2013年7月12日金曜日

ネットと世間

 ネットでの選挙活動が認められた。ネットとの付き合い方を改めて考えなくてはならない。以前にも紹介した佐藤直樹氏の「なぜ、日本人は世間と寝たがるのか」とう本のなかでネット上でのバッシングの文章があった。一部紹介する。
ネット上でのバッシング
最近でも、「世間」とメディアが一体となって加害者家族を非難し、当然のように、家族がメディアに向かって謝罪させられる。とくに、九八年以降保守化への逆転が生じ、「世間」が前景にせりだして以降、加害者家族に謝罪を要求するメディアスクラムが、以前と比較してもひどくなっているように思える。
それを辺見庸も、つぎのように批判している。
日常というものの実態はどうやら世間である。そう確信するにいたる出来事が次々に起きています。「略」また、JR岡山駅で一八歳の少年が居合わせた乗客を線路に突き落とす事件があり、事件後に謝罪記者会見にのぞんだ容疑者の父親がジーパン姿であったことがインターネット上で責めたてられました。私は唖然とせざるをえない。あまりにも馬鹿げた誹謗はいうまでもなく、あんなふうに容疑者の家族が申し開きをする必要があるのでしょうか。これは誰がさせていることなのか。世間の声を受けたマスコミが家族にやらせている。世間に強いられて家族がやらされている。これはこの国に特有な現象です。若い記者たちが当然のことのように容疑者の家族の記者会見を聞いている。したり顔で聞いている。私は危倶を禁じえません(「愛と痛み」より)
よく、犯罪ニュースでは、容疑者の近隣の人へのインタビューがある。容疑者のひととなりを聞いている映像が流される。これも世間のなせる技である。これがネット上でのバッシングを日常的に起こさせている原因になっている気がしてならない。

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