2013年11月1日金曜日

この星に生きるために

   雑誌「世界」の10月号は(汚染水・高線量との苦闘)という特集をしている。其の中で藤田祐幸氏(元慶応大学助教授)が「福島後をどう生きるか」と題して書いている。その最後の部分を紹介する。
   この星に生きるために
   この放射性廃棄物の毒性の寿命は人類の歴史を凌鴛する。10万年という時間を考えれば、それはもちろん、たちの世代が責任を負うことはできないばかりか、いかなる企業も、いかなる国家も、いかなる国際機関も、人間が作るどのような組織も、費任を負うことのできる時間ではない。いったい誰が、どこに、どうやって、これを処分するのか、すべての問題を先送りにしたままここまで来てしまった。この道は後戻りのできない道である。
   この惑星は1万年ほど前に長く続いてきた氷河期が終わり、ゆっくりと温暖化の時代が始まった。氷雪に覆われていた大地が緑の沃野へと生まれ変わり始めた。人々の生活の場が広がり始めた。後に日本と呼ばれることになる列島でも、石器の時代から縄文土器の時代に変わっていった。それから1万年の時間が流れ、今の私たちがいる。その私たちが10万後の子孫たちに何を残してしまったのか。
   豊かな森林と、緑滴る沃野と、見渡す限りの湿原と干潟と、その先に広がる海と、世代を超えて受け継がれてきたこの豊穣の列島を、さらに豊かにして次の世代に引き渡すことが、私たちの世代の為すべきことではなかったか。福島で起こったことはこの1万年の歴史に対する冒涜ではなかったか。
   アメリカの先住民は重大なことを決めるときに、その決定が七世代あとの人たちにとってどのような意味があるかを、すべての価値の基準にしてきたと言われている。目先の利害にとらわれることなく、未来に対する判断をすることこそが、今求められているのではないだろうか。
   もう福島の前の時代に戻ることはできない。今、為すべきは、再び同じ悲劇を繰り返すことがないように、きちんとした歯止めをかけることである。まずはすべての原発を直ちに廃炉とし、福島の被害を最小限におしとどめることに、すべての知恵を集中しなければならない。そして、作り出してしまった放射性廃棄物の処分の道筋が見える時が来るまで、これを安全に保管する術を見いださねばなるまい。
   負の遺産の負担を最小限にして残すことこそが、この山に生きあわせてしまった私たちの世代の責任であろう。
   もう福島前の時代に戻ることはできないのだ。私も含めて今生きている大人の世代の責任は大きい。

0 件のコメント:

コメントを投稿