2013年11月11日月曜日

ボランティア

   毎日新聞の連載に「白川道の人生相談・天の耳」がある。白石氏と言えば、学生時代から無頼な人生を送ってきた作家である。今回の相談は60代の男性からの相談で、「3年前より、ホームレスを対象にした、ボランティアをしているが、動機が不純かとも考えている」との相談の回答である。
   ボランティア活動する人の動機は、人それぞれでしょう。なかには宗教的な背景からの人もいるでしょうし、政治的な考え方の人もいる。それとはまた別に、ただ純粋に、人や社会に貢献したいという思いの人もいる。はたまた、貴男のように、自分の人生体験から行動に移す人もいる。
   ただ断言できるのは、どんな背景や動機が因になっているにせよ、その活動は間違いなく、人や社会のために役立っているということです。
   人間ですから、十人いれば十人の考えがある。ですから、なかにはボランティア活動について、あれこれ言う人もいるでしょう。しかし、あれこれ言ってなにもしない人よりは、どんな小さな活動であってもする人のほうが良いことは分かりきったことです。小生と同級生の知人のなかには、もう二十年近くも、フィリピンの恵まれない子供たちを救おうと活動している人がいます。なぜフィリピンなのか?恵まれない子供はこの日本にも他の国にもたくさんいるではないか、と同窓会で嫌みを言われたりしていますが、でもそうした疑問はナンセンスです。その人はその人なりの動機があったのでしょうし、なにより身体はひとつであって、どこにでも手を差し伸べることはできないからです。ただはっきりと言えることは、その活動によって、フィリピンの恵まれない子供たちの何人かは確実に救われているということです。
   貴男が疑問を持たれるように、ボランティアには、もうひとつの側面があります。人のためというより、自分のためではないのか、というそれです。いいではないですか、ご白身のためで。そうすることによって、ご自分の心が満たされる。貴男の活動によって助かる人がいると同時に、ご自身も人間としての充実感を覚える。このことに疑問を持つこと自体がナンセンスです。
   私も、よく何故日本の恵まれない子どもの支援でなく、外国の子どもの支援なのかと考えてしまっていた。あまり身近だとやり難い支援もある。何事もやらないで文句ばかり言っているより、やってみることだ。今、やれることから。

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