2011年8月26日金曜日

浅井基文

浅井基文氏の「ヒロシマと広島」(かもがわ出版1890円)という決して売れそうにない、字ばかりで読みづらい本を読んだ。最近、表舞台にあまり出てこないと思っていたら、彼は20054月より200113月まで広島市立大学の「広島平和研究所」の所長をしていたのであった。彼が、そこを辞めるにあたって書いた本が「ヒロシマと広島」である。その中で、彼の平和感、憲法観が端的に現れているのが、以下の文章である。

 (日本国憲法)について
私は、人間の尊厳及び人権・民主(デモクラシー)そして「力によらない」平和観を体現した日本国憲法は、広島・長崎の原爆体験なくしては誕生していなかったのではないかと考えます。何故にこれほど徹底した平和観を備えるに至ったかを解く一つの重要なカギは正に原爆体験です。そのことは、日本国憲法を国連憲章と比較することによって直ちに明らかになります。
国連憲章も恒久平和の実現を目指す点では憲法と同じ立場です。また、戦争を否定する立場においても両者は共通しています。しかし、前にも述べましたように、国連憲章は自衛のための軍事行動は肯定しています(51)。しかも19458月の原爆投下前に作成された憲章の成立過程が明らかにするように、第二次世界大戦の中ですでに明らかになっていた米ソ対立を背景にして、軍事力行使を正当化する法的根拠を確保するためにこの条項が設けられたのです。つまり、国連憲章を根底において支配するのは「力による」平和観だったということです。しかし、原爆投下後に作成された憲法は、核兵器のすさまじい破壊力の前では、「政治の継続」としての戦争がもはやいかなる意味でも正当化されなくなったという痛切な認識に基づいているのです。原爆投下前に作られた国連憲章とその後に作られた憲法、つまり原爆投下が両者の拠って立つ平和観の決定的な分岐点なのです。
周知のとおり、憲法がたどった歴史はきわめて厳しいものでした。憲法とは両立し得ない「力による」平和観に立脚する日米安保条約を独立と引き替えに選択した戦後保守政治は、敗戦後のしばらくの間は国民の間に強かった反戦平和の感情を無視するわけにはいかず、解釈改憲という手法に訴えて違憲状態の既成事実化を積み重ねてきました。その結果、多くの国民の間に「憲法も安保も」という自己矛盾以外の何ものでもない平和観が定着することになりました。
21世紀の世界に向き合う上で、私たちはどちらの平和観に立つのか。それが今私たち主権者に突きつけられている最重要の選択課題です。アメリカ及び日本の保守政治(政官財)は、日本がアメリカの忠実な同盟国としてアメリカが行う戦争に全面的に加担する国になることを望んでいます。
そのためには9条改憲が不可欠の要請になります。彼らの立場からすれば、「憲法も安保も」という国民の中途半端な平和観は受け入れられないのです。しかし、私が述べてきた21世紀が求める客観的な方向は、「力によらない」平和観に立つ世界の実現です。憲法は正に、日本がそういう世界の実現のために先頭に立つ指針を明確に提起しているのです。人類史の方向が私たちに求めるのは、「憲法も安保も」という暖味な平和観に安住することではなく、決然として平和憲法の側に立つことです。

彼は又、この本の中で、人間の尊厳について詳しく書いています。その動機の一つとして、彼の孫娘が世界に十数例しか報告されていないと言う病気で、障害を持って生まれてきたことがあります。それゆえ彼の言葉には説得力があります。

0 件のコメント:

コメントを投稿