2011年8月2日火曜日

やりたい仕事と職業選択

 毎日新聞に不定期に連載されている「引用句辞典」という鹿島茂氏の文章は、自分とは意見が違う場合もあるが、考えさせられる内容が多い。今回は「やりたい仕事」というタイトルで、アランの「幸福論」の一説を引用して、若者に対して言いたいことをまとめている。「楽」は「苦」のあとにやってくる。若者の一番苦手の真理である。
 以下、概要である。
日本では『幸福論』というタイトルで翻訳され、戦後の一時期に広く読まれた。その中でアランの幸福哲学を凝縮した「始めている仕事」の一節。
アランは言う、とにかくどんな仕事でもいいから、始めてみようと。きっかけはなんでもいい。いったん始めてしまうと、人はたとえそれが多くの労苦を伴うものであれ、その労苦の中に幸福を見いだすこともあるのだ。ただし、それには一つの条件がある。
「人間は自分からやりたいのだ、外からの力でされるのは欲しない。自分からすすんであんなに刻苦する人たちも、強いられた仕事はおそらく好まない。だれだって強いられた仕事は好きではない」
さて、アランのこうした言葉を受けて、職業選択の問題について考えてみよう。それは、「やりたい仕事」というのが、仕事を選ぶ「前」にそう感じるのと、仕事を選んでしまってからそう思うのとでは、まったく異なってくるということである。始めてみない限り、それが楽しいか否かはわからないし、また、自分がやるべき仕事だったのか、そのことも理解できない。しかも、本当に楽しさがわかるのは、仕事を始めてかなりたってからのことであり、それまではむしろおおいに労苦を伴うケースのほうが多い。
現代の労働の問題はあげてここにある。なぜなら、「面倒臭いことは嫌いだ」を第1原理として成長してきた現代の若者たちにとって、「これは最初はたいへんだけど、しばらくするとおもしろくなるやり甲斐のある仕事だから、とにかく続けてみなさい」と言っても、聞く耳を持たないからである。
「面倒臭いことが先に来るものはすべて嫌われるのである。「わかりました。で、なにかマニュアルのようなものはないんですか?」これが、教師や先輩からアラン的な労働哲学を聞かされた後に、若者が発する問いである。やはり「いきなり」がキーワードなのだ。
近年、若者離れの著しいジャンルを眺めてみると、そのほとんどが「最初が面倒臭い」ものであることに気づく。仕事に限ったことではない。マージャン、運転免許取得、フランス語やドイツ語などの第二外国語、基礎物理、基礎化学、経済学、いずれも「苦しみの後に楽しみが来る」類いのものばかりである。いや、どんな仕事も学問でも「いきなり」おもしろく、楽しいものなどないのだ。「教育」では第一に、このことを教えなければならない。
わたしも、年を取ってきたということか。こんな文章にいちいち頷いてしまうのだ。教育とは難しいなあ・・・。

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