2013年10月9日水曜日

いわさきちひろ

   文藝別冊「いわさきちひろ」を読む。ちひろ関連本は年に何度か見たり、読んだりすると心がやすらぐ。今回読んだなかで、ちひろが2人の結婚にかんするエピソードを書いている。一部紹介する

   わたしの結婚
   「花とぶどう酒とーーー二人だけの結婚式」 いわさきちひろ
松川事件、三鷹事件があいついでおこったころでした。画の勉強をしていた私は、ふと絵筆をおきました。これはとてもたいへんなことです。この真実をすこしでもおおくの人に知ってもらいたいと、私はポスターはりやビラくばりを急にいっしょうけんめいにやりだしました。そんな私たちのところへ、国会の共産党の秘書をしている青年が、ある日入ってきました。
   ナッパ服をきて、ゾウリはきの人でした。彼はよく何か用事をつくって私のところにやってきました。
   「絵をみせてください」ともいってきました。そして食事をしていくのです。飯ごう一ぱいのごはんとイカの煮つけが一日中の食事といった自すい生活をしていた彼でしたから、ほんとは女の人の手づくりの料理が目あてだったかもしれません。
   「善明さんって、ステキ!」とおっしゃる若い娘さんもあるそうですが、そのころの松本はけっして素敵なんてものではありません。ビラはりにいくのにも、二人であるくのにも、神田の舗装道路をピタピタとゾウリはきなのです。靴が買えないのだろうかと思った私は、さいわい画料が入ったので、
   「靴を買ってあげましょうか」といいますと、
   「ぼく、靴なら家に六足ももっている。でもぼくは一生、革命に身をささげるんだから、靴など買う身分にはならないと思う。だから六足の靴は一生だいじにはくんだ」
というのです。
   結婚してから私がこの話をもちだすとてれくさそうに“つまらない話はよせ”といいますが、一生貧乏な生活をしていくんだと確信をもっていった二十三歳の青年に、私がひどくうたれたことはたしかです。
   私たちが結婚したころのことを話しあうと、松本は、私が結婚を申しこんだのだといいます。私が「マルクスの奥さんは年上ね、レーニンもねーー 」といったのが、松本より年上の私の結婚申しこみだというのです。私はそんなつもりでいったのではないと主張します。そしておしまいには「錯覚結婚だ」といって笑ってしまうのです。
   ちひろの夫はご存知のように、元共産党国会議員だった「松本善明」である。終戦後5年たった時、6歳年下の「革命に生きる人」と結婚した「いわさきちひろ」は本当に純粋な人だったと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿