2013年10月11日金曜日

POPEYE


   月刊「POPEYE」をご存知だろうか。主に若者をターゲットにした、写真が多い雑誌である。これが結構、大人にも読める記事もあるのだ。今回「大人になるには?」という特集を組んでいたので購入した。その中で、24歳のライターが山田太一インタビューした記事を紹介する。以下その概要である。
   確かに、人を知るということは大人になるひとつの方法なのかもしれない。そういう意味では、ドラマを見ることはものすごく勉強になる。ある日、編集長に借りた「ふぞろいの林檎たち」を見て、ぼくはそう思った。昔のドラマだと甘く見ていたが、人間のどうしようもない悲しさをここまで感じたシーンはあまり見たことがない。
   ぼくはこの話の生みの親にどうしても会いたくなった。だめもとで事務所に電話をかけてみると優しい声のおじさんが出た。まさかの本人である。あたふたしながら企画を説明すると「じゃあ来週の金曜日の16時に喫茶店で」とお茶の約束をするような軽やかさで取材が決まった。即決である。当日、デパートの中にある喫茶店に山田太一さんはフラッと現れた。
   「こんにちは、山田です」あの名シーン、“ヌカれ泣き”を作った人とは思えない物腰の柔らかさに驚いた。
「大人ですか? ほっといてもなりますよ(笑)。まぁ、固いことを言わないのが大人なのかなあ」
   ぼくは、その言い方から「この人は、やはり、相当な不良なのではないか」と思った。「若いときは、自分の正しさに燃えますからね。それも他人からインプットされた正しさに。その視点で世界を全部捉えられるぞと興奮して万能感を手にした気になったりね。でも、それは大抵間違い(笑)。人間はものすごく偶然の中にいて、非常に不平等な世界で生きてる。同じ時代に生まれた人でもまったく平等じゃないでしょ? しかも、個人差がある上に、その時代にたまたま適応できる人とできない人がいる。そんな中で失敗する場合もあるし、成功する場合もある。でも、それは自分の力じゃないんですよね。多くの要因は、“なにか”のせいですよ。それが自分のコントロールのおかげだと思っていたらちょっとバカね(笑)」
24歳で、やる気に満ちた発言をすると「若いからなんでもできる」と応援されることはあるけれど、“間違い”と言われることはなかなかない。でも、山田さんにはきっと若者の“間違い”の原因が見えているのだろうと、その不敵な笑みを見て感じた。
   「若いときは、努力すればなんとかなるっていう一本調子の人生観じゃないですか。正しいものは勝つ!とかね。でも世の中をみていると「勝たないことがある」ことがわかってくる。そうすると、人っていうのは、自分を棚に上げられなくなりますよね。道徳とか倫理に反する人を徹底的に叩くということができないはずなんですよ。「もしかすると、自分がその状況でもやるかもしれない」という留保を持つようになるんです。だから、大人かどうかはそういう認識を意識的、知的に持つか持たないかだと思いますね。子供は自分のことはピュアだと思っているから、「あいつは信じられない奴だ」とか言って、極端になると死ねとか思ったりするでしょ。だから、原理主義というのは子供の考えですね」
   そう考えると、あの中井貴一はどうなのか? あのやるせない怒りには時代を超えたなにかを感じるけど、山田さんから見て今の時代はどう見えるのだろうか。
   「社会の大きな流れは止めることはできませんね。現代で言うと世の中が過度にテクノロジー化していくという流れはもう止められませんよね。でも、一人一人はブレーキをかけられますよね。ぼくは普段ほとんど車を使わないで電車に乗ったり、歩いたりしているんですけど、そうするといろんな人を見られるんですよ。効率のよい、体を使わない日々より味が深い。テクノロジーに対して、自分の中でストップをかけられるのも大人の教養だと思いますね。 
   最近は、ちょっと不自由とかちょっと不便とか、ちょっと貧乏ってかっこいいなって思ってます。みんなで新しいものを追いかけて「おれは人より適応した」と未来に向かって競うっていうことは、みんなで現代を逃げているんですよね。現代を生きていないのね。だから、みなさん現代を生きましょう(笑)」
   「テクノロジーに対して自分の中でストップをかけられるのも大人の教養」「原理主義というのは子どもの考え」という考えは言い得ている。自分の力でなんでもできると勘違いしている政治家がいかに多いことか。

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