2013年11月30日土曜日

「NOとう言葉」


 出張帰りに新宿西口で、「ビッグイシュー」を購入した。寒い中、若者が頑張って売っていた。私と同年代の人も購入していた。その中で、雨宮処凛氏の連載エッセイを紹介する。

嫌なことには嫌と言う    雨宮処凛

最近、刺激的なシンポジウムに参加した。それは「こうのとりのゆりかご」、通称「赤ちゃんポスト」のシンポジウム。さまざまな事情から親が育てられなくなった子どもを受け入れる施設で、07年に熊本の病院に開設されて以来、92件の利用者があったという。この「赤ちゃんポスト」については「捨て子を助長する」「虐待などで命を命われるよりはマシ」など、賛否両論さまざまだ。

しかし、シンポジウムに参加して、「とにかく赤ちゃんの命を救いたい」という病院の人たちの思いに触れた。「どうにもならなくなった時にここにくれば大丈夫、という象徴でありたい。本当は利用者がいない方がいい」という思い。一方、望まない妊娠の果てに生まれた赤ちゃんがトイレや駅に放置され、命を満としてしまうような事件が起きていることはご存じの通りだ。

そんな事件が起きると、すぐに「無責任な母親」がバッシングに遭う。しかし、その背景にはさまざまな事情がある。レイプなどの性暴力、不倫、妊娠させた男性が逃げた、などなど。シンポジウムで痛感したのは、「男の身勝手」だ。女性を妊娠させても、男は逃げることができる。しかし、女性は自らの身体からは逃げられない。誰にも妊娠を告げられないまま悩み抜き、たった一人で自宅や車の中で出産し、泣く泣く赤ちゃんボストを頼るー。熊本にある赤ちゃんボストの利用者の9割が、県外からやってきた人だという。

そんなシンポジウムで上野千鶴子さんとご一緒させていただいたのだが、上野さんの言葉に、目が覚めるような「気づき」をもらった。それは「避妊」について語っていた時。裸で向き合っていても男性に「避妊して」と言えないような関係性はおかしい、という主旨の発言のあとに、上野さんは言ったのだ。

NOと言えないのは、愛されていない、大事にされていないということ」

そうなのだ。男女関係に限らず、嫌なことにはっきり「嫌」と言えないのは、「愛されている」「大切にされている」自身がないからだ。自分がマトモに愛され、大切にされていると感じるとき、人はちゃんと自分の意思を表明できる。だけどそれができないということは、どこかで「大事にされてない」ことをわかっているのだ。

上野さんの言葉で、私を大切に思ってくれている人と、そうでない人が急にはっきりした。どんなことに対しても私がちゃんと意思を伝えられる人と、伝えられない人。大事にされていないのを認めるのはつらいことだったけど、認めると、ふと気が楽になった。 

嫌なことに嫌と言えないと、自分のことがどんどん嫌いになってしまう。「NO」という言葉を飲み込むたびに、人はたぷん、卑屈になってしまうのだ。

「男は逃げることができる」「「NOと言えないのは、愛されていない、大事にされていないということ」この二つの言葉は考えさせられる。

 

2013年11月25日月曜日

禁忌と秘密

   「熊野でプルートス読む」という本からエッセイをひとつ紹介する。もちろんこんな訳のわからないタイトルの本の著者は、以前にも紹介したことのある「辻原登」氏である。
   禁忌と秘密
   想像力を持つ。
   秦の始皇帝は、焚書坑儒というのをやった。
平凡社百科事典にはこうある。
「書物を焼き学者を生埋めにすること。医学、占術、農学以外の諸学派の書物は、政府の手でとりあげて焼き、儒教教典を読み、政治を批判する学者は死刑と定めた」
   ああ、今の世に生まれてよかった。もし始皇帝の時代にいたらどんなにつらかったか!
   想像力を持つというのは、こういうことではない。
秦の始皇帝の世に自分を置いてみる。そして、焚書坑儒におそれおののきながら、ひそかに、禁じられた『詩経』や「諸子百家」などを読み、自由な空想をはばたかせる自分の姿をありありと思い描き、秘密のよろこびを感じる。これがほんとうの想像力というものだ。
   私が、初就職したのは三十歳の時だった。雇うにあたって、その会社のオーナー社長は、私にあることを禁じた。もし違約すれば、即刻やめてもらう。秦の始皇帝めへと思った。
私は、十四年間、その約束を忠実に守った。厳しい商条件の異国へのセールスも、わがままな得意先の深夜におよぶ接待も、嬉々として、とまではいかなくても、まあそれなりの充実感をもってこなすことができた。
   なぜなら、私には秘密があったから。
じつは、社長が禁じたことというのは、「小説」だった。小説家志願だったことを知ったうえで、雇うことに決めた社長にしてみれば、当然すぎる命令である。
   しかし、私のサラリーマン生活を支えてくれたのも「小説」だった。つまり、私は十四年間、社長をあざむきつづけたのである。彼とのこのスリリングな関係は、いま思い出しても冷や汗が出る。四十四のとき、会社をやめた。くびではない。円満退社である。その後、1年に一、二回、酒をくみかわす。彼はいう。おれは、きみが約束を守っていないのをすぐ見破ったよ、だけど黙っていた。
ほんとうだろうか。
   焚書坑儒というこの凶々しいやつも、時に捨てたもんじゃないぞ、と思うことがある。きみの場合はどうか。
   「焚書坑儒」という言葉も知らない人が多くなったと思う。この中でのキーワードはやはり、「想像力を持つ」と「秘密」であろう。「秘密」は良いも、悪いも、魅力的な言葉だと思う。

2013年11月22日金曜日

書評

   佐藤優氏は、東洋経済の連載で新聞の書評について論じている。以下一部を紹介。
 書評にはさまざまなスタイルがあるが、まず重要なのは引用箇所をきちんと明示していること。長い書評で引用が一カ所もない場合、評者がテキストを精読していないと考えたほうがいい。そのような書評は読んでも時間の無駄である。
   さらに同じ本を取り上げた評者が異なる書評で、引用箇所が同一である場合も注意が必要だ。この場合は二つの可能性がある。
   第一は、後から書評を書いた人が先行書評を読んで、その内容をまねている場合。これは限りなく剽窃に近い行為なので書評家として論外だろう。
   第二は、出版社がつけてくる資料に基づき、書評している場合だ。こういう資料には作品の肝になるテキストが引用されている。資料に依存して書かれた書評は広告とほとんど差がなくなる。
   辻原登氏は「熊野でプルートスを読む」という氏の、書評本の中で以下のように言っている。本屋で「本屋大賞」なる、書店員が「おすすめ!」と言って推奨することに関して異議を唱えている。書店員は一般人より、本をどれくらい読みこなしているのか、読書人として釈然としないと。紹介するなら、きちんと本を読みこなしてから紹介しなさいと言っているのだ。
   私も、その通りだと思う。決して店内のポップスタンドの紹介では本は買ってはいけない。書評で本を買うなら、書評している人を選んだ方がいい。

2013年11月19日火曜日

普天間とカジノ

   東洋経済の歳川隆雄氏の「動き出した普天間基地問題」という記事が掲載されている。その中で、興味深い一部を紹介する。
   沖縄が求める条件
   その条件とは何か。この間、安倍首相の特命を受けて仲井眞知事と交渉を繰り返してきたのは菅義偉官房長官である。岸田文雄外相でも、小野寺五典防衛相でも、山本一太沖縄・北方担当相でもない。
   仲井眞知事が菅官房長官に提示した第一の条件は、9月に普天間基地に配備された米海兵隊のオスプレイ(垂直離着陸輸送機MV22)24機の県外訓練の早期実現である。
   第2の条件は、日米地位協定運用の見直しだ。在日米軍兵士(軍属を含む)の犯罪に関して、現行制度は米側による裁判の確定判決を日本側に通知することでよしとされていた。
   それは新たに未確定判決や軍の懲戒処分、不処分も日本側に通知することが義務づけられた。これまで米側の同意が必要であった被害者やその家族への開示を日本政府が行うようにするというものだ。来年1月1日以降の米兵の犯罪に適用される。 
   これら二つの条件がクリアされたうえで、仲井眞知事は菅官房長官との折衝の中で次なる条件を提示していたのだ。
   すなわち、沖縄本島北部地域の振興策である。これまで取りざたされていた沖縄南北を結ぶ鉄道建設構想もあるが、いま沖縄県が求めでいるのはカジノ設置構想、20年の東京五輪開催を控え、将来、普天間飛行場の完全移設が実現した場合、その跡地に統合型リゾートを建設するというものだ。
   政府は、移設反対派の稲嶺現市長の再選は織り込み済みで、次の一手「沖縄にカジノ設置」を餌にして、仲井眞知事に移設許可をもらおうとしているのだ。

2013年11月18日月曜日

古池や蛙飛び込む水の音

   辻原登氏の「熱い読書・冷たい読書」という変なタイトルの本を購入して早速読む。その中で、長谷川櫂氏の「句集 松島」の本の紹介をしている。芭蕉の「奥の細道」を、今までにない読み方をしている。以下、それに対しての辻原氏の評論である。
   古池や蛙飛びこむ水の音
   誰もが知っている芭蕉の句だが、いったいこの句のどこがすごいのだろうか。蕉風開眼の一旬、つまり俳諧に革命をもたらした名句として読まれ、この句が生まれて三百二十余年たっても、その評 価はゆるがない。
   しかし、正岡子規は、「古池の句の意義は一句の表面に現れたるだけの意義にして、また他に意義たるものなし」(「古池の句の弁」)と言い放つ。
   古池に蛙が飛びこんで、水の音がした。そこで、はっとそれまでの閑けさに気がついて、驚いた。まあそんなところか。
しかし、現代俳人の長谷川櫂が最近、興味深い読みを示した(古池に蛙は飛びこんだかと)。
   芭蕉が古池の句を詠んだのは貞享三年(一六八六年)春、深川の芭蕉庵で催された蛙の句合わせにおいてらしい。
   ここで、芭蕉はまず、蛙が水に飛びこむ音を聞いて、「蛙飛びこむ水のおと」と中下旬をつくった。さて、上五には何を置くか。
   其角が「山吹や」はどうかといった。それは、古今集の「かはづなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはまし物を」を踏まえたもので、古来、蛙とくればその鳴き声であったところを、水に飛びこむとぼけた昔をぶつけることで、伝統和歌をからかおうとしたわけだ。俳語の効用のひとつである。
   しかし、芭蕉は「山吹や」を択らず、「古池や」とした。
長谷川櫂の論の面白さはここからで、なぜ「古池に蛙飛びこむ水の音」でなく、「古池や」なのか。
   やは強い切れ字である。つまり上五と中下七五は切れている。断絶しているのだ。古池があって、そこに蛙が飛びこんで水音が上がる、それを聞いているという句ではないのだ。
   先に、芭蕉が、蛙が水に飛びこむ音を聞いて、あとから沈思黙考の末へ古池や、と置いたことを思い出してみよう。芭蕉は、蛙が飛びこむ音を聞いているが、古池をみているわけではない。どこにあるかも分からない。
   蛙も水の音も現実だが、古池は心に浮かんだどこにもない幻の池、夢の池、思い出の中の池、あるいは中国や日本の古典の中に描かれた池、つまり古い池なのだ。
   古池に蛙飛び込む水の音。こえならたしかに蛙は現実に古池にとびこんで、ポチャンと音をたてている。
   古池や蛙飛びこむ水の音。古池と蛙は別次元の世界に在る。蛙は現実の世界に、古池は想像の世界に。とすると、蛙は古池に飛びこめない。
   と、ここまで長谷川櫂の論をたどってきて、私は、それでも蛙は池にとびこんだと考える。蛙は現実の世界から、存在しない、幻の古池にとびこんだ。すると、水の音は、まるで死の世界に吸い込まれるように消えて、そこに広大無辺の閑けさの世界が生まれる。芭蕉はその閑けさに耳を傾けているのだ、と。
   その芭蕉が『おくのほそ道』の旅で、山形立石寺を訪ねて詠んだ句を思い出す。
   閑さや、岩にしみ入 蝉の声
この閑けさも、ただの閑けさでないことはいうまでもない。
   確かに、閑さやと蝉の声とは別の次元として捉えないと理解できない句である。
長谷川櫂、ただものではない。

2013年11月13日水曜日

二木立氏の「名言・警句」

   「二木立の医療経済政策・政策学関連ニューズレター」の「私の好きな名言・警句」の中から二名紹介する。
   大平政樹(石川県保険医協会副会長) 
「人にはいろんな生き方がある。その一つの尺度は権力との距離だと私は考えている。右も左もない。今、この大地に生きる人たちが等しく豊かに、誇りと尊厳をもって暮らす。そこを突き止めていくと、必ずその時代の権力とぶつかる。経済人であれ、文化人であれ、そして医療に係わるものであれ、それなりに歳を重ねると政治とも権力とも無縁では生きられぬ。賢く生きようとすれば、何かに目をつぶるしかない。私たちは生きていく上で、知らず知らず世のしがらみに縛られ、どこかで口を閉ざす。そうしなければ、自分自身が満身創痍となる。そうして、私自身はどこかで現実と折り合いを付けて生きてきた。それ故に[莇昭三]先生の生き様は私にはひたすらまぶしく、時に妬ましい」(『莇昭三業績集:いのちの平等を拓く-患者とともに歩んで60年』(日本評論社,2013,315-316頁「『戦争と医療』推薦の辞」。莇昭三氏は、全日本民医連名誉会長)。
   二木コメント-研究者にとっても、「権力との距離」の取り方は、常に意識・選択すべき重要な事柄だと思います。
下重暁子(日本ペンクラブ副会長、77歳)
「私は『仕事は趣味のように楽しく、趣味は仕事のように真剣に』と常日頃から言っていて、その境界はあまりなく、仕事も楽しむのが一番幸せだと思っているから苦にはならない。逆に趣味はほんとうに好きなら真剣にならざるを得ない」(『老いの戒め』海竜社,2003,223頁)。
   二木コメント-仕事と趣味の「境界はあまりなく」が鍵と思います。この境地は、本「ニューズレター」110号(2013年9月)で紹介した、納光弘氏の「趣味は努力」に通じると感じました。
 趣味は真剣には、できそうな気がする。仕事は楽しくはなかなか難しい。仕事はいい加減にとならないよう、戒めたい。

2013年11月11日月曜日

ボランティア

   毎日新聞の連載に「白川道の人生相談・天の耳」がある。白石氏と言えば、学生時代から無頼な人生を送ってきた作家である。今回の相談は60代の男性からの相談で、「3年前より、ホームレスを対象にした、ボランティアをしているが、動機が不純かとも考えている」との相談の回答である。
   ボランティア活動する人の動機は、人それぞれでしょう。なかには宗教的な背景からの人もいるでしょうし、政治的な考え方の人もいる。それとはまた別に、ただ純粋に、人や社会に貢献したいという思いの人もいる。はたまた、貴男のように、自分の人生体験から行動に移す人もいる。
   ただ断言できるのは、どんな背景や動機が因になっているにせよ、その活動は間違いなく、人や社会のために役立っているということです。
   人間ですから、十人いれば十人の考えがある。ですから、なかにはボランティア活動について、あれこれ言う人もいるでしょう。しかし、あれこれ言ってなにもしない人よりは、どんな小さな活動であってもする人のほうが良いことは分かりきったことです。小生と同級生の知人のなかには、もう二十年近くも、フィリピンの恵まれない子供たちを救おうと活動している人がいます。なぜフィリピンなのか?恵まれない子供はこの日本にも他の国にもたくさんいるではないか、と同窓会で嫌みを言われたりしていますが、でもそうした疑問はナンセンスです。その人はその人なりの動機があったのでしょうし、なにより身体はひとつであって、どこにでも手を差し伸べることはできないからです。ただはっきりと言えることは、その活動によって、フィリピンの恵まれない子供たちの何人かは確実に救われているということです。
   貴男が疑問を持たれるように、ボランティアには、もうひとつの側面があります。人のためというより、自分のためではないのか、というそれです。いいではないですか、ご白身のためで。そうすることによって、ご自分の心が満たされる。貴男の活動によって助かる人がいると同時に、ご自身も人間としての充実感を覚える。このことに疑問を持つこと自体がナンセンスです。
   私も、よく何故日本の恵まれない子どもの支援でなく、外国の子どもの支援なのかと考えてしまっていた。あまり身近だとやり難い支援もある。何事もやらないで文句ばかり言っているより、やってみることだ。今、やれることから。

2013年11月9日土曜日

分人

   平野啓一郎と聞いて大学在学中に芥川賞を受賞した小説家と、わかる人はかなりの本好きの人である。1975年生まれで、まだ38歳である。彼が「私とは何か」という本を書いた。一部紹介する。
    「本当の自分」幻想がはらむ問題
人間には、いくつもの顔がある。―― 私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然と様々な自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒臭がられるだけで、コミュニケーションは成立しない。
   だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人(individual)」ではない。複数の「(分割可能な)分人dividual」である。
   人間が常に首尾一貫した、分けられない存在だとすると、現に色々な顔があるというその事実と矛盾する。それを解消させるには、自我(= 「本当の自分」)は一つだけで、あとは、表面的に使い分けられたキャラや仮面、ペルソナ等に過ぎないと、価値の序列をつける以外にない。
   しかし、この考え方は間違っている。
   理由その一。もしそう考えるなら、私たちは、誰とも「本当の自分」でコミュニケ-ションを図ることが出来なくなるからだ。すべての人間関係が、キャラ同士、仮面同士の化しかし合いになる。それは、他者と自分とを両方とも不当に貶める錯覚であり、実感からも遠い。
   理由その二。分人は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも相手との相互作用の中で生じる。キャラや仮面という比喩は、表面的というだけでなく、一旦主体的に決めてしまうと硬直的で、インタラクティヴでない印象を与える。
   しかし、実際に私が実家の祖母や友人との間にそれぞれ持っている分人は、長い時間をかけたコミニュニケ-ションの中で、喜怒哀楽様々な反応を交換した結果である。また関係性の中でも変化し得る。何年も経てば、出会った頃とは、お互いに口調も表情も変わっているだろう。それを一々、仮面を付け替えたとか、仮面が変容したとか説明するのは無理がある。
   理由その三。他者と接している様々な分人には実体があるが、「本当の自分」には、実体がないからだ。―― そう、それは結局、幻想にすぎない。
   私たちは、たとえどんな相手であろうと、その人との対人関係の中だけで、自分のすべての可能性を発揮することは出来ない。中学時代の私が、小説を読み、美に憧れたり、人間の生死について考えたりしていたことを、級友と共有出来なかったのは、その一例である。だからこそ、どこかに「本当の自分」があるはずだと考えようとする。しかし、実のところ、小説に共感している私もまた、その作品世界との相互作用の中で生じたもう一つ別の分人に過ぎない。決してそれこそが、唯一価値を持っている自分ではなく、学校での顔は、その自分によって演じられ、使い分けられているのではないのだ。
   分人はすべて、「本当の自分」である。
   私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体そそのかがないにも拘らず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中そそのかされている。それが、「私」とは何か、という、アイデンティティの問いである。
   他者があっての自分、自分とはどう認識されるのかという、きわめて哲学的な命題を「分人」という言葉でわかりやすく説明しようとしている。
   よく、自分のゴルフができれば、自分の相撲ができれば、じぶんの・・・と言われることが多い。私は、自分の・・ができればという言葉が嫌いだ。その解がこの本の中にあるような気がした。

2013年11月7日木曜日

被爆労働

 月刊誌「世界」10月号に小出裕章氏のインタビュー記事が載っている。「福島第一原発はどうなっているか」の中で、“被爆労働は誰が担うのか”で以下のように言っている。
   被曝労働を誰が担うのか
   現場で収束作業にあたる作業員の方々の被曝線量が日々、積み重なっています。被曝低減のために何か必要でしょうか。
   小出 基本的には被曝の低減は難しいと思います。広島に落とされた原爆の何千倍、何万倍という放射性物質を閉じ込めようという作業です。しかし、先ほどもいいましたが、熔け落ちてどこにあるかわからない炉心を掴みだそうとするような選択をしてしまうと被曝量が膨大に増えてしまうので、そうした選択はするべきではないでしょう。
   汚染水問題を乗り越えるために、私は地下に遮水壁を作ることを提案していますが、その建設のためにも被曝は避けられません。汚染水をめぐっても作業員の被爆は増えています。被曝の避けようがない事態が今後もずっと続くでしょう。ですから、日々、その作業でどれだけ被曝するか、別のやりかたにすれば低減できるのか、 一回一回考えながら、少しでも被曝を減らしていくしかないでしょう。
   考えなければいけない問題は他にもあります。現在、被曝しながら作業をしているのは、 10次にも及ぶという下請け・孫請けの労働者です。その人たちの被曝管理がきちんとできているなどということは,私にはとうてい考えられません。公表されている数字よりもはるかに多い被曝を労働者はしていると思います。被爆線量をごまかせという指示を会社が出し、線量計に鉛のカバーをつけて被曝量を低く見せかけるということが起きました。雇う方にしてみれば、被曝量が低減きれば作業員を長く働かせることができます。しかし、問題は働く側の方です。現在の法律では、福島第一原発の事故収束に従事する労働者は作業中の合計で100ミリシーベルトの被爆まで許されることになっています。しかし、その100ミリシーベルトの被曝に達してしまうと、5年間、原発の仕事に従事することはできなくなります。そうなると、生活ができなくなります。労働者自身が被曝線量をごまかす、そういうところに追い込まれています。それがもっとも根本的な問題で、事故収束に向けては被曝そのものは避けられないけれども、このような構造はなくすべきです。
   一部の人に被曝のしわ寄せが行くようなありかたを改めると、今度はいまよりも人手が必要になります。被曝をごまかしていた分を別の労働者が担うことになります。チェルノブイリ事故の際には、60万から80万人といわれる労働者が収束作業に従事しました。その多くは軍人もしくは退役軍人です。そのほかにも多くの技術者や労働者が参加しています。チェルノブイリでは一つの原子炉が事故を起こしたのですが、福島では4つの原子炉です。これからどれだけの期間、収束に向けた作業を続けなければならないのか、どれだけの人数の労働者が必要になってくるのか、考えただけでも気が遠くなります。収束作業を続けていくことができるのか、不安になります。
   やはり、私も含め、原子力の現場にいた人間で、事故に対してそれなりに責任のある年齢の高い人間が被曝作業に従事すべきだと思います。私も参加していますが、若者に被曝させないために退役世代が中心になって呼び掛けている福島原発行動隊というような人たちが被爆作業に当たっていくことが必要だと思います。多くの日本人、特に責任のある人たちは率先して被曝労働を請け負ってほしいと思います。
   福島原発行動隊という提案はすごい。手厚い保障をしながら、責任ある人たちが請け負って欲しい。決して若い人にやらせてはいけない。

2013年11月5日火曜日

なくせ原発

   なくせ原発!福島大集会に参加してきた。福島を忘れないためにも参加したいと思っていた。集会の「アピール」を紹介する。
手と手をつなぎ、前へ進もう
   東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から2年8ケ月、福島は今も深刻な事態のただ中にあります。汚染水は流れつづけており、「コントロール」などできていません。原発事故・震災関連の死者数は認定されただけでも1500人を超え、直接の死者数を上回ろうとしています。そしてなにより、原発事故の収束が見通せないこと自体が私たちの不安の根底にあります。避難を強いられている方々は、不自由な仮暮らしをつづけています。原発事故は、あらゆる生活と営みにさまざまな被害を与えています。 
   しかし、わたしたちはそれらを乗り越えるため、そして、新しい福島をつくるため、懸命の努力を続けています。原発再稼働に反対し、原発即時ゼロへの運動も、県内はもとより全国各地で大きく広がっています。
   あなたのとなりを見てください。
ふるさとに戻ることを願いつづける人々がいます。
家族揃って暮らせる日がくることを待ち望んでいる人々がいます。
おいしい米を、野菜を、果物を、誇りをもって作りつつける人々がいます。
   漁で生計をたてる喜びを取り戻そうと、船や漁具の手入れをする人々がいます。
   日々、学び、選び、実践しながら、子どもたちの笑顔を守ろうと懸命な人々がいます。
   のびのびと野山をかけまわれる日を心待ちにしている子どもたちがいます。
   わたしたちは、うつむいてはいません。
   わたしたちは、希望をつないで前にむかっています。
わたしたちは、国も東京電力もこの福島の現実を直視すること、そして国が東京電力まかせでなく、全責任を持って対応にあたることを求めます。あらゆる立場のみなさんとさらに強く、大きく、手をつなぎましょう。
   「『収束宣言』を撤回し、汚染水問題の抜本的解決を!」
   「徹底した除染と完全賠償、健康管理と医療保障を!」
「福島原発はすべて廃炉に!再稼働をやめ、原発即時ゼロの決断を!」
   いのちと原発は共存できません。
わたしに、あなたに、未来につながるいのちに、美しい大地・空・海をひきつぐために、いま、声をあげましょう!もっともっと大きく広げましょう!
   「なくせ 原発! 安心して住み続けられる福島を!」
2013年11月2日
   なくせ! 原発 安心して住み続けられる福島を! 11・2ふくしま大集会
  福島の人はなぜこんなにも、おとなしいのだろう。避難者全員が国会を取り巻いて政府に抗議していいのではと考えてしまう。東電は破産処理して、国の責任で事故対応を!

2013年11月1日金曜日

この星に生きるために

   雑誌「世界」の10月号は(汚染水・高線量との苦闘)という特集をしている。其の中で藤田祐幸氏(元慶応大学助教授)が「福島後をどう生きるか」と題して書いている。その最後の部分を紹介する。
   この星に生きるために
   この放射性廃棄物の毒性の寿命は人類の歴史を凌鴛する。10万年という時間を考えれば、それはもちろん、たちの世代が責任を負うことはできないばかりか、いかなる企業も、いかなる国家も、いかなる国際機関も、人間が作るどのような組織も、費任を負うことのできる時間ではない。いったい誰が、どこに、どうやって、これを処分するのか、すべての問題を先送りにしたままここまで来てしまった。この道は後戻りのできない道である。
   この惑星は1万年ほど前に長く続いてきた氷河期が終わり、ゆっくりと温暖化の時代が始まった。氷雪に覆われていた大地が緑の沃野へと生まれ変わり始めた。人々の生活の場が広がり始めた。後に日本と呼ばれることになる列島でも、石器の時代から縄文土器の時代に変わっていった。それから1万年の時間が流れ、今の私たちがいる。その私たちが10万後の子孫たちに何を残してしまったのか。
   豊かな森林と、緑滴る沃野と、見渡す限りの湿原と干潟と、その先に広がる海と、世代を超えて受け継がれてきたこの豊穣の列島を、さらに豊かにして次の世代に引き渡すことが、私たちの世代の為すべきことではなかったか。福島で起こったことはこの1万年の歴史に対する冒涜ではなかったか。
   アメリカの先住民は重大なことを決めるときに、その決定が七世代あとの人たちにとってどのような意味があるかを、すべての価値の基準にしてきたと言われている。目先の利害にとらわれることなく、未来に対する判断をすることこそが、今求められているのではないだろうか。
   もう福島の前の時代に戻ることはできない。今、為すべきは、再び同じ悲劇を繰り返すことがないように、きちんとした歯止めをかけることである。まずはすべての原発を直ちに廃炉とし、福島の被害を最小限におしとどめることに、すべての知恵を集中しなければならない。そして、作り出してしまった放射性廃棄物の処分の道筋が見える時が来るまで、これを安全に保管する術を見いださねばなるまい。
   負の遺産の負担を最小限にして残すことこそが、この山に生きあわせてしまった私たちの世代の責任であろう。
   もう福島前の時代に戻ることはできないのだ。私も含めて今生きている大人の世代の責任は大きい。