2011年8月3日水曜日

山河破れて国あり

大震災から5ヶ月が経とうとしている。日経新聞で著名人に今考えていることを語らせている。今回は五木寛之氏である。以下、要点をまとめた。

311日以降の状況を第二の敗戦と感じている。
12歳で迎えた敗戦は大事件だった。「66年前の敗戦の時は、杜甫の詩の『国破れて山河あり』という状況だった。国は敗れたが、日本の里はあった。段々畑も森もあり、川も残っていた。いま私たちに突きつけられているのは、『山河破れて国あり』という現実ではないか。歌にもうたわれたお茶の葉からも放射能が検出されるようになった。何より悲劇的な問題は、汚染が目に見えないことだ。依然として山は緑で海は青い。見た目は美しくて平和でも、内部で恐ろしい事態が進行している。平和に草をはんでいる牛さえも内部汚染が進んでいるかもしれない。かつてこんな時代はなかった」
『山河破れて国なし』と言う人もいるかもしれない。ただ、原発の再開も、復興の予算も今も国が決定する。今も国はあるんです。ただ、今ほど公に対する不信、国を愛するということに対する危惧の念が深まっている時代はない。戦後日本人は、昭和天皇の玉音放送のように、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、焼け跡の中から復興をめざし国民一丸となってやってきた。今、大変な大きな亀裂が、ぽっかり口を開けている。   
原発事故で安全を強調する政府の発表に、不信を強めた人も多い。「それについては驚かなかった。国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れた上での、1つの政策なんだ、ということを、私は朝鮮半島からの引き揚げ体験の中で痛感していた。
動物的感覚で
今、日本人はどういう場所に立たされているのか。「私たちは、原発推進、反対を問わず、これから放射能と共存して生きていかざるを得ない。たとえ全部の原発を停止しても使用済み核燃料を他国に押しっけるわけにはいかない。放射能を帯びた夏の海で子供と泳ぎ、放射能がしみた草原に家族でキャンプをする。その人体への影響の度合いは、専門家によってあまりにも意見の開きがある。正直、判断がつきません。
だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。最近出した『きょう1日』(徳間書店)という本に込めたのは、未来への希望が語れないとすれば、きょう1日、きょう1日と生きていくしかないという実感です。第一の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない」
今、政治不信は目を覆うばかりである。こんな時、変な宗教がはびこる下地があるので気を付けたい。しっかりとした先人の言葉から学ぶべきことは多い。

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