2013年7月8日月曜日

まっとうな店

 
 毎日新聞の日曜版に海原純子氏の「新・心のサプリ」は以前にも紹介したことがあるが、面白い。77日のエッセイの一部を紹介する。東京の千駄木、根津あたりの個性的な店での食事の話であるが、近頃はやりのチェーンのレストランと比較している。
まっとうな店
さて、仕事場の付近でお昼を食べるようになってちょっと驚いた。何軒かの店に行ったが、各々個性的。そして共通しているのは、とても「まっとうな」感じがすることである。最近都心ではレストランの対応であれっと思うことがしばしばある。お客が数人しかいなくてスタッフは多いのに対応が間に合わないレストランや、見かけだけはきれいだけれど料理はいい加減でコストパフォーマンス最優先の店などがそれだ。
ところが、仕事場周辺の小さな店はどこに行ってもまっとうなお昼が食べられる。少ないスタッフでフル回転。20席余りをフロアの青年一人で仕切っていたり、民家の12階を一人で切り盛りするシェフ兼経営者兼ウエートレスの女性の、気どりも無駄もなく、しかし温かくほっとする対応はしばらく忘れていた昔の感覚だ。
なまっとうな感じがするのは何故だろうと考えると、二つの要素があることに気づいた。ひとつは店で働く人すべてが「人ごと」になっていないことだ。自分の役割分担だけでなく全体をみて仕事をしている。一体感があるのだ。第二は、力の出し惜しみをせず全力で仕事をしていることである。時間だけいればいいや、という仕事ぶりで労を惜しむようなサービスに慣れていた近ごろ、安価な昼食だからと手ぬきをしない姿勢で働く人たちをみると、これが日本のよさなのだなあ、と思えてくる。
一体感、力の出し惜しみをしない、という二つの要素は大きな意味をもつように思える。何故なら自分の仕事の分担を全力で担いながら他者とのかかわりを大切にし、全体の方向性をきちんとみすえる、という仕事のやり方は社会の中での個人の生き方に通じるものがあるからだ。
自分の分担だけをして他の人が何をしているか全く知らず、従って全体がどういう方向に進んでいるかについて関心はなく、他人のことなど関係ない、という仕事のやり方は現代の都会の風潮で、そのことがそのまま都会の問題点になっているのではないだろうか。
人事でない、力の出し惜しみをしない、一体感、これらは言葉は、そのまま、われわれの職場に当てはめて考えたい。

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