2013年10月15日火曜日

イアン・ブルマ

   東洋経済にイアン・ブルマ氏(米バード大学教授)世界の視点のコーナーで「キリスト教軟化と集団的道徳の崩壊」という文章を書いている。その中の一部を紹介。
   集団行動の道徳的基盤を確立する新しい方法ははたしてあるのだろうか。世界の形を変える新しい市民ネットワークのためのスペースを提供することで、インターネットがその役割を果たすだろうと考える夢想家もいる。SNSが大義名分のために人々を結集するという考えもある。
   だがネットは、実際には、私たちを逆方向に向かわせている。ネットにけしかけられて私たちはナルシシスト的消費者となり、自分の「いいね」を表したり、誰とも気持ちが本当に通じ合っているわけではないのに私生活の一から十までをシェアしたりしている。
   これは、善悪を定義したり集団における意義や目的を確立したりする新しい方法を見出す際、何の拠り所にもならない。ネットが果たしてきたのは、営利企業が私たちの生活や思考、欲求に関する巨大なデータベースを構築するのを容易にするという役割だ。
   大企業はこの情報を大きな政府に横流しする。だからスノーデン氏の良心は、政府の機密を私たち全員とシェアしなければ、と彼に思わせたのである。スノーデン氏は私たちに「いいこと」をしてくれたのかもしれないが、私としては懐疑的だ。
   前後の文章がないので、理解し難いかもしれないが、「ネットが果たしてきたのは、営利企業が私たちの生活や思考、欲求に関する巨大なデータベースを構築するのを容易にするという役割だ。」というところは、鋭い視点である。

0 件のコメント:

コメントを投稿