2013年10月23日水曜日

校庭に東風吹いて


 赤旗連載小説「校庭に東風吹いて」の159回目を紹介する。真治と知世は夫婦、ユリはその娘。彰は知世の兄で、母親を妹の夫婦に面倒を見て貰う内容のところである。作家は柴垣文子氏である。
   二月の連休が始まった日、名古屋の兄が訪れた。知世は真治とユリとともに出迎えた。彰は和室に入ると、畳に両手をついた。
「きょうだいを代表して、お礼とお願いに上がりました。母との同居を引き受けていただいて、ありがとうございます。よろしくお願いします」
   「分かりました」真治は真面目な顔で答え、ユリはうつむいている。「楽にしてよ」知世は言った。しかし、兄は正座したままだった。
再び、兄は深く頭を下げた。「たくさんのきょうだいがいながら、真治君たちに頼むのは心苦しいことです。それでも無理を承知でお願いしたいのです。ここで暮らしたいという母の望みをかなえてやりたいのです。ユリちゃんも頼みます」
   彰の言葉に、ユリが驚いた様子で顔を上げた。「はい」うわずった声で応えた。真治が口を開いた。
   「お義母さんと家族になりたいと思いますので、よろしくお願にいいします。お義兄さん、今回、家族について考えました」
「真治君の家族論を聞きたいものですね」
   「家族論というほどのことではありません。結局、苦楽をともにする、という昔の言葉にいきつきました。同じ食卓を囲む、同じ庭を眺める、ひとつ屋根の下で暮らす、日常の暮らしを積み重ねて、苦楽をともにすることだと思うんです」
   「よろしくお願いします」再び、兄は深く頭を下げた。
「知世は働いていて、僕には転勤の話があります。しかし、これまでも、厳しい局面をなん度も切り抜けてきました。今回も精いっぱいやります」真治の声は明るかった。
   「さあ、楽にして」知世はお茶を勧めた。茶わんを手に取り、すすってから彰が口を開いた。
   「しばらくの間、おふくろと一緒に暮らしてみて分かったよ。やはり、時間と労力は考えていた以上だ。通院はあるし、三食の糖尿病食を作らなければならない。一日も休みなしだ」
その言葉に昨秋、しばらくの間だったが、母と一緒に暮らしたときの気ぜわしかった日々がよぎった。
   「僕はなぜか、お義母さんと気が合います。だから、家族になれると思います」真治が快活な口調で言うと、彰は頬をゆるめた。
「ありがたい言葉だが、同居が双方に強いストレスを生むことはまちがいない。お互いに距離が必要だろうな。知世は一緒に入浴していたそうだな。おふくろは喜んでいたよ。だが、おふくろは一人で入浴できる。知世はとも働きだ。自分の時間を大切にした方がいいよ」
   距離が必要、という言葉に思い当たることがあった。「考えてみます」知世は答えた。「ところで、おふくろの永住の場所について、きょうだいの意見が、いろいろあったのには驚いたよ。なん度もやり取りをして、最後は親の意思を尊重することにまとめたよ」
   東風は(ひがしかぜ)と読むのだろう。古典では(こち)と言う。
「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は菅原道真の歌である。この時は東風(こち)である。
   それはいいとして、「同じ食卓を囲む、同じ庭を眺める、ひとつ屋根の下で暮らす、日常の暮らしを積み重ねて、苦楽をともにすることだと思うんです」という言葉、身につまされる。

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