2012年12月29日土曜日

王政復古


 鹿島茂氏の「引用句辞典」は以前にも紹介したことがある。今回は安倍政権をナポレオン時代の「王政復古」にちなんで読み解いている。以下、概略を紹介する。
王政復古とは、本質的に「他に選択肢がない」から、一度捨てたものをもう一度拾おうとする「しかたなし」の選択なのである。しかし、「しかたなく」選ばれた者たちがそうは思わないというのもまた王政復古というものの本質である。
さて、日本でも王政復古である。三年前、「歴史的敗北」を喫して歴史の表舞台から去ったと思われた自民党が「歴史的勝利」によって政権の座に戻ってきた。その前の小泉政権による郵政民営化選挙が自民党の「歴史的勝利」だったのだから、「歴史的」という形容詞は三、四年ごとの総選挙のたびに繰り返されるわけで、本来最大級であるはずの形容詞もずいぶん安っぽい使われ方をするようになったものである。むしろ、「定例の」とでもいいかえた方がいい。
これは二大政党下における小選挙区制では、ある程度、予想されたことで、日本のように無党派層が最大のパーセントを占める国においては、政権党に失政があって民心がどちらかに少しでも振れれば、勝敗はオセロ・ゲームのようにひっくり返り、「オール勝ち」か「オール負け」になるほかはない。自民党は敵失で勝利を得ただけなので、安倍政権がすこしでもヘマをやらかせば、内閣支持率はすぐに急降下し、参議院選挙までもつかどうか。
だが、「王政復古」して政権に戻った当事者たちはそんなふうには考えないだろう。三年前に国民に見放されて惨めに政権の座から滑り落ちた時の反省などケロリと忘れ、国民は自分たちを強く支持してくれていると思い込んでいる。
つまり、彼らは自分たちが政権を失った理由について「なにひとつ学ばず」、政権にあった間にさんざんに享受した特権や利権のことは「なにひとつ忘れなかった」のである。いずれ、「人からコンクリートへ」というスローガンのもと国土強靭化計画が本格化すれば、膨大な利権に族議員たちが群がって、配分された巨大な予算を巡って分捕り合戦が繰り広げられることだろう。
ようするに、自民党はなにひとつ変わらず、昔の自民党が「昔の名前で」戻ってきて王政復古となっただけなのである。
以前、安倍晋三首相が改憲目的で結成した「創生日本」というグループは「戦後レジームからの脱却」と言っていた。その時のメンバー6人が今回の内閣に入閣している。極めて危険な内閣である。来年が正念場である。いい年にしたいものである。

2012年12月26日水曜日

白石一文



 白石一文という名の小説家を知っている人は少ないと思う。父親が白石一郎で、親子2代で直木賞をとった人である。その人の小説で、「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」という長ったらしいタイトルの小説を読んだ。その一部で興味深い文章があったので、紹介する。
富裕層と貧困層の所得格差がここまで拡大してくると、僕たちは「自由」という価値観だけを錦の御旗とはできなくなってくる。なかんずくこの世界で最も「自由」というものを信じている国民は日本人ではないだろうか。アメりカが標榜する自由が「自由競争」しか意味していないことは、かの国の貧富の格差、人種差別、好戦性を見れば一目瞭然である。
イデオロギーとしての「自由」については、アメリカはそれを戦略物資として取り扱い、「自由」を輸出することで自国の権益を拡大しているに過ぎない。かつてのソ連が「緊張緩和」を唯一の売り物にしていたのと大した差はないのだ。
日本人のようにナイーブに「自由」を信じている国民は他にいないだろう。日本はアメリカという二面性のある国家の1面だけを鵜呑みにして、そのsideAで奏でられる旋律のみを頼りにステップを踏んできた。結果、この国はアメリカにとって最大のカモであり忠実な牝牛となり果てたのである。
たとえば、アメリカによる対日直接投資の収益率が14パーセントを超え、日本の対米直接投資の収益率が5パーセントにも満たないのはその見事な証左であろう。
現在、この国で暮らす人々の家計収支は一兆円を超える資金不足に陥っている。各家庭では支出に対して稼ぎがまったく追いついていない。どの家庭も過去の貯蓄を切り崩しながら家計の赤字を埋め合わせているのだ。その一方で、東証一部上場の各企業の純利益は毎年、過去最高を更新しつづけている。この好業績を支えているのは言うまでもなくリストラと賃金抑制である。
一世帯あたりの平均所得は減少傾向にある。2002年には12年ぶりに6百万円を割り込み、一人当たりの平均給与もほとんど増えていない。世帯あたりの所得で最も分布の多い所得額は年間300万円400万円未満で、世帯全体の約6割が平均所得を下回っている。子供のいる世帯の六割以上が「生活が苦しい」と訴えているのはそのためだ。直近の勤労統計調査の数字を見ると、ボーナスや残業代などの諸手当すべての給与を合算した一人当たりの現金給与総額は前年比0.7パーセント減の月額33212円で3年ぶりに減少に転じた。またボーナスや残業代を除く基本給ベースで見れば、0.2パーセント減の249771円で、これは2年連続の減少となる。中小企業のボーナス減やパート従業員の増加がその主原因で、大企業を中心とした業績改善が賃金アップにまったく結びついていないことがよく分かる。
反面、労働者の数は1.7パーセントも増えている。ただし、増えたのはパート従業員で、4.0パーセントの増加。正社員の方は0.9パーセントしか増えていない。この国ではいまや全労働者に占めるパートの比率は26パーセントを超えている。4人に1人以上の労働者が給与も待遇も格段に低いパート労働を行っており、契約や派遣を含めればその比率はさらに3人に1人に跳ね上がる。各企業の好業績が、彼ら非正社員を正社員並みに酷使することでかろうじて維持されているのは明白な事実なのである。
マックのある店長が月当たり最長137時間もの残業を行い、ついにお札を数える指が動かなくなり、軽い脳梗塞と診断されるに至ったにもかかわらず、店長=管理職との会社規定によって一銭の残業代も受け取れなかったために裁判を起こしたという話は、いまの日本社会での個人と企業との関係を象徴的に表している。マックはこうした「名ばかり管理職」を多用し、仮に全国1700人の店長が、先の店長と同様の残業をしていたとすると年に数十億円の払うべき残業代を支払っていなかったことになる。
東京地裁は原告である店長の訴えを認め、マックに過去2年間分の残業代など750万円の支払いを命じたが、僕たちはあの店の100エン円コーヒーや100円バーガーがそうした悪質な違法行為によって成り立っていることをもっと自覚しなくてはならない。マックが支払わなかった残業代を百円バーガーに換算すれば実に75000個分にあたるのだ。
企業が大規模な人員整理によって多数の従業員をクビにして社会に放り捨てる。すると証券市場は大リストラを歓迎して、その企業の株価を持ち上げる。企業は業績を回復させ、株主配当は増え、株価の上昇で株主たちの財産はふくらむ。一方、解雇された社員たちは短期間、失業保険を受け取ったのちは生活水準の大幅な切り下げを余儀なくされる。そうやって富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっていく。株主と従業員、この立場の違いによって生まれる格差がこれほど明瞭で不可逆的になってくると、社会の二分化、階層化は避けられなくなっていく。
ある日系アメリカ人の実業家はベストセラーとなった自著の中で「金持ちになる秘訣はたった一つだ」と力説している。お金を生み出す資産、つまり株や債権、転売目的の土地や建物を若い頃からとにかく買い漁り、一方で、何でもいいから会社を設立して可能な限り税金を払わないようにするーそれしかないのだと。金儲けだけを考えるならば彼の言っていることは確かに正しい。だが、僕はこの本を読みながら同時に堤義明という人物の顔をずっと思い浮かべていたのだった。西武グループの総帥だった堤氏こそはそうした金儲け術を生涯かけて実践しつづけた模範生に違いない。しかし、そんな堤氏に対してこの国の人々はどれほどの敬意を払ってきただろうか? また堤氏の晩年がああまで寂寞たるものとなってしまったのは一体なぜなのか?我々の生活に不可欠な種々の製品を作り出す会社よりも、使い勝手のいい検索エンジン一つ発案したにすぎぬ会社の方が何倍も利潤を挙げているという現実はやはり間違っている。
小説という媒体で、このような事を書いている、小説家もいるのだなあと感心しながら読んだ。格差と貧困問題を「ドキュメンタリー」や「ルポ」でない形での表現も大事な表現媒体である。

2012年12月21日金曜日

アンポ



民医連医療のメディアへの「眼」(畑田重夫)はたびたび紹介しているが、今回は「アンポ」に関してである。以下、概略を紹介。
マスメディアの共通性
それよりもあらためて指摘せざるをえないのは、マスメディア、つまり、テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌などが、安保の個々のあらわれ、たとえばオスプレイ問題、米兵の性暴行事件などについては一応の報道をすることはあっても、その根元に日米安保条約があるということには一切ふれないという問題があるということです。
現行の日米安保条約は1960年に旧安保条約(5ヵ条)が改定されたものです。そのとき、日本の労働者・国民は歴史的な60年安保闘争」を展開しました。新条約の第10条は、条約の効力と、条約の終了手続きを定めています。この条約は10年間の固定期限が過ぎると、末日両政府いずれか一方の通告によってこの条約を廃棄することができることになっているため、ちょうど改定から10年目の1970年にも、日本国民はいわゆる70年安保・沖縄闘争」をたたかいました。
60年安保闘争も70年安保・沖縄闘争も、いずれもそれなりの成果や教訓を残しました。ところが、それらの大闘争に参加した人たち自身が、さきほどあげた感想文にもあるように、安保は過去のもので、いまは生きていないと思っているのです。いわば安保問題自身が「風化」しているといわなければなりません。
このような現状になっている根本原因のひとつに、日本のメディアに根本問題があるというべきだと考えるのですが、いかがでしょうか。
60年安保闘争後、ケネディ米大統領は、日本人女性を妻にもつ「知日家」のライシャワーを駐日大使に任命し、安保闘争をたたかった労働組合の幹部・活動家や学者、文化人たちをアメリカに招待し、反共親米勢力の育成につとめました。それを称して「ケネディ・ライシャワー路線」といいますが、その影響はあまりにも大きく、結果として、日本の労働組合から闘争力の骨抜き、学者・文化人・評論家などの言論や著作などからの「安保」批判の消滅などの現象をもたらしたことも否定できない歴史的事実です。このような問題ともからみつつ、何よりも日本のあらゆるメディアが、安保体制のワク内での報道一色にぬりつぶされるようになって久しいといわなければなりません。
いまの日米安保条約のまわりには、日米交換公文、在日米軍の地位協定、日米議定書、日米合意文書、さまざまな日米間「密約」などがあり、それら全体を含めて「日米安保体制」ががっちりと構築されているわけです。
ところが、今や、この「日米安保体制」がはらむ矛盾が限界点に近づきつつあり、とりわけ、沖縄ではすでにその限界点をはるかに越えています。
沖縄には41の自治体がありますが、たとえばオスプレイの普天間飛行場配備問題についていえば、41人の首長、さらには41の地方議会、そして仲井真知事にいたるまで、すべてが配備反対という状態になっています。オスプレイ問題に加えて1016日の米兵による集団強姦暴行事件112日のやはり米兵による飲酒・暴行事件が起こりました。沖縄の県議会で、全会一致で採決された決議には「米軍基地の全面撤去」という言葉が初めて入りました。安保体制の矛盾はここまできているのです。
にもかかわらず、日本のすべてのメディアは、個々の事件や事例の報道はしても、安保体制そのものの是非や賛否を問いかけるような報道は一切みることができません。
日米安保条約を抜きにして、沖縄基地問題を論じても何も解決しない。最近、地位協定に関しては、テレビでも言うようになってきた。しかし、安倍政権では又、逆行するのではないか。山梨県人は「アンポ」と言ったら、「あんぽ柿」を想像する人の方が多いのかな?

2012年12月19日水曜日

日医総研ワーキングペーパー


日本医師会総合政策研究機構(略して日医総研)は定期的に「日医総研ワーキングペーパー」を出している。1210日出した「これまでの構造改革を振り返って」-医療の営利産業化の視点からーは参考になる。以下、まとめの部分を紹介する。

本稿は、これまでの構造改革を通じて医療分野で生じた事象を、図表で振り返ったものである。これをもとに具体的なディスカッションをしようとするものではない。しかし、最近の社会保障改革の根底に流れている考え方の中には、小泉構造改革時代の新自由主義的な考えに近い面もあることを踏まえ、いくつか検討を加えたい。
第一に、小泉構造改革を通じて、国民の生活が豊かになったとも、国民が幸せになったともいえないように思われる。当時の担当大臣は、構造改革が不十分なため、十分な成果が出ていないと述べている、構造改革を完遂すれば成果が出るのだろうか。今からでもこれまでの構造改革をあらためて検証し、総括をすることは、今後の社会保障のあり方を方向付けるために価値のあることではないだろうか。
第二に、医療分野では効率化が求められているが、これも混合診療の全面解禁、ひいては営利産業化に結び付く。たとえば平均在院日数を短縮化すれば、在宅医療や介護の需要が増える。在宅ではさまざまな保険給付外コストが発生し、介護は言ってみれば「混合介護」である。公的保険からの給付が削減される一方で、公的保険周辺の自由価格市場は確実に拡大するだろう。そういう意味では、平均在院日数ひとつをとっても、まさに構造改革下での施策であるという認識をもって、今後の医療政策を注視していきたい。
最後に、国民は消費を抑制しつつも貯蓄をしている(あくまで平均であり格差は大きい)。これは将来の社会保障に不安があるためではないだろうか。しかしその貯蓄も働き盛りの世代は縮小している。私たちが安心できる将来の社会保障制度を構築するためにも、これまでの構造改革の評価や反省をきちんと行い、そのうえで次の一歩を踏み出してほしいと考える。
当時の担当大臣とは、竹中平蔵氏のことである。現在は維新の会のブレーンをしている。竹中平蔵元経済財政政策担当大臣(2001-2006)は、非正規雇用が増加したのは派遣規制を緩和したからではなく、むしろ改革が不十分だからだと述べている
安倍政権が出来ようとしている現在、安倍氏は日米同盟強化、TPP早期参加を打ち出している。様々な団体との共闘で問題を打開していかなくてはならない。

2012年12月15日土曜日

君が代

 
図書館で鶴見俊輔「身振りとしての抵抗」河出文庫を借りて読んでいる。かなりマニアックな本である。その中で「君が代」について記している文章がある。一部紹介しよう。

君が代」強制反対する運動には二つの難題があると言う。一つは、もはや大勢は決まった、その大勢になぜさからうのかという判断が、ひろく日本人にあることだ。
二つ目の難題は、なぜ今、「君が代」強制反対の運動がひろがりにくいかという理由の一部に、敗戦後にすすめられたさまざまな権力批判の運動が、自分たちの内部に「君が代」斉唱に似た姿勢をもっていたことへの認識があるということだ。「君が代」を古めかしいものとし、排除をくわだてでいる運動に、「君が代」斉唱をしいるに似た風習があったではないか。今もないと言えるかという問いかえしである。
私個人は、「君が代」をとくに好きではないし、この文章を書きながら今うたってみると、正確にうたえるかどうかもおぼつかないが、それにしても、なつかしい感じをもっている。小さい頃から何度もきいてきたからだ。なつかしい?では、これがひろくうたわれるのはいいではないか、学校の卒業式にテープを流して、生徒になじませよう、そのことに協力しろと言われると、それには反対したい。
 「君が代」をなつかしく思うということと、この歌が日本中の学校の卒業式で、公費によって購入されたテープで流されることに賛成ということには区別がある。この区別をはっきりさせ、「君が代」強制に反対する側に私はたちたい。私とちがって熱烈に「君が代」が好きで、自分ではこれをきくのが好きだが、学校で強制的にうたわせることには反対だという人があらわれると、さらにいいと思う。 
戦前、つまり大正の記憶がいくらかのこる私には「君が代」へのなつかしさがのこっている。ここで、まるごと戦中そだちの妻に意見をきくと、自分としては「君が代」は歌としてきらいだし、ききたくないし、うたいたくない。今は「君が代」をうたうことを強制されない境遇にあることをありがたいと思っている。そういう人に「君が代」をうたわない自由を保証してほしいと言う。「君が代」という歌についての感じが私とちがうが、歌いたくないものの自由を保証してほしいという意見に、私は同意する。

私自身も、子どもの卒業式の「君が代」斉唱の時、歌わなかった。しかし、あまり居心地のよいものではなかった。「君が代」を歌わない自由を保証してほしいと切に思う。

2012年12月12日水曜日

棄民

 
毎日新聞の「記者の目」に東京地方部の記者の記事が載っている。「福島の現実 伝え続けたい」というタイトルである。私が注目したのは、最後の部分に出てくる「棄民」という言葉であった。その部分を紹介する
政治家は深刻に「声」受け止めよ
今月7日、三陸沖でマグニチュード7.4の地震があり、1㍍の津波が観測された。専門家は今回より大きなマグニチュードの余震が予想されること、東海・東南海・南海などのプレート型巨大地震、日本海側での大地震発生の可能性も指摘している。日本列島は地震の活動期に入ってしまったと言われている。この世界有数の地震国には、未解決の問題を抱えた原発が50墓以上、存在している。
11月の「ふるさと」で紹介した福島県教組書記次長の国分俊樹さんは、政府の対応について、自分たち福島県民が政府によって「棄民」されたと語った。「棄民」は、残留孤児を生んだ、戦前の中国東北部への開拓移民政策をめぐって、よく聞く言葉だ。
それと、福島の現実を同一に論じることは、できない。しかし、事故から2回目の新年を迎えようとしている今も、被ばくのリスクを感じながら福島で暮らす人々の心に「棄民」という、まがまがしい言葉が浮かんでいる。その事実を、政治家は深刻に受け止めてほしい。
福島の非難している人たちは、今回の選挙をどのように考えているのだろうか。
参照: 「棄民」を「ウィキペディア」で調べると以下のように書いてある。
日本では、満州の開拓にかり出され敗戦後に当地に取り残された人々や、国内の食料難から政府に奨励されてハワイカリフォルニア州、南米諸国に移住していっ人々などが「棄民」と呼ばれることがある。また、第二次世界大戦後に朝鮮半島の混乱から日本に渡り、祖国に帰らず残留したり、帰還事業で北朝鮮に渡った在日コリアンを韓国政府から見捨てられた棄民と見なすこともある。

2012年12月7日金曜日

町づくろいの思想


 森まゆみ著「町づくろいの思想」(みすず書房)の中に「普天間基地と宜野湾市長選」についての随想がある。少々長いが全文を紹介する。

町の真ん中に大きな基地がある
普天間基地と宜野湾市長選
すごく大事な市長選だった。沖縄の、そして日本の将来を占うような。
2012211日、48歳の自民・公明推薦、佐喜真淳さんに、社共と社大党推薦、60歳の元市長伊波洋一さんが900票差で負けた。これで沖縄で革新市長は名護市と沖縄市の二つだけになった。本土の人間にはその位置も知られていないが、行ってみると宜野湾市は那覇の北の隣町、西海岸にはリゾートホテルが並ぶけれど、市の中央には世界で一番危険と言われる普天間飛行場がどでんと居すわっている。
わたしは日本人すべてが福島原発事故のことと同じように、普天間基地について考える必要があると感じている。
普天間ができたのは戦後、旧日本軍の飛行場を沖縄を占領した米軍が使い出したからだ。そのころは確かにまわりは砂糖きび畑、しかし県庁所在地那覇に近いこともあって、飛行場のまわりは人家が密集していった。そこで米軍はどんな演習をしているのだろうか。昨年11月に取材でいったとき付近の住民に聞いた。 
「空の自動車教習所なんです。新米の、いってみれば若葉マークのパイロットが片翼の電気を消したり、誘導灯を消したり、わざと危険な条件を課して訓練している。危なくてたまりません」「滑走路にタッチアンドゴーで6分おきに離着陸をくり返す。人家すれすれに飛んでいきます。パイロットの顔が見えるくらい」「飛行機よりヘリコプターのパタパタいう音の方が気になりますね。音がすると孫はしがみついてきます」「70ホンを越える地区の家には防音サッシを取り付けてくれるんですが、うちは基地ができたあとに買ったので、承知して住んだのだろうとつけてもらえません」。古くはベトナム、最近ではアフガニスタンやイラクを空爆するパイロットがここで練習して飛び立った。
沖縄は固有の文化を持つ島である。かつては琉球王朝があって近世になると薩摩藩の支配を受け、近代になっても人頭税を払わされた。廃止になったのは明治30年代。そして第2次世界大戦では唯一、地上戦が行われ、住民は多く犠牲となった。中には軍に自決を命令された住民もあった。戦後も沖縄は長く占領が続き、 1972年の復帰後も島の50パーセント以上をアメリカ軍基地が占有している。
戦後、米兵による盗み、強姦、交通事故は後を経たず、これも日米地位協定で米軍関係者が裁かれないままに終わることが多かった。1995年、米兵による小学生の少女暴行事件のさい、沖縄県民は10万人の集会をして怒りを表明した。最近防衛大臣となった人がこの事件を「詳しくは知らない」といってまた怒りを買ったが、本当に無惨な悔しい事件である。そしてSACO (沖縄に関する特別行動委員会)合意が結ばれ、普天間基地は返還する、その代わり代替地を探すということになった。その移転予定地は名護市の東海岸べり、辺野古。しかし本土の人間は辺野古がどこにあり、どんな美しい海かも知らないだろう。
沖縄県民が「いつまでも沖縄だけに基地を押しつけるな」というのは当然である。しかし「中国の脅威」論に負けて日米安保が必要と考える人々も、自分の町に米軍基地が来るのは反対なのである。県外移設はそうした人々の手で阻まれてきた。2004年には沖縄国際大学にヘリが墜落する事故が起きた。そのときも米軍はあっというまに周囲を囲い、中に日本人を入れなかった。「まだ占領は終わっていない」のである。
自民党から民主党への政権交替が起こり、鳩山由紀夫首相は県外移設を首相としてははじめて表明。しかし官僚の根回しや成算もないままの発言だったため、結局、撤回しなくてはならなくなった。いま米軍は再編のため8000人の海兵隊を日本から引き上げるといいだしている。しかし普天間は手放さない、返すのなら他に基地をつくれ、ともめる渦中での市長選であった。
11月に宜野湾を訪れた私は1月、市長選を観戦することになった。東京の新聞などを見ると、沖縄県民はみな本土の無関心に怒っている、基地即時返還を願っている、かのような報道をしている。しかし今回取材にいって、私が町で聞いた声はやや違ったトーンだった。
「ゲートボールの仲間では政治の話はしない。でもだいたい半々で激戦になると思う」
「いつものことだから騒音にもなれた。ずっと基地の建設関係で働いてきたし」
「基地は反対よ。でもいままで出会ったアメリカ人はみんないい人だった」
65年で沖縄国際大の一度しかヘリは落ちていない。あれは事故でなく不時着」
94000人の住民のうち、基地ではたらく人は300人、軍用地主は3000人、そのほか基地で潤うタクシーや飲食店、米軍放出の家具屋もならぶ。
 最初は一坪コーラ一本の地代だったが、日本政府がつり上げて何倍にもしてしまった。年に一千万以上の地代を得る地主が1パーセントいる。基地に生活を依存している人、思いやり予算に依存している自治体がある。原発と同じ構図である。
「すぐ基地が戻ってこないとすれば、日米交流の町づくりに補助金を出させたい」という人もいた。日米軍事同盟をやめさせるという伊波候補は基地即時返還を訴えたが、相手方候補も基地反対を訴え出した。琉球新報や沖縄タイムスが伊波よりなので事務所にはジャーナリストを入れず、街頭演説もあまりやらないという。候補者の顔入カードをばらまいて「入れてね」と頼む。
「両陣営とも基地反対を言わなければ当選できないよ。挨拶のようなものよ」「沖縄人は義理堅いから、親族に頼まれればざーとそっちへ流れる」
そのうえ根拠のないネガティブキャンペーンが行われた。
「いったん市長をやめて知事選に出た人がまた市長とは虫が良い」
「伊波は市長としてはなんの実績もない。ここは若くて元気な市長に」
伊波陣営では「これは勝てる選挙ですし、勝たねばならぬ選挙です」と聞いたが、なかなか危ないぞと感じた。
これにたいして伊波陣営も中学校までの医療費無料化、病院の充実など福祉政策を訴え、相手候補と張り合うかのように「基地跡地には緑豊かな住宅を」「基地返還で2万人雇用が可能」といった振興策を打ち出した。
しかしこうした外部費金をあてにした活性化、振興、発展のプランは本当に沖縄に必要なのだろうか-?もう沖縄はこれ以上開発する必要があるのだろうか?
「基地があるから見返りに沖縄だけ交付金をもらうったって、それは国民みんなの税金。もらうばかりでは国がつぶれてしまう」とまっとうな意見をいう人もいた。私見では伊波陣首は「金もいりません。基地を返してください。青い空の下、青い海を眺め、わたしたちは静かで楽しい町を目指します」といった方がずっとかっこよかったと思う。とくに沖縄の自然や文化に憧れて住んでいる若者には、そういうライフスタイルの提案のほうが魅力的だ。
利益誘導型の補助金行政は本土ではとうに終わっているのに、沖縄ではいまもなお、米軍を置く見返りに、立派だがセンスのない、自然破壊のコンクリ公共建造物があちこちに建っている。もう見ていて痛々しいくらいだ。世界遺産にしようとするならむしろ赤瓦の家や、やんばるの森を守らなくては。
「沖縄県民はみんな基地問題で怒っている」というかのような本土のマスメディアが伝えるのとはまるで違う声に私は驚いた。伊波氏の演説会で会った人は元公務員とか教師とか組合運動経験者。こうした人とは違う人々が今回、選挙戦を決めた気がする。そしてこの結果を生んだのは回り回っていえば、私たち本土の無関心なのだ。
本土の無関心とは、私達の無関心と言うことである。沖縄の問題を自分たち(本土)の問題と捉えないと、近い将来、沖縄の人たちは「琉球国」を!と、日本からの独立を宣言するかもしれない。

2012年12月5日水曜日

帝都の事件を歩く


「帝都の事件を歩く」という本を、新築なった県立図書館で借りて読んだ。中島岳志氏と森あゆみ氏の2人が東京の歴史的事件をあった場所を歩きながら、歴史を振り返るという趣向の本であった。
 その本の“あとがき”を少し長いが紹介する。

あとがき 森まゆみ
中島岳志さんは私の息子といってもいい年頃である。
大阪育ちの郷土史好きの青年が、東京の地域雑誌『谷中・根津・千駄木』をずっと読んでくれていた。それだけでもうれしいのに、東京を案内してくれませんか、という。
たしかに近代史を研究するなら東京の土地勘があるかどうか大きな問題である。私は1954年に文京区に生まれ、日本橋育ちの伯母や浅草育ちの母、芝育ちの父から東京の昔のはなしを聞いて育った。出来るだけ役にたちたいと思ったし、楽しそうだとも思った。
というのは彼の研究テーマである戦前の右翼、保守、ナショナリストという分野は、私自身も興味がある。こうみえても政治学徒であった。しかし私が主に対象としたのはホッブス、ロック、ルソー、マルクスといった西洋政治史であって、近代日本政治史にそう強くない。
そんなこん吾なで中島さん、装丁の矢萩さん、写真家の三輪さん、編集の足立さんと五人でぶらぶら東京の街あるきをすることになった。この本について、私が担当したのは道案内、そして東京の地誌と風俗史がおもで、あとは女性史の知識をすこしばかり披露したくらいである。いっぽう中島さんからは明治以降、戦前にいたる鬱屈青年の心情と行動を教えてもらい、おおいに考えるところがあった。
なぜなら私はそう煩悶も鬱屈もしない人間だからである。大学時代の4年間は「なぜ生きているのか」と考える余裕はあったが、所帯を持って子供が生まれ、どうにか彼らを育て食べさせることに夢中であったこの30年以上、鬱屈したり、煩悶したりする余裕はなかった。おむつを洗い、米を研ぐことが先決であった。だから煩悶や鬱屈は近代の男性エリートの専売特許なのではないかと思ってしまう。たとえば縄文人は木の実をとり、魚を釣り、食べるだけで精一杯、煩悶などしなかったのではないかと思うのだ。
大学4年間考えたとき、トルストイの『人は何によって生きるのか』に逢着した。人は愛によって生きる、というのがその結論である。人はネットワークの結節点に活きており、人によって生かされている。その関係性を大事にし、人を生かさないと自分も生きないと思った。マルクスの言葉で言えば「人間とは社会的関係のアンサンブルである」ということになる。自分の子だけいい子に育つなんてことはありえない。
そこで、グラムシではないが地域という陣地ですこしでもよい関係、よい環境を作ることを目指して1984年に地域雑誌『谷根千』を創刊し、地域活動を続けて来た。それは本を書くより、大学で教えるより、議員になるより、自分にとっては大事な仕事であった。そのとき、はじめて私は東京という町に研究的に、客観的に対時した。
2011311日の東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故、というか事件はわたしたち日本人の生存の根拠を脅かし、その後の政治の無力と混乱は目を覆うばかりである。それ以前から非正規雇用、ニート、貧困、ネットカフェ難民、名ばかり管理職などの問題が目立つようになっていた。しかしそれは個々の人間に抱え込まされ、みんなの運動となったのは年越し派遣村が最初である。
他力本願な英雄待望論も散見するが、もっと悪い方向へ向かいそうだ。鬱屈のはけ口のように、テロや暴力沙汰が起きることは望まない。スピリチユアルやカルトに逃避することも危険ではなかろうか。結局、国がどのように揺れようとも、情報を集めて解析し、自分の頭で行動し、たやすくはめげない仲間たちの輪をつくることが大事だと思う。誰でも参加でき、誰も排除されないような場所をつくれば社会は暴発しない。
加藤周一は中学生として226事件を体験している。「すべての事件は、全く偶発的にある日、突然おこり、一瞬私たちを驚かしただけで、忽ち忘れられた。井上蔵相や団琢磨や犬養首相が暗殺され、満州国が承認され、日韓議定書が押しつけられ、日本国が国際連盟を脱退し・・・・・・しかしそういうことで私たちの身の回りにはどういう変化も生じなかったから、私たちはそのことで将来身辺にどれほどの大きな変化が生じ得るかを、考えてみようともしなかった」(『羊の歌』)
いま、大飯原発の再稼働が、オスプレイの普天間基地への配備が、竹島への李明博大統領の言明が、香港の活動家の尖閣列島への上陸が,将来どのような変化をもたらすか目を凝らしていたい。そして、すくなくとも年金はじめ社会保障の世代間格差をなくし、同一労働・同一賃金を確保し、原発や基地、ダムやリニアモーターカーなど負の遺産をなくして、私はあの世に引っ越したい。やれるだけやるから。中島君、あとは頼むよ。   20128
島氏は30歳台、森氏は50歳台。この年代の人が、このような博識と行動力を持っていることに対して期待したい。

2012年12月3日月曜日

ほんものは誰だ


毎日新聞の山田孝男氏の「風知草」というコラムは、読むに値する記事である。
123日の記事は以下である。

ほんものは誰だ?
 脱原発政党の集散めまぐるしい。「日本未来の党」と「日本維新の会」だ。今後の風向きしだいで大量の議席を奪い、政権参加の可能性もある。
 脱原発へ「未来」はアクセルを踏み、「維新」はブレーキをかけた。方向は逆だが、寄せ集めの軍勢に即席党首でタガをはめた構造は似ている。
 スケジュールはともかく、この2勢力は脱原発を達成できるか。難しかろう。党首のイメージと舌先だけでは脱原発の前に立ちはだかる「青森県」「イギリス」「アメリカ」の壁を突破できないからである。
 「未来」「維新」と同じように寄せ集めから出発し、曲がりなりにも結束した民主党は脱原発に挑み、三つの壁にはね返された。経緯を見よう。
 まず、青森県だ。ここには各原発から出る使用済み核燃料の再処理工場がある。日本ではここだけ。脱原発なら、青森県は使用済み燃料の搬入を引き受けてくれない。なぜか。
 脱原発で再処理の必要がなくなるのに、引き続き使用済み燃料が持ち込まれれば、青森県が核のゴミ捨て場になる。だから拒否。だが、そうなると、原発を抱える自治体が困る。原発敷地そのものが核のゴミ捨て場になってしまうからだ。
 危険ゴミの持って行き場がない。だから目をつぶって自転車をこぎ続ける。この危うい構造を変えられなかった。
 次にイギリス。日本は英仏に使用済み燃料の再処理を委託している。このうちイギリスの再処理工程で出た高レベル核廃棄物が、この年末から順次、これも青森県の中間貯蔵施設に戻ってくる。脱原発では青森が荷受けできず、そうなれば船がイギリスを出港できない。
 じつは、この点こそ、野田政権が「原発ゼロでも再処理は継続」という矛盾した決定(9月19日)に追い込まれた急迫の原因だった。関係者によれば、閣僚が問題に気づいたのは決定の半月前だったという。
 最後にアメリカ。核拡散に神経をとがらせるアメリカは「再処理継続」に反発した。「再処理加工したプルトニウムを原発で燃やさないなら、核兵器をつくる気か」と。イラン、北朝鮮に示しがつかぬ−−と言われたかどうかは知らないが、「今まで通り、原発も動かしましょうや」と意見された。
 以上、野田政権の「原発ゼロ戦略」閣議決定が微妙にトーンダウンした背景である。再生可能エネルギーの将来性や、経済活性化方策についてはビジョンを示せても、内外の産業・軍事基盤を揺るがす根っこの構造には斬り込めなかった。
 ならば「未来」「維新」は斬り込めるか。疑問だ。
 「未来」の主張には濁りが少ない。が、我々は、清新な新政権が善意の公約を守れなかった現実を見たばかりだ。
 記事は遠慮がちであるが、自民も駄目、民主も駄目、第3極も選挙目当ての寄せ集めと言っている。根本の日米安保に切り込まなければ、解決しない話ということである。おのずと支持する政党は決まってくる。

2012年11月28日水曜日

ヒマラヤの風にのって


「ヒマラヤの風にのって」(吉村達也)著を読んだ。進行がん、余命3週間の作家が伝えたかったこと、というタイトルである。達也という名前の人は、辰年の人が割りと多い。果たして、吉村氏も私と同じ1952年生まれの辰年であった。
3週間、書きながらなくなった作家である。2012514日没。
その中で、すごいところを紹介する。

禁止三箇条“泣くこと、悔やむこと、思い出話をすること”
泣くこと、悔やむこと、思い出話をすることは、時間の無駄である。これはぼく自身が自分に言い聞かせているだけでなく、家族に対しても言っていることだ。 
自分自身がもしガンを体験しないまま、ガンのドラマを書いていたら、この三つは必ず出てくると思う。
「ああ、こんなことなら、もっと早く病院へ行けばよかった」
「健康診断受けていればよかった」
「ほんとうに、みんなとお別れだね」と泣く。
「家族でいろんなとこ行ったね」と思い出にひたりはじめる。
ぼくと家族は、こういうことは一切していない。ぼくはオシッコをするために温泉を思い出しているけど、これは勝手にひとりで、イメージの旅をするために思い出しているだけのことだ。
余命何カ月と言われたら、 11日が大切であるにもかかわらず、多くの人はこういうことをしている。なぜだろうかー。
おそらく、人生は有限である、限りがある、ということをふだんから意識していないからだろう。あたかも、人生は無限であるかのごとく生きている。だから、いきなり人生が有限であることを知らされて、パニックになるのだ。
たとえば、ほくが交通事故で死んだとしたら、どうだろう。あっと思った瞬間に死んでいるわけだから、こんな時間は持てないわけだ。
そういうのに比べれば、何日というのはわからないが、少なくとも近いうちに死ぬということを知らされたことは、非常に貴重な体験である。ありがたいことだと思う。人よりもいい人生を生きているという感じがする。
それなのに、泣いたり、悔やんだり、思い出にひたったりするのは、その時点で生きることをやめているに等しい。ほんとうに生きるのだったら、そんなことはしない。こういうことをしなければいけない、という固定観念にとらわれすぎているように思う。残された貴重な時間である。それをどう使うか、元気なときに考えてもいいことのひとつだ。
「ガン」という言葉をタブーにしない自分の痛みを説明するにも、ぼくは必ず「ガンの痛み」と言っている。なぜなら、ガンの痛みでない痛みもあるからだ。何度も言うが、ぼくには三種類の痛みがある。床ずれ系の痛みへ手術の痛み、そしてガンの痛み。
だから、この三つを明確にして、いま自分は何が痛いのか、ということを医者に伝える必要がある。ただ痛いと言うのではなく、それが何の痛みからきているのかを伝えなければ意味がない。背中が痛いんです、腰が痛いんです、と言うだけでは、大人の患者とは言えないだろう。
たとえば、ぼくの腰の痛みに二種類ある。ひとつは、動いてないから痛いというのがある。もうひとつの痛みをどういうふうに認識しているか、ということを考えると、ガン性疼痛というのを認めざるをえない。
タブーを作らないことで、家族の関係はよく緊密になった。何でも話せているし、娘の成長ぶりには驚きさえ覚えたし、感動したほどだ。

私は、吉村氏のようなことはできそうにない。できることは、人生が有限であることを意識していくことである。

2012年11月22日木曜日

力は知?


佐藤優氏の「読書の技法」を読んでいる。その“はじめに”のなかに日本の現状を書いている部分がある。的を得ているので紹介する。

日本は現在、危機に直面している特に2011311日の東日本大震災以後、危機が可視化された。
震災から1年以上経ったのに、被災地からの瓦礫の撤去ができていない。東京電力福島第一原発事故の処理も遅々としており、国民が安心を回復するような状況からはかけ離れている。また、政治家は、当事者にとっては深刻なのであろうが、日本国民にも日本国家にも関係のない政争に明け暮れている。国民の政治不信がかつてなく高まっている。同時に「強い腕」による決断で、われわれが直面している問題を一挙に解決してほしいという願望も無意識のレベルで強まっている。それが橋下徹大阪市長に対する国民の過剰な期待となって現れているのであろう。
国際社会に目を転じると、グローバリゼーションとともに帝国主義的傾向が強まっている。
グローバリゼーションは、ビジネスパーソンの日常にも及んでいる。終身雇用制度は過去の話になった。職場における評価も、目に見える具体的数字が重視されるようになった。また、どの企業でもリンガフランカ(国際語)である英語の必要性が強調され、これまで外国語と緑がなかったビジネスパーソンの不安をかきたてている。
ニュースでは、中国の急速な台頭と自己主張の強化が伝えられる。帝国主義国は、相手国の立場を考えずに、自国の権益を最大限に主張する。相手国が怯み、国際社会が沈黙していると、帝国主義国はそれに付け込んで、自国の権益を拡大する。中国やロシアだけでなく、米国も、帝国主義的な外交を展開している。「食うか、食われるか」の弱肉強食の国際社会で、今後、日本が生き残っていくことに誰もが不安を抱き始めている。
最近の教養ブームの背景には、「知力を強化しなくては生き残っていけないのではないか」という日本人の集合的無意識が反映していると筆者は見ている。確かに「知は力」であり「力は知」である。知力をつけるために、不可欠なのが読書だ。筆者の読書術について、全力を投球して書いたのが本書である。読書の技法というタイトルになっているが、物の見方・考え方、表現の仕方まで視野に入れているので、知の技法についての入門書と考えていただきたい。

「知は力」はわかるが、その反対の「力は知」かな?

2012年11月20日火曜日

私達を侮辱するな


東京新聞は毎週日曜日に「週のはじめに考える」と言う社説を載せている。今回は「私達を侮辱するな」というタイトルである。以下、前文を紹介する。
 私たちを侮辱するな

 見出しの「侮辱」とは極めて強い言葉です。ひどい扱いを受けた者の発する言葉です。政治にせよ、原発にせよ、私たち国民は、侮辱されてはいないか。
 手元に一通の手紙があります。学校で国語を担当されていた元先生からです。この夏、東京であった脱原発の市民集会に出かけた時のことが記されていました。
 こんな内容です。
 何人もの演説の中、一番心に響いたのは作家の大江健三郎さんが述べた「私たちは侮辱の中に生きている」という言葉でした。
大江さんのスピーチ
 その言葉は、大江さんも紹介していたそうですが、福井生まれの昭和の作家、中野重治の短編小説にある文句です。中野はプロレタリア文学で知られ、大戦前の思想統制では自身も激しい国家弾圧に遭っています。
 その短編小説は、昭和三(一九二八)年、全日本無産者芸術連盟(略称ナップ)の機関誌に掲載された「春さきの風」。検挙された同志家族をモデルにしています。
 思想をとがめられた検束で父とともに母と赤ん坊も警察署に連行される。その赤ちゃんの具合が悪くなる。ろくな手当ても受けられずに亡くなってしまう。母親はもちろん医師を頼みましたが、無視された。理由のない平手打ちを受けるばかり。
 小説はそれらの動きを、きびきびとした文体で描き、最後は母親が留置場の夫に手紙を書く場面で締めくくられます。
 母親は砂を巻く春風の音の中、死んだ赤ん坊はケシ粒のように小さいと思う。そしてこう書く。
 「わたしらは侮辱のなかに生きています。」(「中野重治全集第一巻」筑摩書房より)
 中野重治が実体験として記した侮辱という言葉、また大江さんが原発に反対する集会で引いた侮辱という言葉、その意味は、もうお分かりでしょう。
デモクラシーの軽視
 権力が民衆を、国家が国民を、ほとんど人間扱いしていないのではないかという表現にちがいありません。
 つまり倫理違反なのです。
 先日、東京電力は、原発事故時のテレビ会議記録を新たに公開した。二回目の公開です。
 その中に自家用車のバッテリーを集めるというやりとりがありました。原子炉の圧力が上昇し、蒸気逃がし弁を動かすためバッテリーをつないで電源を確保しようというのです。しかも足りなくて買うお金にも困る。
 備えも何もなかったわけですから、社員らの苦労も分かります。しかし、これを知った福島の被災者らはどう思ったでしょう。
 東電も国も、その程度の取り組みと真剣さしかなかったのか。住民の守り方とはそのぐらいのものだったのか。言い換えれば、それは侮辱に等しいでしょう。
 侮辱は継続しています。しかもデモクラシー、民主主義の軽視という形で。
 原発で言えば、大飯の再稼働はろくな検証もなく、電気が足りなくなりそうだという理由だけで決まりました。国民の安全がかかわる問題なのに、これほど非民主的な決定は前例がないでしょう。
 沖縄へのオスプレイ配備も、米兵事件に対するその場しのぎの対応も侮辱にほかなりません。国家が人間を軽視しているのです。
 原発から離れれば、一票の格差を放置してきた国会とは、デモクラシーの不在も同然です。立法府だけではなく、最高裁が「違憲状態」と判示しつつ、違憲であると踏み込めなかったことは、憲法の番人としての責務を果たしえたか。疑問は残ります。
 今の政治には、ほとほとあきれたと多くの人が口にします。それはおそらくはデモクラシーの軽視に起因していることで、国民は自分の権利の蹂躙(じゅうりん)を痛々しく感じているのです。政治に侮辱されていると言ってもいいでしょう。
 その状況を変えるには、何より変えようという意思を各人がもつことです。デモや集会はその表れの一つであり、選挙こそはその重要な手段です。
戦うべき相手はだれ
 冒頭の国語の先生の手紙は今、自分の抱える恐ろしさをこんなふうに表していました。
 (中野重治の)戦前と違って現代は戦うべき相手の姿が明確に浮かび上がらない分、かえって恐ろしさを感じます
 戦うべき相手は広範で、しかも悪賢く、しっぽすらつかませないかもしれません。政財官などにまたがる、もやもやとした霧のようなものかもしれない。
 しかし、こう思ってその相手を見つけようではありませんか。一体だれが私を侮辱しているのか、と。私たち自身の中にそれは忍び込んでいないか、と。投票の前に見つけようではありませんか。
 侮辱する相手には、今回の選挙で鉄槌を食らわそうではないか。

2012年11月14日水曜日

悪への怒り


 何度も書くが、「本当のこと」を言えない日本の新聞の「おわりに」の部分を紹介して、この本の紹介を今回で最後にしたい。
本書のなかで、私は日本の新聞について厳しい指摘をいくつもした。
誤解してほしくないのだが、日本のメディア批判をしたかったわけでも、日本よりアメリカのメディアが優れていると言いたかったわけでもない。健全なジャーナリズムを機能させるにはどうしたらいいのか。日本でその議論を起こすために、記者クラブメディアが抱える問題点を具体的に提示したつもりだ。
記者クラブメディアの本当の被害者は、私たち海外メディアの記者ではない。日本の雑誌・ネットメディア、フリーランスの記者たちは自由な取材を阻害されている。大手メディァの若い記者は、ジャーナリズムへの志があってもやりたい取材ができない。だが、一番の被害者は、日本の民主主義そのものだ。「権力の監視」という本来の役割を果たしていない記者クラブメディアは、権力への正しい批判ができていない。
福島第一原発事故の教訓が活かされぬまま、再稼働が決定された福井県の大飯原発がいい例だ。抜本的な対策が取られていないのに、「電力の安定供給」という錦の御旗のもと、野田総理は再稼働を推し進めた。もし再び大地震や津波に襲われたとき、福島と同じような事故が起きないと言えるのか。なぜ日本の大手メディアはもっと怒りの声を上げないのだろう。報道を見ていると、批判はしていてもどこか他人事だ。メディアが権力を批判し、社会に議論を起こさなければ、健全な民主主義は絶対に生まれない。
日本は、私にとってもはや「他人の国」ではない。長く住み続けるなかで、日本への強い愛着が生まれた。私は日本人が好きだし、日本人の友だちも数えきれないほどいる。第二の故郷・日本で、私はこれからも「a sense of moral outrage」(悪への怒り)を忘れずに仕事をしていきたい。1人の良きジャーナリストであり続けたい。そして近い将来、「a sense of moral outrage」を胸に記者クラブを飛び出した日本人記者たちとしのぎを削りながら、この社会を少しでも良くする記事を書いていきたいと願っている。
私達に出来ることは、いい記事を読んだら、感想なりを、色んなメディアで紹介することだと考える。たとえば、「ツイッター」「ブログ」「フェエイスブック」等で発信することではなかろうか。その事が、記者や、ジャーナリストを励まし、又いい記事を書いてくれることに繋がる。

2012年11月12日月曜日

筆記体


以前にも紹介したが、「脳を創る読書」の中で著者は(電子化の波にただ流されないために)として以下のように言っている。
明らかな退行現象をこのまま進めてよいか
子どもの頃から携帯電話やコンピュータで活字を打てるようにするのもいいが、それは書字を覚える前にすべきことではない。初等教育において、文字を書くことはすべてに優先する基本なのだ。特に仮名や漢字の書字はタイピングと全く異なる運動機能であり、タイピングができても字が書けるようにはならないのである。筆順も大切であり、他人が読めないような文字しか書けず、書くスピードも遅ければ、ちょっとしたメモもとれないだろう。文字を書くことを面倒くさがるようでは、書字の先に積み上げられていくであろう知的作業のすべてが雑になってしまう恐れがある。
携帯メールでおなじみの「入力予測変換」では、最初の数文字を入力しただけで言葉の候補がどんどん出てくる。履歴や確率的な判断で出てくる言葉の候補から文脈や全体の意味を考えずに受動的に選んでいけば、一応文章らしきものは打てるだろう。しかし、それはもはや人間の言語とは言えないものなのである。日本語入力には必須の「かな漢字変換」もまた、思考とは直接関係ないプロセスだから、思考の中断を生み、集中力を減退させるという負の効果もある。文字を書くほうがはるかに自然な表現方法なのだ。
文字を書くとか、筆跡を大事にするとか、絵を描くといった一つ一つの基礎的で創造的な作業は、他の安易な方法に置き換えることはできないのだ。子どものうちにやらなければ、取り返しのつかないことになるだろう。今の中学校では、アルファベット(ローマ字)の筆記体を教えなくなってしまった。これはあまり目立たないかもしれないが、明らかな退行現象なのだ。日本語の筆記では、速く書くと自然と楷書体から行書体や草書体へと移行して続け書きとなる。これはアルファベットでも全く同じであり、筆記体で書くことは自然な筆記能力なのである。それに、チョークを黒板に打ち付けながらブロック体で書く音は耳障りでもある。小学校で英語をやるなら、筆記体を教えるところから始めてほしいものである。
私の中学時代の英語の時間は、筆記体を書く練習をしたものだ。筆記体をうまく書くために、万年筆は「パーカー」を購入した。筆記体を書くにはペン先が引っかからない万年筆が書きやすい。パーカーは英語には向いていたが、日本語には向いていなかった。日本語には「セーラー万年筆」を使った。日本にはもう1社「パイロット」がある。