2013年7月18日木曜日

猫を抱いた父

梯久美子さんのエッセイ「猫を抱いた父」(求龍堂)から、まさにそのタイトルのエッセイを紹介する。
猫を抱いた父
一緒に旅をして、いままで知らなかった父を発見した。イスタンブールの街角で靴磨きのおじさんにタバコをねだられ,並んで一服している姿を少し離れたところから見ていると'まるで知らない人のように見えた。
エフエソスという遺跡の町で、神殿の柱の陰に一匹の子猫がいた。足元にまつわりついてきたその猫を、父は抱き上げた。父が猫に触るのを見たのは初めてである。
「おれは子供の頃、いつも猫と寝ていたんだよ」
喉を撫でながら言う。初耳だった。そういえば父は幼い頃に母親を亡くしている。子供時代の父の姿を、初めて想像してみた。猫を抱いてひとりで眠る幼い男の子が目に浮かんだ。
当時六十九歳の父は、オリーブ油とチーズがたっぷり使われたトルコ料理を毎食残さずたいらげ、日本食が食べたいとは一度も言わなかった。観光地の駐車場で'子供たちが次々に絵葉書を売りに来ると,黙って同じものを何セットも買い、バスの窓から見えなくなるまで手を振った。
父は陸軍少年飛行兵学校にいたときに戦争が終わり、戦後は自衛官になった。娘の目から見ると、ただただ謹厳実直で面白みのない人だった。けれども旅の時間の中では、違う顔が見えた。三十代も半ばになるまで、私は父のことをほとんど知らずに来たことに気がついた。
子供の頃から、父とのコミュニケーションはあまりなかった。完全な放任で、学期末に通知表を見せしっけろと言われたことさえない。躾に類することも、小学生のとき食事中に肘をついて叱られた記憶があるくらいで、正直に生きよとか、人には優しくしろなどという人生訓めいたものをロにするのを聞いた覚えもない。進学や就職のときもアドバイスはなかった。
自由な半面、あまり期待されていないんだなあと、少し寂しい気持ちで育ってきた。一対一で五分以上話したことはおそらくないと思う。いま思えば、子供と会話する語彙をもたない人なのかもしれない。
帰りの空港のロビーで、父が長椅子に座ってタバコを吸っていると、若い男が近づいてきた。私は少し離れたコーヒースタンドにいたのだが、怪しげな団体が寄付をねだりにきたのだと思った。海外の空港で、そういう経験をたくさんしていたからだ。海外旅行は初めてで英語もわからない父は、いいカモである。
声をかけられた父は、吸っていたタバコを灰皿で消し、姿勢を正して、隣に座った相手に向き直った。男は手にクリップボードを持ち、何事か質問している。彼が去って言った後、父に「何だったの」と訊くと、空港の使い勝手についてのアンケートを取りにきた職員だという。
「きちんとした青年だったよ。片言だけど日本語もできた」
私だったら、用件を聞く前に追い払ったろう。見知らぬ男に、礼儀正しくタバコを消して向き合った父の姿に、旅慣れたつもりで、いつのまにか倣慢になっていた自分を反省した。
その後も父と何度か旅をした。少しずつ、ひとりの男性としての父が見えてきた。私が父を再発見できる歳になるまで元気でいてくれたことを、ありがたく思う。
まさに、私の父と同じ年代である。昔の父親はこんな人が多かったと思う。父との関係でこんなエッセイを書ける著者は羨ましい。いい文章である。


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