2013年4月25日木曜日

谷間の分野



以前にも紹介したことのある、森まゆみ氏の「貧楽暮らし」というエッセイからおもしろい一話を紹介したい。
谷間の分野
友だちのシャンソン歌手が言う。「夜の酒場で好きで歌ってはいるんだけど、歌謡曲やポップスみたいにCDが売れるわけじゃないし、かといってクラッシックみたい音大で教えたり、音楽の賞をもらえたりするわけでもないし。ほんとに谷間の分野なのよ」
カンツオーネ、ジャズ、私の好きなポルトガルの歌謡ファドなどを歌う人も同じようなものだろう。
ある時、フランス人形を作る職人からも聞いた。「僕らは、いくらよくできたな、 うまくなったな、と思っても所詮、 客間の飾り物ですからね。これが日本人形なら伝統工芸士、ときには人間国宝になったりしますが」
同じように努力して芸を磨いても、日の当たらない、報われない分野は多いものだ。文芸でいえば小説以外にも詩、歌、俳句、川柳、随筆、ノンフィクション、伝記、紀行、インタビューなど様々な分野、表現手法があるが、いまだに小説ばかりが賞も多いし、王様扱いである。
もちろん“人のものさし”で自分を測ることはないのだけれど、評価されないとすたれ、消えてしまう文化もある。
例えば建造物や調度品、家具、着物、食器は重要文化財になる。また重要無形文化財にも陶芸家、漆器家、書家、彫金家、染織家などが指定される。しかし肝心の、その器に盛られた食文化というのは評価されにくい。
どんなに上手に料理をつくる人がいても、人間国宝(正確には重要無形文化財)になったという話は聞かない。器づくりばかりが文化財になる。聞いた話だが、韓国にはキムチ漬けの国宝みたいな人がいるという。
さかのぼって食事の素材を採り、育てる農業、畜産、漁業の分野だって、長い文化と伝統の上に独特の技術を持つ人がいるはずなのに、それを“文化としてとらえ、評価するまなざしがないようだ。
一方、いわゆる伝統芸能の世界では、大名おかかえの芸術であった能楽を頂点として序列があるように見える。また梨園の名家の出というだけで、演技もハテナなのに、賞を得て偉くなる人もいる。能は女の出る幕ではないという感じ。新内、歌沢などの序列は低い。
やっと新内節からお二人が重要無形文化財、いわゆる人間国宝になった。新内は浄瑠璃から派生した語り物である。遊女との心中を多く歌って江戸時代、禁じられたこともあり、また花柳の巷を二挺三味線で語って歩くことからしばしば門付けと混同された。 
百一歳で亡くなった岡本文弥の伝記を書いたことがある。この方は無形文化財新内節の保持者ではあったが、人間国宝にはならなかった。「よく間違われるので、あたしは人間国宝じゃなくて人間骨董です、と言ってるんです」と笑っていた師匠の顔を思い出す。
私は、人間国宝はまだしも、「国民栄誉賞」、どうしてこんなものをつくるのかと思う。時の政府はうまく賞を利用して、政治に利用している。谷間の職人をもっともっと評価すべきである。

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