2013年11月25日月曜日

禁忌と秘密

   「熊野でプルートス読む」という本からエッセイをひとつ紹介する。もちろんこんな訳のわからないタイトルの本の著者は、以前にも紹介したことのある「辻原登」氏である。
   禁忌と秘密
   想像力を持つ。
   秦の始皇帝は、焚書坑儒というのをやった。
平凡社百科事典にはこうある。
「書物を焼き学者を生埋めにすること。医学、占術、農学以外の諸学派の書物は、政府の手でとりあげて焼き、儒教教典を読み、政治を批判する学者は死刑と定めた」
   ああ、今の世に生まれてよかった。もし始皇帝の時代にいたらどんなにつらかったか!
   想像力を持つというのは、こういうことではない。
秦の始皇帝の世に自分を置いてみる。そして、焚書坑儒におそれおののきながら、ひそかに、禁じられた『詩経』や「諸子百家」などを読み、自由な空想をはばたかせる自分の姿をありありと思い描き、秘密のよろこびを感じる。これがほんとうの想像力というものだ。
   私が、初就職したのは三十歳の時だった。雇うにあたって、その会社のオーナー社長は、私にあることを禁じた。もし違約すれば、即刻やめてもらう。秦の始皇帝めへと思った。
私は、十四年間、その約束を忠実に守った。厳しい商条件の異国へのセールスも、わがままな得意先の深夜におよぶ接待も、嬉々として、とまではいかなくても、まあそれなりの充実感をもってこなすことができた。
   なぜなら、私には秘密があったから。
じつは、社長が禁じたことというのは、「小説」だった。小説家志願だったことを知ったうえで、雇うことに決めた社長にしてみれば、当然すぎる命令である。
   しかし、私のサラリーマン生活を支えてくれたのも「小説」だった。つまり、私は十四年間、社長をあざむきつづけたのである。彼とのこのスリリングな関係は、いま思い出しても冷や汗が出る。四十四のとき、会社をやめた。くびではない。円満退社である。その後、1年に一、二回、酒をくみかわす。彼はいう。おれは、きみが約束を守っていないのをすぐ見破ったよ、だけど黙っていた。
ほんとうだろうか。
   焚書坑儒というこの凶々しいやつも、時に捨てたもんじゃないぞ、と思うことがある。きみの場合はどうか。
   「焚書坑儒」という言葉も知らない人が多くなったと思う。この中でのキーワードはやはり、「想像力を持つ」と「秘密」であろう。「秘密」は良いも、悪いも、魅力的な言葉だと思う。

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