2013年11月30日土曜日

「NOとう言葉」


 出張帰りに新宿西口で、「ビッグイシュー」を購入した。寒い中、若者が頑張って売っていた。私と同年代の人も購入していた。その中で、雨宮処凛氏の連載エッセイを紹介する。

嫌なことには嫌と言う    雨宮処凛

最近、刺激的なシンポジウムに参加した。それは「こうのとりのゆりかご」、通称「赤ちゃんポスト」のシンポジウム。さまざまな事情から親が育てられなくなった子どもを受け入れる施設で、07年に熊本の病院に開設されて以来、92件の利用者があったという。この「赤ちゃんポスト」については「捨て子を助長する」「虐待などで命を命われるよりはマシ」など、賛否両論さまざまだ。

しかし、シンポジウムに参加して、「とにかく赤ちゃんの命を救いたい」という病院の人たちの思いに触れた。「どうにもならなくなった時にここにくれば大丈夫、という象徴でありたい。本当は利用者がいない方がいい」という思い。一方、望まない妊娠の果てに生まれた赤ちゃんがトイレや駅に放置され、命を満としてしまうような事件が起きていることはご存じの通りだ。

そんな事件が起きると、すぐに「無責任な母親」がバッシングに遭う。しかし、その背景にはさまざまな事情がある。レイプなどの性暴力、不倫、妊娠させた男性が逃げた、などなど。シンポジウムで痛感したのは、「男の身勝手」だ。女性を妊娠させても、男は逃げることができる。しかし、女性は自らの身体からは逃げられない。誰にも妊娠を告げられないまま悩み抜き、たった一人で自宅や車の中で出産し、泣く泣く赤ちゃんボストを頼るー。熊本にある赤ちゃんボストの利用者の9割が、県外からやってきた人だという。

そんなシンポジウムで上野千鶴子さんとご一緒させていただいたのだが、上野さんの言葉に、目が覚めるような「気づき」をもらった。それは「避妊」について語っていた時。裸で向き合っていても男性に「避妊して」と言えないような関係性はおかしい、という主旨の発言のあとに、上野さんは言ったのだ。

NOと言えないのは、愛されていない、大事にされていないということ」

そうなのだ。男女関係に限らず、嫌なことにはっきり「嫌」と言えないのは、「愛されている」「大切にされている」自身がないからだ。自分がマトモに愛され、大切にされていると感じるとき、人はちゃんと自分の意思を表明できる。だけどそれができないということは、どこかで「大事にされてない」ことをわかっているのだ。

上野さんの言葉で、私を大切に思ってくれている人と、そうでない人が急にはっきりした。どんなことに対しても私がちゃんと意思を伝えられる人と、伝えられない人。大事にされていないのを認めるのはつらいことだったけど、認めると、ふと気が楽になった。 

嫌なことに嫌と言えないと、自分のことがどんどん嫌いになってしまう。「NO」という言葉を飲み込むたびに、人はたぷん、卑屈になってしまうのだ。

「男は逃げることができる」「「NOと言えないのは、愛されていない、大事にされていないということ」この二つの言葉は考えさせられる。

 

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