か、かけがえのないものを殺しているのではないでしょうか。それは、戦場から帰った人が、心のどこかで知っているに違いないことだと思います。
戦争を互いに「正義」の名のもとに正当化するのをやめたヨーロッパ共同体の国々は、死刑を廃止しています。死刑を廃止している国は他にも多数ありますが、中でも注目すべき点は、二〇世紀に二度も「世界大戦」を惹き起こして世界を戦争に巻き込み、おびただしい人命を犠牲にしたヨーロッパの国家が死刑を否認しているということです。それは、国家が「正義」の名のもとに、戦争で人を殺すことと、国家が「正義」の名のもとに、人を死刑に処することとには、相通じるものがあるということなのです。
他方、日本は「先進国の中で、死刑賛成者が突出して多いのは何故でしょうか。日本国民は、それほど国家の「正義」を信じているのでしょうか。確かに国家の基本的な役割は、人間の社会の秩序やルールを維持することにあります。しかし、社会の秩序やルールは、国家だけによって維持されているのではありません。道徳、宗教、慣習、人情、共感など、広く人間の共生にかかわる社会の文化によってつくられ、守られています。言い換えれば、国家は人間の社会の一部であり、社会が国家の一部ではありません。
ところが、国家が社会全体に喰いこみ、国家が社会を併呑しょうとすることがあります。
私は、幼い時から、こうした「国家」になじめず、国家への不信感を消すことができずに今日に至っています。アジア太平洋戦争中、「祖国」とか「故国」とかいう言葉が日常的に使われ、欧米でも「ファーザーランド、マザーランド」といった情緒的な用例が少なくないのですが、私には、そうした「祖国」はありません。なぜそうなのか。それを自分なりに振り返ったのが本書です。
このなかの「なぜ人を殺していけないのか」の部分は以前紹介した宗教家の言葉と一致している。又、彼がどうして、こうした考えも持つに至ったのかを考えると、彼の生い立ち、子供の頃、上海で何年か過ごしていたことが関係していると感じた。
幅広い考えを持つために、一定期間外国で過ごすことはいいことである。

2011年8月12日金曜日

規制緩和という悪夢

 今ほど「内橋克人」氏の本が読まれなければいけない時はないと思う。10年程前に購入して読んだ「規制緩和という悪夢」という本を、本棚から取り出して読み直してみた。その中で以下の文章を紹介する。

ドイツの童話作家ミヒヤエル・エンデは、死の1年半前のインタビューでこんなことを述べている。「重要なポイントは、パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つの異なる種類のお金であるということです」
このエンデの問いかけは、今日の私たちの世界が直面している問題を理解するうえで非常に重要な示唆を与える。すなわち、マネーの自己増殖における利益極大化のみを唯一至上の価値とすることが、現在の様々な問題を生み出しているのではないかということだ。『規制緩和という悪夢』で私たちが見てきた様々な悲劇もまた、人々の生活と尊厳、地域社会、家庭、広い意味での公共、こうした世界を構成する様々な要素を無視し、投資家(=マネー)の利益の極大化という一点のみを目指した市場原理主義によってもたらされたものではなかったのか。
社会主義が崩壊した後、「市場」にかわる公正、公平なアンパイアを人類はまだ兄いだしていない。しかしいうまでもなく、「市場」もまた誤る。決定的に誤る。矛盾も増大している。「市場」に委ねさえすれば解決するという単純な「市場原理主義」が破綻していることもまた、まぎれもない事実だ。
この矛盾に目をつむることなく、人々がより良く生きるための処方箋を求め、真摯な施策と、事実の探究を続けること、それが今日の私たちに課せられた責務に違いない。 
カーンとともに航空自由法をつくったポール・デンプンシー (デンバ-大学教授)は後悔の念にかられながら、もっと分かりやすい言葉で問題をこう要約した。
「もし、あなたが日本で規制緩和をしようと言うのなら、こう理解しておけばいい。要するに規制緩和とは、ほんの一握りの非情でしかも食欲な人間に、とてつもなく金持ちになる素晴らしい機会を与えることなのだと。一般の労働者にとっては、生活の安定、仕事の安定、こういったもの全てを窓の外に投げ捨ててしまうことなのだと」

お金は無いと困る。ある程度はあったほうがいい。しかし、一部の人や会社に集まるシステムを「規制」しないと、正社員から派遣、派遣切りという社会になっていくのだ。

2011年8月9日火曜日

騙された責任

二木立氏の「医療経済・政策学関連ニューズレター」の最後のところにいつも「私の好きな名言・警句の紹介をされている。その中で伊丹万作(伊丹十三の父)の言葉を紹介する。

伊丹万作(昭和初期に活躍した映画監督。1900年生-1946年没)「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。(中略)/『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているに違いないのである。/一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない」(「戦争責任の問題」『映画春秋』創刊号,19468。インターネットの無料電子図書館「青空文庫」に全文公開。「毎日新聞」2011621日朝刊、山下貴史「だまされた国民の責任も問う」が、小出裕章氏の国民の「だまされた責任もある」との発言に続いて、上記57行目の2文を紹介)。

確かに私達は日常的にだまされ事を、自分の無能さの免罪符にしているような気がする。騙されないように、普段から情報の収集、学習を怠ってはならない。
 最近、うまく騙した首相がいましたね。

2011年8月5日金曜日

なぜ人を殺してはいけないのか?

 五木寛之氏の随想を読んで、急に彼の本を読みたくなった。若い頃は、「青春の門」等、かなりの本を読んだ。最近は、「百寺巡礼」という本がよく読まれている。その中で海外版「百寺巡礼」で朝鮮半島編(韓国)を読んだ。韓国と言えば、儒教の国と思いがちだが、意外に信者が多いのが、「キリスト教」最近は「仏教」が多くなってきている。以下は韓国で有名な僧、「法頂師」(ポプチョン)との話である。

法頂師にどうしても尋ねてみたいことがあった。それは、私がもう何年も前から考えつづけている、自殺にかかわる問題である。
日本ではここ数年、年間三万人を超える自殺者がでている。二〇〇六年は、いじめによる子供の自殺や学校長の自殺が報じられ、毎朝、新聞をひらくのも憂鬱になった。いじめは大きな問題だが、その解決策として「自殺」という手段を選んでしまうというところに、暗澹たる気持ちで胸がふさがれる。そして、いのちがこれほどまでに軽くなってしまったことを嘆かずにはいられない。
何度も言ってきていることだが、自分のいのちが軽くなるということは、他人のいのちも軽くなるということである。自分のいのちの尊さに実感がないということは、他人のいのちも同じような重さでしかないのだ。
だから、自殺と他殺は紙一重どころか、背中合わせの関係にあると私は考えている。最近、目を覆うような殺人事件が何件も立てつづけに起き、それらの事件で新聞の社会面が埋めつくされた。それは自殺の増加と無関係ではない。むしろイコールの関係だといわざるをえないのだ。そう考えたときに思い出すのが、数年前の出来事である。
ある小学生が無邪気に「どうして人を殺してはいけないの?」と先生に尋ねたという。聞かれた先生は立ち往生して、返答に窮し、大きな社会問題となった。そこで学校や教育委員会などから、そういう質問に対するガイドラインのようなものがほしいという声があったという。つまり、このように答えなさい、という統一的見解を出してほしいと要求したのである。
この話を聞いたとき私は、それは仏教者、あるいは宗教界の人こそが、いちばんに答えなければならない問題だろうと思った。
私の質問に対して法頂師は、よどみなくこう答えた。「生命の原理というのはひとつです。人を殺すということは、自分自身を殺すこと。つまり私たち人間は、根っこの部分ではひとつにつながっているのです。すべての生命の根はひとつです。生きているものはすべてひとつのいのちなのです」
法頂師によれば、生命というのは人間の生命だけを指しているのではない。自然もふくめた宇宙全体がひとつの生命なのだという。宇宙の大生命体と私たち自身がひとつであるという事実に目覚めることこそ、望ましい生きかたなのだというのである。
法頂師の言葉から、私のなかに華厳の教えのひとつ「一即多・多即一」が思い起こされた。すべてはつながっている、というあの教えである。
自分のいのちがこの宇宙全体とつながっていると体の底から感じることができたならば、自分のいのちを、そして他人のいのちを、簡単に奪うことなど到底できないだろう。そうした一体感をどう取り戻すかが、韓国でも、そして日本でも、問われているのである。

五木氏は、福岡で生まれ、すぐに両親と共に、朝鮮へ渡っている。(両親は教師)十年くらい住んで戦後、引き上げてきた経歴がある。その後日本でも住所を何回も変えながら、現在は横浜に住んでいる。彼のは一箇所に長く住まなかったが、このことが、客観的にものを見ること、大きな視点で考えることに、影響しているように思う。

2011年8月3日水曜日

山河破れて国あり

大震災から5ヶ月が経とうとしている。日経新聞で著名人に今考えていることを語らせている。今回は五木寛之氏である。以下、要点をまとめた。

311日以降の状況を第二の敗戦と感じている。
12歳で迎えた敗戦は大事件だった。「66年前の敗戦の時は、杜甫の詩の『国破れて山河あり』という状況だった。国は敗れたが、日本の里はあった。段々畑も森もあり、川も残っていた。いま私たちに突きつけられているのは、『山河破れて国あり』という現実ではないか。歌にもうたわれたお茶の葉からも放射能が検出されるようになった。何より悲劇的な問題は、汚染が目に見えないことだ。依然として山は緑で海は青い。見た目は美しくて平和でも、内部で恐ろしい事態が進行している。平和に草をはんでいる牛さえも内部汚染が進んでいるかもしれない。かつてこんな時代はなかった」
『山河破れて国なし』と言う人もいるかもしれない。ただ、原発の再開も、復興の予算も今も国が決定する。今も国はあるんです。ただ、今ほど公に対する不信、国を愛するということに対する危惧の念が深まっている時代はない。戦後日本人は、昭和天皇の玉音放送のように、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、焼け跡の中から復興をめざし国民一丸となってやってきた。今、大変な大きな亀裂が、ぽっかり口を開けている。   
原発事故で安全を強調する政府の発表に、不信を強めた人も多い。「それについては驚かなかった。国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れた上での、1つの政策なんだ、ということを、私は朝鮮半島からの引き揚げ体験の中で痛感していた。
動物的感覚で
今、日本人はどういう場所に立たされているのか。「私たちは、原発推進、反対を問わず、これから放射能と共存して生きていかざるを得ない。たとえ全部の原発を停止しても使用済み核燃料を他国に押しっけるわけにはいかない。放射能を帯びた夏の海で子供と泳ぎ、放射能がしみた草原に家族でキャンプをする。その人体への影響の度合いは、専門家によってあまりにも意見の開きがある。正直、判断がつきません。
だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。最近出した『きょう1日』(徳間書店)という本に込めたのは、未来への希望が語れないとすれば、きょう1日、きょう1日と生きていくしかないという実感です。第一の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない」
今、政治不信は目を覆うばかりである。こんな時、変な宗教がはびこる下地があるので気を付けたい。しっかりとした先人の言葉から学ぶべきことは多い。

2011年8月2日火曜日

やりたい仕事と職業選択

 毎日新聞に不定期に連載されている「引用句辞典」という鹿島茂氏の文章は、自分とは意見が違う場合もあるが、考えさせられる内容が多い。今回は「やりたい仕事」というタイトルで、アランの「幸福論」の一説を引用して、若者に対して言いたいことをまとめている。「楽」は「苦」のあとにやってくる。若者の一番苦手の真理である。
 以下、概要である。
日本では『幸福論』というタイトルで翻訳され、戦後の一時期に広く読まれた。その中でアランの幸福哲学を凝縮した「始めている仕事」の一節。
アランは言う、とにかくどんな仕事でもいいから、始めてみようと。きっかけはなんでもいい。いったん始めてしまうと、人はたとえそれが多くの労苦を伴うものであれ、その労苦の中に幸福を見いだすこともあるのだ。ただし、それには一つの条件がある。
「人間は自分からやりたいのだ、外からの力でされるのは欲しない。自分からすすんであんなに刻苦する人たちも、強いられた仕事はおそらく好まない。だれだって強いられた仕事は好きではない」
さて、アランのこうした言葉を受けて、職業選択の問題について考えてみよう。それは、「やりたい仕事」というのが、仕事を選ぶ「前」にそう感じるのと、仕事を選んでしまってからそう思うのとでは、まったく異なってくるということである。始めてみない限り、それが楽しいか否かはわからないし、また、自分がやるべき仕事だったのか、そのことも理解できない。しかも、本当に楽しさがわかるのは、仕事を始めてかなりたってからのことであり、それまではむしろおおいに労苦を伴うケースのほうが多い。
現代の労働の問題はあげてここにある。なぜなら、「面倒臭いことは嫌いだ」を第1原理として成長してきた現代の若者たちにとって、「これは最初はたいへんだけど、しばらくするとおもしろくなるやり甲斐のある仕事だから、とにかく続けてみなさい」と言っても、聞く耳を持たないからである。
「面倒臭いことが先に来るものはすべて嫌われるのである。「わかりました。で、なにかマニュアルのようなものはないんですか?」これが、教師や先輩からアラン的な労働哲学を聞かされた後に、若者が発する問いである。やはり「いきなり」がキーワードなのだ。
近年、若者離れの著しいジャンルを眺めてみると、そのほとんどが「最初が面倒臭い」ものであることに気づく。仕事に限ったことではない。マージャン、運転免許取得、フランス語やドイツ語などの第二外国語、基礎物理、基礎化学、経済学、いずれも「苦しみの後に楽しみが来る」類いのものばかりである。いや、どんな仕事も学問でも「いきなり」おもしろく、楽しいものなどないのだ。「教育」では第一に、このことを教えなければならない。
わたしも、年を取ってきたということか。こんな文章にいちいち頷いてしまうのだ。教育とは難しいなあ・・・。