二木立氏の「医療経済・政策学関連ニューズレター」の最後のところにいつも「私の好きな名言・警句の紹介をされている。その中で伊丹万作(伊丹十三の父)の言葉を紹介する。
伊丹万作(昭和初期に活躍した映画監督。1900年生-1946年没)「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。(中略)/『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているに違いないのである。/一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない」(「戦争責任の問題」『映画春秋』創刊号,1946年8月。インターネットの無料電子図書館「青空文庫」に全文公開。「毎日新聞」2011年6月21日朝刊、山下貴史「だまされた国民の責任も問う」が、小出裕章氏の国民の「だまされた責任もある」との発言に続いて、上記5~7行目の2文を紹介)。
確かに私達は日常的にだまされ事を、自分の無能さの免罪符にしているような気がする。騙されないように、普段から情報の収集、学習を怠ってはならない。
最近、うまく騙した首相がいましたね。
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