2011年8月17日水曜日

原爆と原発

民医連医療9月号畑田重夫氏の「メディアへの眼」第5回に「原爆と原発」と題した中に以下のような文章がある。

人々は言います。放射能関係の学者・研究者の使う専門用語には難しい言葉が多くてどうもよくわからないと。だからというわけでもないのですが、その分野以外の人の文章や発言の方がわかりやすくて説得力がある場合がしばしばあるものです。いま内外で最大の注目を集めている原発について、一人は評論家、一人は作家の発言が面白いと思いましたので、それを手がかりに考えてみたいと思います。
「九条の会」アピールの9人の知性人の一人でもあり、「知の巨人」とも言われていた加藤周一さん(故人)19991020日付「朝日新聞」夕刊の「夕陽妄語」のなかで次のように書いています。
「核爆弾も原子力発電も、核分裂の連鎖反応から生じる。連鎖反応が加速されれば爆発して爆弾となり、原子炉のなかで制御されて臨界状態が続けば発電所の熱源となる。比喰的にいえば原子爆弾とは制御機構の故障した発電所のようなものである」「核兵器と原子力発電は、一方が『戦争』に属し、他方が平和』に属するという意味では、かぎりなく遠い。しかしどちらも核分裂の結果であるという意味ではきわめて近い」
つまり、加藤さんの言いたいことは、原爆にしろ、原発にしろ、放射能をまきちらすという点では違いはないということなのです。
それをさらにわかりやすく簡潔に表現したのが、作家の池津夏樹さんです。彼は201167日付「朝日新聞」夕刊紙上で、「原発とは緩慢に爆発する原爆である」と一般国民にも理解されやすい表現で、原爆と原発の関係を明らかにしました。原爆と原発が、放射能をこの地球上にばらまき、環境と人体・人命にマイナスの影響を及ぼすという点で共通点をもつとすれば、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマは、私たち日本国民にどのような責任や課題を提起しているかは、おのずから明らかだということになります。
「ヒロシマのある国で」と言う歌があるが、今後は「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマのあるまちで」にならざるを得ない。

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