2013年4月5日金曜日

ユダヤ人の歴史


以前にも紹介したことがある「もういちど読む山川:世界史」をぱらぱら読んでみた。
その中で、「ユダヤ人の歴史」として以下の文章があった。
ユダヤ人の歴史
13世紀に南シリアのパレスチナ地方に侵入し定着したヘブライ人は、みずからをイスラエル人と称し、またユダヤ人ともよばれた。彼らはユダヤ教とキリスト教をうみだすとともに、唯一神ヤハウェへの信仰と選民思想とをよりどころに、いくたの苦難にたえながら、今日まで聖都イェルサレムを核として一体性を保ってきた民族である。
11世紀末に王国をたて、ダヴィデ・ソロモン両王のもとで栄えたが、その後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、さらに両国ともそれぞれアッシリアと新バビロニアによってほろばされる。なかでもユダ王国の滅亡に際しては多くのユダヤ人がとらえられて東方に送られ(バビロン捕囚)、彼らはペルシア王キュロスの手で解放され帰国を許されたものの、この時代に世界各地へのユダヤ人の離散(ディアスポラ)がはじまった。
祖国にとどまったユダヤ人はそののちも大国の抑圧に悩み、セレウコス朝シリアに対する抵抗に成功して一時独立を達成するけれども、ローマ帝国との戦いに敗れて、イェルサレムは破壊され、ディアスボラの動向もまた決定的となった。
中世から近代にいたるまでイスラエルの地はビザンツ帝国・アラブ人・十字軍・オスマン帝国そしてイギリスにあいついで支配されるが、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人たちも社会の下層にあって差別と抑圧の対象とされた。
19世紀の未、古代イスラエルの地にユダヤ人の国家を再建しようとする運動(シオニズム)がうまれ、第二次世界大戦後イスラエル建国となって結実する。しかしそれは7世紀以降パレスチナに住み続けたアラブ人を排除する結果をともない、現在にいたるアラブとイスラエルとの尖鋭な対立の原因となった。
イスラエルとアラブとの戦いのルーツは紀元前13世紀からの歴史に根ざしている。あらためて紛争解決の困難さを感ずる。そういえば、PLOのアラファト議長が亡くなって大分経つが、毒殺されたのではないか?という記事もあったことを思い出した。

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