2013年10月4日金曜日

死に支度

 月刊誌「群像」に連載されている「死に支度」という小説の一部分を紹介する。はたして作家はだれでしょうか。

春の革命
   台所で、食べ終ったばかりの食器を洗いながら、私は首を廻して背後の壁の時計を見た。七時二十分と確かめると、思わずひとり笑いがこみあげてきた。こんなに早く、こんなに食器の数の少ない朝食を私は四十年近くもこの寂庵でとったことがない。たいてい寂庵に居る時は、深夜も、早朝もひたすら机にしがみつき、書きに書いていて、私の眠りは深い代りに至って短い。
   スタッフたちの就業時間は朝九時から午后五時まで、量食休みは適当にと決めてあるので、九時ぎりぎりまで誰も出勤して来ない。彼女たちが揃い、いっせいに雨戸をくったり掃除の物音を賑やかにたてはじめると、ようやく私は目を覚まし、寝足りない仏頂面で、みんなに「おはよう」と声をかけるのだった。まだ頭の中に書きかけの原稿が重くわだかまっている時は、向うから「おはようございます」と挨拶されても耳に入らず、むっとした顔つきのまま、返事もしない時があるらしい。彼女たちは、長い歳月の間に、私のそんな表情の意味も読みとっていて、そういう時は自分たちも足音をつつしみ、黙って香り高いコーヒーだけをさしだしてくれる。
「どうかもう台所に来ないで下さい」台所一切を取りしきっていたハンちゃんこと森はるみから、ある朝、面と向って宣告されたのは何年前のことだったか。
   「どうして?」
   「だって、先生が台所に見えると、必ず食器の数が増えるんですもの」
   聞いていた他のスタッフが声を揃えて笑う。私が台所で何か手出しをすれば、粗相して食器を割ってしまうということなのだ。一緒に昼食を取りながら、岡本かの子はよく台所で自分が食器を割ることを食器の数が増えると表現したと、笑い話にしたことを覚えているのだ。そのかわり、私は彼女たちがどんな高価な食器をこわした時も怒ったためしはない。
   「物は、いつかはこわれるのよ。人は必ず死ぬ。逢った者は別れる。それが人生の法則だから。こわした時はごまかさずに、今度から気をつけますと、謝ればいいのよ」
   自分の粗相に脅えていたスタッフは、ほっとした顔になり改めて両手をついて謝るのだった。その真似をして、私はかしこまってハンちゃんに深く頭を下げた。
「いやだ、そんな芝居みたいなことをして、からかわないで下さいよ」
   年と共に体つきにも性根にも貫禄を増してきたはるみを、昔のままハンちゃんと呼ぶのは私だけで、次々増えてくるスタッフたちは、誰が言いだしたか、みんな「お姉さん」と彼女に呼びかけ、自然に敬語を使うようになっている。年中旅に出て留守がちか、在庵の時には仕事に追われて上の空の私は、頼りにならないと見え、いつの間にか全員が何事によらずはるみの指示で動いていた。私の食事の世話は、はるみが一手に引き受け、ほとんど他のスタッフに手を出させない。
   作家の名前は「瀬戸内寂聴」である。今年の5月で91歳になった。この年でまだ連載を書いているだけでもすごいのに、文章が若い。「物は、いつかはこわれる。人は必ず死ぬ。逢ったものは別れる・・」まさにその通り。
因みに90歳は卒寿という。卒の略字は「卆」と書く。九と十と書くので90歳を「そつ寿」と言う。卆寿を過ぎてなお健在である。

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