2013年4月30日火曜日

日本人とは何か

     加藤周一氏の「日本人とは何か」という本を読む。氏の本は、内容によってはわかりやすいが、この本は結構手強い。その中で、20年以上前に書かれたにも関わらず、今の現実を浮き彫りにしている、日本人論の一部を紹介する。
日本人とは何か
日本人とは、日本人とは何かという問を、頻りに発して倦むことのない国民である。今の問と答の歴史を詳しく省みる暇はないが、ここではその歴史が宣長と国学にはじまり、殊に明治以後に著しいとだけいっておこう。日本人とは何かという問が繰返されるのは、日人であることが、何を意味するのか、はっきりしないからにちがいない。なぜはっきりしないのだろうか。
たとえば独仏両国民はお互いに相手をみている。相手を観察するばかりでなく、相手の眼のなかに映った自分の姿を観察することに歴史的に慣れている。他人の眼はこの場合に、自分自身が何であるかを知るための鏡だ。鏡は歪んでいるかもしれないし、当方の全身を映してはいないかもしれない。
しかしとにかく当方の姿を映すことにまちがいはない。国境を接する他国民を観察し、その結果と比較することによって、自分自身の定義が容易になるだろうという話ではない。それは知的な客観的な問題にすぎない。
それより以前に、もし他人の眼のなかに自分を映す鏡を見出すことができないとすれば、どこに自分自身の姿を客観化する動機があるだろうかということである。自己を観察するのは、他人を観察するのとはちがう。私はこういう人間であるという結論に私が到達した瞬間に、その結論は必然的に誤りとなるだろう。なぜなら私はこういう人間ではなく、私がこういう人間であると考える人間だからである。
しかし実は、そういった瞬間に、私は、もはや私がこういう人間であると考える人間ではなく、私がこういう人間であると考える人間だと考える人間であろう。
しかし日本国民は他国民の眼のなかに自己の姿を読むことができなかった。いかなる他国民も日本を見てはいなかったからである。しかしそれだけならば問題は簡単であり、日本側でも相手をみていないかぎり、日本人とは何かという間そのものが生じないだろう。日本人以外の人間と一切関係がないときに、日本人とは何かということは意味をなさない。問題は日本人が絶えず外を見て来たと同時に、外からは見られていなかったという一方的関係によって生じる。中国と日本との関係は、ながい間独仏の関係のように相互作用を含むものではなかった。西洋と日本との関係もまた同様である。文化は一方的な方向へしか流れていない。ということは、鎖国を解いた日本が異常な注意を集中して西洋をみつめてきたということであり、逆にその西洋のなかに映じた日本の姿は、平和なときには安い缶詰を売る商人、いくさの時には神風特攻隊の操縦者、過去にさかのぼっては、たかだか江戸時代の版画の巧妙な素描家にすぎなかったということである。
日本人は外から見られてこなかった。ここが一番のポイントとなると考える。

2013年4月25日木曜日

谷間の分野



以前にも紹介したことのある、森まゆみ氏の「貧楽暮らし」というエッセイからおもしろい一話を紹介したい。
谷間の分野
友だちのシャンソン歌手が言う。「夜の酒場で好きで歌ってはいるんだけど、歌謡曲やポップスみたいにCDが売れるわけじゃないし、かといってクラッシックみたい音大で教えたり、音楽の賞をもらえたりするわけでもないし。ほんとに谷間の分野なのよ」
カンツオーネ、ジャズ、私の好きなポルトガルの歌謡ファドなどを歌う人も同じようなものだろう。
ある時、フランス人形を作る職人からも聞いた。「僕らは、いくらよくできたな、 うまくなったな、と思っても所詮、 客間の飾り物ですからね。これが日本人形なら伝統工芸士、ときには人間国宝になったりしますが」
同じように努力して芸を磨いても、日の当たらない、報われない分野は多いものだ。文芸でいえば小説以外にも詩、歌、俳句、川柳、随筆、ノンフィクション、伝記、紀行、インタビューなど様々な分野、表現手法があるが、いまだに小説ばかりが賞も多いし、王様扱いである。
もちろん“人のものさし”で自分を測ることはないのだけれど、評価されないとすたれ、消えてしまう文化もある。
例えば建造物や調度品、家具、着物、食器は重要文化財になる。また重要無形文化財にも陶芸家、漆器家、書家、彫金家、染織家などが指定される。しかし肝心の、その器に盛られた食文化というのは評価されにくい。
どんなに上手に料理をつくる人がいても、人間国宝(正確には重要無形文化財)になったという話は聞かない。器づくりばかりが文化財になる。聞いた話だが、韓国にはキムチ漬けの国宝みたいな人がいるという。
さかのぼって食事の素材を採り、育てる農業、畜産、漁業の分野だって、長い文化と伝統の上に独特の技術を持つ人がいるはずなのに、それを“文化としてとらえ、評価するまなざしがないようだ。
一方、いわゆる伝統芸能の世界では、大名おかかえの芸術であった能楽を頂点として序列があるように見える。また梨園の名家の出というだけで、演技もハテナなのに、賞を得て偉くなる人もいる。能は女の出る幕ではないという感じ。新内、歌沢などの序列は低い。
やっと新内節からお二人が重要無形文化財、いわゆる人間国宝になった。新内は浄瑠璃から派生した語り物である。遊女との心中を多く歌って江戸時代、禁じられたこともあり、また花柳の巷を二挺三味線で語って歩くことからしばしば門付けと混同された。 
百一歳で亡くなった岡本文弥の伝記を書いたことがある。この方は無形文化財新内節の保持者ではあったが、人間国宝にはならなかった。「よく間違われるので、あたしは人間国宝じゃなくて人間骨董です、と言ってるんです」と笑っていた師匠の顔を思い出す。
私は、人間国宝はまだしも、「国民栄誉賞」、どうしてこんなものをつくるのかと思う。時の政府はうまく賞を利用して、政治に利用している。谷間の職人をもっともっと評価すべきである。

2013年4月23日火曜日

お酒の話


杉浦 日向子(すぎうらひなこ、本名 鈴木 順子(すずき じゅんこ)、19581130 - 2005722日)は、日本の漫画家、江戸風俗研究家、エッセイストである。彼女の「食・道・楽」という本から、お酒の話を紹介。
おいしいお酒、ありがとう
なんてこんなに酒が好きなんだろう。酒が、ほんとうにうまいなあと思ったのは、三十を過ぎてからのこと。自分の意思で、店を選び、もちろん身銭で、手酌で、ひとり、たしなむようになってからのこと。
酒が、ほんとうにたのしいなあと思ったのは、四十代になってからのこのと。呑みたい酒と場所を、TPOにあわせて、ぴたりと、使い分けできるようになってからのこと。
つまそれ以降は、接待の酒は、極力辞去。どんなに旨い秘蔵地酒を、眼前にちらつかせられようとも、またの機会に。どうしても、断りきれないギリギリの義理縛りには、適量の二割を、おしめりにいただく。友人との割り勘会には、陽気なおしゃべりを肴に、五割がた呑む。自前で、外食のときには七割がた呑む。いずれのときにも、適量までの残りは、自宅で、ゆっくリ、しっかり、呑む。
酔って帰宅するのは'ものすごく 億劫だ。ことに、すっかり暗くなってから女ひとり、ふらついて夜道を歩くのは、辛気くさい。それがハイヒールだったら、壊れたメーロ/-ムのようで不気味だ。夜更けて、酒臭い息の、もつれた舌で、タクシーの運転手さんに、行き先を告げるのは、もっとずっと恥ずかしい。
怪しい物体になる前に、酔わずに帰る。これは、その日のコンディションにおける、自身の酒量を、いつでも的確に計れるという、酒呑みを自認する者の、唯一無二のプライドである。
へべれけになるやつは、酒呑みのアマチュアだ。酒と対等ではない。酒にもてあそばれているだけだ。おおばかやろう。
とはいっても、そんなのは、単なる理想で、いざ、酔っ払っちゃえば、プライドもアマチュアもへったくれもない。ネイキッドなむき身の、ぐにゅぐにゅアメーバ状態で、大切な時間を、おさおさと止めどなく食んで行くのだ。なんで、酔っ払っちゃうんだろう。けど、酔わないなら、呑まないほうがいい。もったいない。呑んで酔わないなんて、酒に失礼だ。酒の神様の罰が当たる。
呑まなければ、もっと仕事ができるし、お金もたまる。たぷんそうなんだろう。ベッドにもたれ、ゆるり、適量を満たしながら、なんてことのない一日に、感謝して、ほほ笑んでいる。間に合わなかった仕事、ごめんなさい、おいしいお酒、ありがとう。今日も、ちゃんと酔えて、よかった。あした間に合うね、きっと。
彼女はそば好き、日本酒好きで有名であったが、下咽頭がんで亡くなった。46歳であった。酒の飲みすぎはだめよ。これ自分に対して言っていること。

2013年4月19日金曜日

政治とは毎日を生きること


赤旗日曜版で「この人に聞きたい」というコーナーがある。今回は「クラッシックを聴くコツ」というタイトルで、作曲家の「池辺晋一郎」さんのインタビューが載っている。その一部分を紹介する。
池辺さんは「九条の会」賛同人です。反戦平和の願いを込めた作品もつくっています。憲法改悪に反対し、政治で積極的に発言します。
ときどき、「作曲家なのに、なぜ政治的な発言をするのですか」と聞かれます。ぼくはこうした質問が不思議でならない。
だって、政治とは日々の生活そのものです。人が共同生活をしていくときに必要なルールや、私たちが暮らす社会をどうしていくか目標を決めるのが政治でしょう。
フランスのある女優がアフリカの難民を支援する運動をしていた。インタビューで「政治的な活動をしていますね」と聞かれ、こう答えました。
「どうしてそれが政治的なんですか。私は毎日生きています。自分の思ったことをやらなきゃいけない。政治とは毎日を生きることです」と。
まったく同感です。政治とは毎日の生き方ですよ。それを仕事にしているのが政治家ですが、政治はあらゆる人がかかわります。
ぼくは音楽を仕事にしている。そして毎日を生きている。だから音楽で自分の考えを表現する。音楽というのは、たちどころに支援の力になったり、「テロ反対」といったらすぐテロがなくなるわけではありません。けれど、じわじわと浸透する力があるんです。
いまの政治は、来年結果がでないとダメという貧しい政治ですよね。文化というのは抽象的だけど、実はすごい底力がある。長い目で見れば文化の力で日本はもっと力を得られるはずなんです。
政治的な発言をすると、メディアから干されてしまう日本は異常ですね。

2013年4月17日水曜日

公とは何か

 
 ある月刊誌の特集で、中野剛志しは「TPPと大阪維新に物申す」(今は日本維新)というタイトルで次のように述べている。
「公」とは何かを知るために
政治家が個人の責任で負い得る以上の重みを承知した上で、それでも、政治にたずさわろうとするなら、個人を超えた公の存在にならなければならない。私欲や私心を捨てて公に殉じるしかない。そして、おのれが殉ずべき「公」とは何かを知るために、政治家は必ず議論を求めるだろう。そして、その議論が続いている限りは、政治は何も決められないはずなのだ。
橋下市長はすぐに「責任」と口走るが、彼の念頭にある責任の取り方とは、せいぜい、彼個人が政治の表舞台から去ることぐらいだろう。いや、彼は、その程度の責任の取り方すらしないだろう。そんなことをしたら、彼が後生大事にしている「物事を決定する仕組み」から排除され、何も決められなくなってしまうからだ。
「物事を決定する仕組み」とは、要するに「権力」を言い換えたに過ぎない。「決めることが大事」というのは、 「権力こそがすべてだ」ということなのだ。その証拠に、橋下氏は、自著で政治家としての所信を次のように表明している。
政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。(中略)自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。(中略)別に政治家を志す動機づけが権力欲や名誉欲でもいいじゃないか!
(橋下徹「まっとう勝負」)
この下品で幼稚な政治理解を嗤うのは簡単だ。しかし、かつての小泉構造改革、政権交代、あるいはTPPもまた、 「大事なのは、おしゃべりではない。決めることだ」といった政治理解によって進められてきたのである。今もまた、消費税増税が「先送りできない」「不退転の決意」といった同種の台詞によって議論を封じ込めつつ、進められている。
議論なき官僚主義、責任なき全体主義、それが日本の政治を覆っている。そこから民を救い出せるのは、「物事を決定する仕組み」に抵抗して、何事もやすやすとは決めさせまいとしゃべり続ける、強靭な批判精神をおいて他にはない。
橋下氏のような、権力欲、名誉欲の権化のような者がのさばる様では、日本も終わりだ。まさに強靭な言論、行動が求められている。

2013年4月15日月曜日

名言・警句より


二木立氏の「名言・警句」より、紹介。
宇都宮健児(弁護士・日本弁護士連合会前会長。
2012年末の東京都知事選挙に立候補)
リベラルな勢力の人たちは『正しいことを言えば運動は広がる』と思っている気がします。正しい政策作りは1割の力で、残り9割は、有権者の心理に切り込む作戦に注ぐべきです(中略)好きな言葉に『同質の集団の集まりは和にしかならないが、異質の集団の集まりは積になって広がる』というものがあります。違う考えの人たちが手を結べばかけ算で運動は広がる」(「民医連新聞」201334日号。全日本民医連第2回評議員会での講演)二木コメント-本「ニューズレター」103で紹介した湯浅誠さんの「共感の技法」や原昌平さんの「『ゆるさ』が必要」と、同じ問題提起と思います。同104で紹介した、冨田和彦さんの「トップのコミュニケーションには、組織の空気を少しずつ変えていく根気強さが必要だ」とも一脈通じると感じました。
 宇都宮健児氏は都知事選で敗れたが、その後も普通に頑張っておられる。感服。
有権者の心理に切り込む作戦とは・・。「共感」「ゆるさ」どれも、しっかりとした土台があって、それにプラスされなければならないことであると考える。

小島寛之(帝京大学経済学部教授、数学エッセイストとしても活躍)
テレビや新聞で、経済学があたかも堅固な真理性を備えたものであるかのようにうそぶく人がいるが、そんな言説に騙されてはいけない」、「経済学は、現実解析の学問としては、まだ完成からはほど遠い状態であり、社会設計や政策選択の科学としては無力に近い状態だ。世の中には、経済学的な主張をあたかも『科学的真実』かのように堂々と語る経済学者も多いが、きっとそういう人たちは、ある種の社会的立場からうそぶいているか、あるいは、物理学を勉強したことがないせいで『科学的真実』とはなんであるかがまったくわかっていないのであろう」(『ゼロからわかる経済学の思考法』(講談社現代新書,2012,4,20)
 経済学を学んだことのない私にも、「アベノミクス」「3本の矢」とかの言葉だけで、世の中が良くならないこと位わかる。失われた20年の原因をつくった手法とまったく同じことをやろうとしているだけである。失われた30年にならないことを祈るのみである。


2013年4月12日金曜日

核と暮らす日々



池澤夏樹氏の「楽しい終末」(中公文庫)を借りて読む。その中で、「核と暮らす日々」という論文を紹介。
さて、大きな事故か何かをきっかけに世界中の世論が一致して核兵器が廃絶され、原子力発電所もすべて閉鎖されたとして、われわれは核とすっかり縁を切れるだろうか。核はそれぐらいのことでは立ち去ってくれない。
人類は今後いつまでも核の知識に耐えていかなければならない。1959年という冷戦もさなかの時点で発表されて今も読みつがれている『黙示録3174年』というSFがある。作者はウォルターミラー、ほとんどこれ一作で名を残した人である。世界規模の核戦争が起こり、人類のほとんどと文明の大半は失われる。残った人々は極端な知識嫌悪に陥り、オプスキュランティズム(蒙昧主義)がすべての知的活動をおしつぶし、世界は中世以前の状態に戻る。
しかし、その段階からまた人は少しずつ知識を集め、文明を作り、研究を進めて、かつての失われた文明を再興する。そして、結局はまた核兵器が作られ、使われる。
この話はあるカトリックの修道院を舞台にして、一千年以上に亘る長い未来史を三段階に分けて書いている。つまり、何がどうなっても人は核の知識から逃れることはできないのだ。中世に戻ったところでその時点から科学は再出発し、やがてまた人は核を手中に収める。われわれが核エネルギーの利用法を知っているという事実は消しょうがない。月がないふりをするのが無意味なのと同じように、核エネルギーが存在しないふりをするのもナンセンスである。
人間と核の関係は次々に違う数値を取る数列のように思える。この数列が先の方で収束しているのか発散するのか、今の段階では誰にも予測できない。ある日いきなりカタストロフィ現象が起こってすべてが終わりを迎えるかもしれない。
いずれにしても核の扱いに人は今後もずっと苦しむだろうし、絶対の安定に至って数列がずっと同じ数値を繰り返すようになることはないだろう。
火薬が社会史を変えたように核は人類の歴史を変えるだろうが、その変えかたは火薬の場合よりもずっとドラマチックで危ないものになりそうだ。核は今もわれわれにとって筆頭の脅威である。
池澤氏は作家と言うより、哲学者だと思う。20年以上も前に書かれた論文とは思えない思索がここにはある。

2013年4月10日水曜日

真理・経済


二木立氏の「名言・警句」より、紹介。
宇都宮健児(弁護士・日本弁護士連合会前会長。
2012年末の東京都知事選挙に立候補)
リベラルな勢力の人たちは『正しいことを言えば運動は広がる』と思っている気がします。正しい政策作りは1割の力で、残り9割は、有権者の心理に切り込む作戦に注ぐべきです(中略)好きな言葉に『同質の集団の集まりは和にしかならないが、異質の集団の集まりは積になって広がる』というものがあります。違う考えの人たちが手を結べばかけ算で運動は広がる」(「民医連新聞」201334日号。全日本民医連第2回評議員会での講演)二木コメント-本「ニューズレター」103で紹介した湯浅誠さんの「共感の技法」や原昌平さんの「『ゆるさ』が必要」と、同じ問題提起と思います。同104で紹介した、冨田和彦さんの「トップのコミュニケーションには、組織の空気を少しずつ変えていく根気強さが必要だ」とも一脈通じると感じました。

有権者の心理に切り込む作戦とは・・。「共感」「ゆるさ」どれも、しっかりとした土台があって、それにプラスされなければならないことであると考える。

小島寛之(帝京大学経済学部教授、数学エッセイストとしても活躍)
テレビや新聞で、経済学があたかも堅固な真理性を備えたものであるかのようにうそぶく人がいるが、そんな言説に騙されてはいけない」、「経済学は、現実解析の学問としては、まだ完成からはほど遠い状態であり、社会設計や政策選択の科学としては無力に近い状態だ。世の中には、経済学的な主張をあたかも『科学的真実』かのように堂々と語る経済学者も多いが、きっとそういう人たちは、ある種の社会的立場からうそぶいているか、あるいは、物理学を勉強したことがないせいで『科学的真実』とはなんであるかがまったくわかっていないのであろう」(『ゼロからわかる経済学の思考法』(講談社現代新書,2012,4,20)
 経済学を学んだことのない私にも、「アベノミクス」「3本の矢」とかの言葉だけで、世の中が良くならないこと位わかる。失われた20年の原因をつくった手法とまったく同じことをやろうとしているだけである。失われた30年にならないことを祈るのみである。


2013年4月8日月曜日

沖縄のメディア


 何度か紹介しているが、東洋経済の佐藤優氏「知の技法」は面白い。沖縄のことを知るには、「琉球新報」「沖縄タイムズ」を読むべきだと言っている。両紙は英語版も充実していて、外国のインテリジェンスもよく読んでいるという。そのことを知らないと以下のような発言が出てくる。以下、紹介する。

沖縄のメディアは移設反対をあおっているか?
東京の政治エリート(国会議員や官僚)には、「普天間飛行場の移設先とされた辺野古の住民など圧倒的大多数の沖縄県民は、移設を歓迎か容認しているにもかかわらず、琉球新報、沖縄タイムスをはじめとする沖縄のメディアが、反対をあおっている」という現状認識をしている人が意外に多い。
326日に自民党の国防部会で小池百合子元防衛相がこう述べた。「沖縄の先生方が何と戦っているかというと、(米軍普天間飛行場の県内移設に反対する)沖縄のメディアなんですよ。今日はこちらに地元メディアもいると思うが、しかしながら、あれと戦って今回のご当選をされてきたということは、むしろ沖縄のメディアの言っていることが本当に県民をすべて代表しているとは、私ははっきり言って思いません。これからも堂々と地元と国会議月としての役割を果たして頂けるように後押しをさせていただきたい。」(326日朝日新聞デジタル)
沖縄選出の自民党国会議員は米海兵隊普天間飛行場の県外移設を公約、それで当選した事実を小池氏は認識していないようだ。小池氏の現状認識で政府が沖縄に対応すると、近未来に深刻な事態が生じる。
こんなレベルの国会議員が堂々と発言している自民党は底が知れている。まさに深刻な事態が生じるかも知れない。

2013年4月5日金曜日

ユダヤ人の歴史


以前にも紹介したことがある「もういちど読む山川:世界史」をぱらぱら読んでみた。
その中で、「ユダヤ人の歴史」として以下の文章があった。
ユダヤ人の歴史
13世紀に南シリアのパレスチナ地方に侵入し定着したヘブライ人は、みずからをイスラエル人と称し、またユダヤ人ともよばれた。彼らはユダヤ教とキリスト教をうみだすとともに、唯一神ヤハウェへの信仰と選民思想とをよりどころに、いくたの苦難にたえながら、今日まで聖都イェルサレムを核として一体性を保ってきた民族である。
11世紀末に王国をたて、ダヴィデ・ソロモン両王のもとで栄えたが、その後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、さらに両国ともそれぞれアッシリアと新バビロニアによってほろばされる。なかでもユダ王国の滅亡に際しては多くのユダヤ人がとらえられて東方に送られ(バビロン捕囚)、彼らはペルシア王キュロスの手で解放され帰国を許されたものの、この時代に世界各地へのユダヤ人の離散(ディアスポラ)がはじまった。
祖国にとどまったユダヤ人はそののちも大国の抑圧に悩み、セレウコス朝シリアに対する抵抗に成功して一時独立を達成するけれども、ローマ帝国との戦いに敗れて、イェルサレムは破壊され、ディアスボラの動向もまた決定的となった。
中世から近代にいたるまでイスラエルの地はビザンツ帝国・アラブ人・十字軍・オスマン帝国そしてイギリスにあいついで支配されるが、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人たちも社会の下層にあって差別と抑圧の対象とされた。
19世紀の未、古代イスラエルの地にユダヤ人の国家を再建しようとする運動(シオニズム)がうまれ、第二次世界大戦後イスラエル建国となって結実する。しかしそれは7世紀以降パレスチナに住み続けたアラブ人を排除する結果をともない、現在にいたるアラブとイスラエルとの尖鋭な対立の原因となった。
イスラエルとアラブとの戦いのルーツは紀元前13世紀からの歴史に根ざしている。あらためて紛争解決の困難さを感ずる。そういえば、PLOのアラファト議長が亡くなって大分経つが、毒殺されたのではないか?という記事もあったことを思い出した。

2013年4月3日水曜日

名言・警句


『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻104)
私の好きな名言・警句の紹介(その99)-最近知った名言・警句のなかから、一部紹介する。
美輪明宏(歌手、77歳。2012年「NHK紅白歌合戦」に初出場して、1965年発表の自作曲「ヨイトマケの唄」を熱唱。音楽配信サイト「レコチョク」が行った「紅白で最も印象に残ったアーティスト」投票で1位に)60年同じスタンスでやってきましたでしょ。これまでも『美輪は変わらないのに、世間がついてきた』と言われてきました。今度もそうかな、と」、「日本の美を知る環境に育ち、それが軍国主義であっという間に否定されるのを見てきました。私のスタイルは、軍国主義に対するレジスタンス、戦闘服なんです(「毎日新聞」130日朝刊、「『歌う美輪さん』衝撃」)二木コメント-私も40年間「同じスタンスでやってきました」が、美輪さんを見習ってさらに20年それを続けようと思いました。私は、日本がまだ貧しかった1950年代の日雇い労働者(ヨイトマケ)の汗と涙を正面から歌い上げた「ヨイトマケの唄」は、社会福祉の「どんなきれいな」政策よりも、「どんなきれいな」理論よりも、日雇い労働者を「励まし慰め」、彼らに対する偏見や差別の解消に貢献したと信じており、1994年から現在に至るまで20年間、日本福祉大学のゼミコンパ、学部・大学院の講義、各種の懇親会で歌っています。2006年には、この唄を国際的にも広めるべく、本学の小泉純一教授(英語)の助言も受けながら、歌詞を実際に歌えるように英訳しました。同じ年に、韓国人と中国人の友人に頼んで韓国語訳・中国語訳も作ってもらい、各種国際会議の懇親会では、できるだけ、日英中韓4か国語版のヨイトマケの唄の歌詞を配布しています(以上、41日に出版予定の近著『福祉教育はいかにあるべきか-演習指導と論文指導』勁草書房、第1)4月に日本福祉大学学長に就任したら、この唄を(事実上の)「日本福祉大学第二校歌」にしたいと、密かに考えています。なお、各国語訳をご希望の方には個別に差し上げますので、ご連絡下さい(著作権法上、本「ニューズレター」に掲載することはできません)
   山田洋次(映画監督。新作「東京家族」(1953)は映画史に輝
小津安二郎「東京物語」を、東日本大震災後の現代に舞台を移し
て「なぞった」作品)「『東京物語』と『東京家族』で見終わった後の
印象が違うとしたら、小津さんと僕の人生観が少し違うってことじ
ゃないですかね。小津さんは、やっぱり少し冷たいんです。人生
を突き放してみているところがある。虚無的ですよね。僕は希望
というのを捨てたくない。見つけにくいものですけどね(「朝日新
聞」2013130日朝刊、「山田洋次『東京家族』語る」)二木コメ
ント-山田監督は、「武士の一分」(2006年公開)でも、次のように
「希望」を語っていました。
 私も、「東京家族」を観た。「東京物語」をもう一度観たいと思い、ツタヤに行ったら、貸し出してあった。近いうちに観てみたい。
 三輪明宏氏は、現在の煌びやかな格好に惑わされてはいけない。ものすごく筋の通った人間であると思う。

2013年4月1日月曜日

震災日録


以前にも紹介した、森まゆみさんの著書「震災日録」(記憶を記録する)から。
昨日、田名加さんが言っていたことが頭から離れない。「金をもらって原発を認めてしまった人はその責任をとらなければならない。原発内で出た使用済み核燃料は製造物責任でそこに置いておくしかありません。
岩手のほとんど汚染されていないがれきを東京が引き受けるのはまだしも。大熊町へ双葉町の住民は核を受け入れた責任をとるべきだし、除染は移染にすぎない。もうそろそろきれいごとはやめて、もうここには住めない、ならどうするか、ということを提起しなければならない。こういうと東京の住民を喜ばせるだけかもしれませんが。
福島の子どもに罪はないのに、と私が言うと、「それもキレイゴトだと思う。子どもを守るのは親の責任です。親が子どもを逃がすか、一緒に避難するか、そこに留まることを選ぶか、それによって子どもの未来が決まるでしょう。国が住民の命なんか守りつこないことは証明済みですから」。
30年近く、原発と対峙し、差止訴訟の中心におられる方の冷静なきびしい言葉である。田名加さんは志賀原発から近い羽咋市でヨウ素剤を配布するよう運動し、成功した。
「原子力を受け入れるということは、海も空も田畑も汚し、取りかえしのないことになるんだということを、覚悟して受け入れるならいい。無責任にただ金をもらいへ地域振興の甘い夢に乗せられて、原子カムラのいいなりになる人が多すぎる。ムラなんてかわいいものじゃない。日本は政財官学マスコミのよってたかってつくった原子力帝国です」。
注:文中の田名加氏は、おそらく「多名賀哲也」氏のことだと思う。誤字と思われる。
多名賀氏は30年以上、原発問題に向き合ってきた人だけに、綺麗ごとでない言葉だが、重い言葉と考える。よってたかってつくった原子力帝国・・・。