2011年8月12日金曜日

規制緩和という悪夢

 今ほど「内橋克人」氏の本が読まれなければいけない時はないと思う。10年程前に購入して読んだ「規制緩和という悪夢」という本を、本棚から取り出して読み直してみた。その中で以下の文章を紹介する。

ドイツの童話作家ミヒヤエル・エンデは、死の1年半前のインタビューでこんなことを述べている。「重要なポイントは、パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つの異なる種類のお金であるということです」
このエンデの問いかけは、今日の私たちの世界が直面している問題を理解するうえで非常に重要な示唆を与える。すなわち、マネーの自己増殖における利益極大化のみを唯一至上の価値とすることが、現在の様々な問題を生み出しているのではないかということだ。『規制緩和という悪夢』で私たちが見てきた様々な悲劇もまた、人々の生活と尊厳、地域社会、家庭、広い意味での公共、こうした世界を構成する様々な要素を無視し、投資家(=マネー)の利益の極大化という一点のみを目指した市場原理主義によってもたらされたものではなかったのか。
社会主義が崩壊した後、「市場」にかわる公正、公平なアンパイアを人類はまだ兄いだしていない。しかしいうまでもなく、「市場」もまた誤る。決定的に誤る。矛盾も増大している。「市場」に委ねさえすれば解決するという単純な「市場原理主義」が破綻していることもまた、まぎれもない事実だ。
この矛盾に目をつむることなく、人々がより良く生きるための処方箋を求め、真摯な施策と、事実の探究を続けること、それが今日の私たちに課せられた責務に違いない。 
カーンとともに航空自由法をつくったポール・デンプンシー (デンバ-大学教授)は後悔の念にかられながら、もっと分かりやすい言葉で問題をこう要約した。
「もし、あなたが日本で規制緩和をしようと言うのなら、こう理解しておけばいい。要するに規制緩和とは、ほんの一握りの非情でしかも食欲な人間に、とてつもなく金持ちになる素晴らしい機会を与えることなのだと。一般の労働者にとっては、生活の安定、仕事の安定、こういったもの全てを窓の外に投げ捨ててしまうことなのだと」

お金は無いと困る。ある程度はあったほうがいい。しかし、一部の人や会社に集まるシステムを「規制」しないと、正社員から派遣、派遣切りという社会になっていくのだ。

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