2015年6月30日火曜日

社長退任


私の民医連39年
()ウイエムピー山田龍矢
一九七六年四月には私を含めて新人薬剤師が九人入職した。はっきり覚えていないが先輩も同じ位しかいなかったと思う。最初はできたばかりの巨摩薬局に就職したが、二年目の薬局長と一年目が私を含めて三人、計四人であった。2年目には先輩がいなくなり、薬局長代理になった。そうこうしているうちに就職四年目に結婚をして、子供も二人生まれた。その半年後が一九八三年四月(倒産)である。倒産の事は今から考えると、思い出になってしまうが、私自身他の人が考えるほど大変ではなかった。一番辛かったのは、その後何年も続く後輩薬剤師の退職であった。少ない人数の中で仕事をしながら、他の職種にはないもう一つの仕事が、薬事委員会での仕事であった。それまでの薬の数、価路をもっと少なく、安くして経営に寄与しなくてならなくなった。その後15年間は同一法人で保険薬局を経営できた。一九九八年1月の保険薬局の別法人化(ワイエムピー)12600万(のれん代)を払ってきた。その時に山梨民医連ができ、副会長になった。その後二〇〇三年に「山梨みんいれん事業センター」を設立し、山梨民医連に貢献し、二〇〇五年の「山梨医療福祉事業共同組合」の立ち上げとなった。保険薬局の別法人化から17年間、絶対に赤字にはしないと言う思いで頑張ってきた。私のような生意気で、血の気の多い人間をこれまで育ててくれた、山梨民医連の先輩、仲間に感謝したい。保険薬局を取り巻く環境はますます厳しくなるが、新体制で乗り切って欲しい。まだ事業協にいるので、全面的に支援をしていくつもりだ。
これを持って「つれづれなるままに」を最後としたい。時々覗いてくれた方々に感謝。

2015年6月10日水曜日

医療制度改革


二木立の医療経済・政策学関連ニューズレターの6月号に「医療制度改革を複眼的に読む」として、今回の焦点は以下の点にあるとしている。一部紹介する。

医療制度改革の焦点は薬価・調剤技術料の抑制

 各論の医療制度改革部分は、「国民皆保険を維持するための制度改革」と「医療の効率化」の2本立てで、前者には保険給付範囲の縮小、サービス単価の抑制、および患者窓口負担や保険料の引き上げのメニューを網羅的に示しています。
 「サービス単価の抑制(総括)(26)では、「診療報酬・介護報酬についても、(中略)保険料等の国民負担の上昇を抑制する視点からマイナスとする必要」と断言しています。
医療制度改革部分でもっとも注目されることは、診療報酬引き下げよりも、薬価と(院外処方の)調剤技術料の引き下げに焦点が当てられていることです。特に後者については5頁が割かれ、「調剤技術料について抜本的な適正化が必要」と結論づけています(34)。医療制度改革部分で、「抜本的」という強い表現が用いられているのはここだけです。さらに、それに続いて、(参考1)として、大手調剤薬局4社の内部留保(利益剰余金)2010年の263億円から2014年の577億円へとわずか4年間で2.2倍化したとするセンセーショナルな図も示されています(35)。ちなみに、2011年の財務省「資料」には、「大手調剤薬局(8)の売上高の推移」が示されていただけであり、調剤技術料の抑制を目指す財務省の強い決意が感じられます。
 医薬品費抑制の改革でもう1つ注目されるのは、長期収載品(特許切れ先発医薬品)の保険給付において、保険給付の基準額を超えた「先発薬を選択した患者の追加負担」が提案されていることです(17)。これは旧厚生省が2000年の「医療保険制度抜本改革」の柱として提案したものの、医師会等の医療団体、日米の製薬大企業、研究者等の強い反対にあって頓挫した「参照価格制度」の蒸し返しです。しかし、参照価格制度は、医薬品給付における混合診療解禁であり、今回もその実現可能性は低いと思います。そのために、この提案の隠れた狙い(落とし所)は、諸外国に比べて高止まりしている日本の長期収載品の薬価の大幅引き下げにあると判断します。
 来年度の診療報酬・薬価改定は保険薬局に厳しいものになることは避けられない。

2015年6月5日金曜日

形容詞


毎日新聞コラム「発信箱」を紹介する。
発信箱
青野由利専門編集委員
形容詞にご用心
4年前の原発事故の後に作家の池澤夏樹さんから紹介されたエッセーをふと思い出した。20年以上前、池澤さんがある原発の見学に行った時のこと。手渡された広報部の文章には、「固い」「丈夫な」「がんじょうな」「厚い」といった言葉が並んでいた。
具体性のない言葉の羅列は、読み手の心理をある方向へもっていこうとする広告のコピーのようなもの。1990年に当時の体験を描いた「核と暮らす日々」の中の指摘は、原発政策の危うさをまさに言い当てていた。
「我が国と密接な関係にある他国」「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」「他に適当な手段がない」。安全保障関連法案の条文にも、具体性のない形容詞が羅列されている。
国会審議で中身を問われているのに、答えははっきりしない。安倍晋三首相も「戦争に巻き込まれることは絶対にない」といった具体性のない言葉で応じる。「原発が丈夫で頑丈って、どれくらい丈夫なの?」「ええ、丈夫で頑丈なんです」。そんな問答を聞いているようで、思わず笑ってしまい、自分の笑いにぞっとする。
原発事故の教訓は、都合の悪いことにも目をつぶらず、具体的にリスクを想定する重要性だった。自衛隊員の危険について、「リスクとは関わりがない」「リスクは残る」「リスクは新たに考えられるが、増大しない」と変遷する政府の答えを見ると、「安保神話」という言葉が頭をよぎる。
具体的リスクが許容範囲かどうかを国民全体で考え、判断する重要性も原発事故の教訓だった。安保法制でもそれは同じことだ。
抽象的な形容詞を使う人は要注意である。特に政治家は。

2015年5月30日土曜日

原発をなくさない理由


513日に載せた「フクシマ2013japanレポート」にジャーナリストの岩上安身氏の文章を紹介する。
日本のような地震国に原子力発電所をつくるのは、馬鹿げたことだし非常に危険である。「そのリスクは莫大です。安価な技術だと言いますが、とんでもない。福島が良い例です。小さい人口が密集した日本のような国に事故が起きた場合、はかりしれない被害が発生し莫大な損失になります。それがはっきりしているのに原発はなくなりません。なぜでしょうか。日本は核兵器を持ちたいのです。いざとなれば核兵器の保有が可能な技術とブルトニウムを蓄積しておく。それが原発を維持する理由であると思います」
これは公然の秘密だが「核の平和利用」のお蔭で、日本はいつでも核兵器を造れる状況にある。この事実も日本のメディアのタブーである。しかし反原発運動の最前線で活躍している、ノーベル文学賞受賞作家大江健三郎さんの記事でもそれは公言されている。そして当然、岩上さんはこのテーマを明確にし、報道する。「核の平和利用」の命令は、もちろんアメリカからきた、と彼は確信する。アメリカと切っても切れない仲の日本はそれを受け入れた。311以降、日本で脱原発が世論の過半数を占めても、日本の政治のトップは脱原発を実現できない。それは米国から、「日本は脱原発すべきではない」という、明確な指令を受けたためでもある、と彼は言う。
岩上さんは、アメリカの戦略国際問題研究所(CSIS)の興味深い報告のことを話してくれた。以前の国務副長官で、CSISの理事であるリチャード・アーミテージが、日米同盟の深化について述べ、最後に「原子力発電の注意深い導入は、日本にとって正しい、責任あるステップである」と記している。日本の進路を決定するのはアメリカである。そういう事情は、今も昔のままである。岩上さんは、原発を抱え込む社会の危険性から目をそらし、諦観してゆく気運が広がっていくことに対して危倶の念を訴える。
「カタストロフの直後は、日本中がショック状態でした。しかし時間がたつと、直接の被害者以外はまた平常に戻りました。政治も公的機関もメディアも、それを過去のことにして忘れるように仕向けています」
原発をなくさない真の理由は「核兵器の保有可能な技術のプルトミウムの蓄積」「日本の進路を決定するのはアメリカである」から来ているのである。

2015年5月28日木曜日

禁断のスカルペル


以前にも紹介した日経連載の「禁断のスカルペル」がそろそろ最終版を迎える。娘の腎臓を移植されて生きている内海という父親。娘純子は東日本大震災の津波で死んでしまう。その内海が、知人の娘、絵里香が親族からの腎臓移植に抵抗している。そのありかに対して内海が話しているところを紹介する。
内海はちょっと間をとって、見得を切るように続けた。「純子が亡くなって、私は気がついたのです。私は一人で生きているつもりになっていたし、何事にもまず自分というものがある、と思い込んでいた。
でもね、そうじゃなかった。今度の震災でよくわかったんです。私はね、私一人じゃなく、例えば死んだ娘や、家族や、知り合いや、仲間や、その他の者たちとの記憶を共有していて、その記憶がなかったら、私は私じゃないんだ。そういう時間を取り除いたら、私ってものが消えてしまう。
私が生きるというのは、そういう他の者との繋がりで生きているんであって、一人で生きているんじゃない。死んだ者についていえば、私は震災を生き残った者として、死んだ純子や他の多くの者たちの記憶を整理して、自分の心の中にあの者たちが住まう場所を作らなきゃいけない。そういう心の手続きをとらなきゃ、私は生きていけない。何というか、そういう意味で、私というのは彼らの記憶そのものなんですよ。
だから純子は私が思い出すかぎり、私と一緒にいるんです。あの子がくれた腎臓は、それを思い出すための縁(よすが)なのです。腎臓に娘の霊が宿っているとか、そんなことでもないし、あの子の腎臓があの子そのものである訳でもない。
いいですか? 偉そうなこと言うようだが、私たちの人生に意味があるかどうかなんて、実はわからないんだ。生命に意味があるかどうかも、わからない。じっさい、人間は生きて、死ぬのを繰り返すだけなのかも知れない。
だけど、絵里香ちゃん、ふと周りを見渡せば、私たちが死んだら、悲しむ者が確実にいるんです。私にとっては純子がそうだった。純子は私を死なせたくないばかりに、自分の身体の一部をくれた。そして今、その思いが私を生かしている。
純子が死んでよくわかったんです。なぜ娘の代わりに自分が死ななかったか。悲しくて悲しくて、自分も死にたいと思ったとき、よくわかった。
私の死を必死で食い止めようとする者たちを、悲しませないためにも、私は生きなきゃならない。罪だとか負債だとか言っていられない。私はあの者たちのお陰で生きる意味を知った。あの者たちのためにも生きなきゃならないんです」
1年の連載であったが、作者、久間十義の言いたいことが凝縮されていると感じた。

2015年5月26日火曜日

自分を耕せ


私の恩師の河合聡元岐阜薬科大学教授が「自分を耕せ」という本を西田書店から出された。先日お世話になった民医連薬剤師が9人先生の自宅を訪問した。その時に本を頂いた。その中の「メディアの分野」の一部を紹介する。
「マスコミに世論誘導の意図があることは事実です。その影響力には侮りがたいものがあります。とくに多くのメディアが足並みをそろえた時の効果は抜群です」と渡辺治は警告します。なぜそうなるのか。「その理由はマスコミの執行部論説委員らが保守支配層の『常識』を共有しているからだ」と彼は説明しています。その『常識』とは二つあって、1つには大企業の世界競争激化の下、企業の競争力強化のために構造改革は不可避だといぅ考えです。構造改革とは大企業の負担を軽減し、かつ国の財政肥大を抑えようというものです。当然消費税増税や社会保障の削減などによって国民に負担を強いることを意味します。
『常識』のもう一つは、日本の大企業が世界の自由市場で恩恵を受けるためには日米同盟を強化し世界の秩序維持のために貢献すべきだという考えです。
この二つを内容とする『常識』を共有するため、民主党が自らのマニフェストに反してまで消費税率値上げの政策を打ち出したとき、多くのメディアが足並みを揃えたように歓迎の論陣を展開したのはよい例だと渡辺治は言います。
消費税増税不可避論をあおり続けた大手紙の熱意は異様でした。「消費税増税なしに安心は買えぬ」「国家・国民のために消費税増税は必要だ」といった調子です。公権力の監視こそ新聞の役割なのに、権力の代弁者になり下がったのですから驚きです。
「民主党の消費税増税政策に失望した有権者は民主党政権を見限ったが、これまで一貫して反対してきた共産党や社民党に民主党離れの票がなぜ流れないのか」と渡辺は読者に問いかけます。
「たしかに消費税引き上げはいやだ。しかし、かといって共産党の言うように、軍事費を削って、安保体制が揺らいで日本の安全は守れるのか。今や経済はグローバル化の時代だ。日本の経済の国際競争力を低下させてはならない。大企業に負担を求めると企業の海外進出を促し国内産業の空洞化が起きないか心配だ」。こうした危倶から有権者は第三極と呼ばれる政党に流れる結果になるのだと渡辺は解析します。有権者の迷いを掻き立てるのにもメディアが大きな役割を果たしているのです。
こうしたメディアの姿勢について「メディアが打ち出したこうした報道姿勢に抵抗して現場報道記者たちは頑張っているわけですが、巨大メディアも巨大企業体としての性格を持っており、しばしば経営体の論理を優先させ、広告収入の減少に対応することを迫られることになります。併せて現場の報道記者たちも言論人である前に企業人となり自分の昇進のために指導部の報道方針に反しないように心がけるようになります」と渡辺は解説します。そして、「現代のマスメディアは戦時期より悪質だ」と言い切ります。
最近のメディアは、NHKを筆頭に、本当にひどいと思う。

2015年5月21日木曜日

フクシマ2013 Japanレポート3.11


フクシマ2013」Japanレポート3.11 を読む。著者は「ユディット・ブランドナー」オーストリア人である。原発事故災害に焦点を絞り、福島を訪れ、被災地に留まり、悲惨な現状を打開しようと人々に会い、インタビューをしている本である。訳者フランドル紀子氏のあとがきの一部を紹介する。
強制避難者も、統計には把握されていない「自由意思」で福島を去った多くの人々も、いまだに目的地のない旅を続けているーー 彼らは自国の中の避難民なのだーー
「人の営みの記憶は、すべてどこか特定の土地、場所と結びついている。その土地から離れて存在しているのではない。そうした、人生の思い出が刻み込まれた土地が汚されてしまった。そこにはもうもどれない・・・」(岩上安身)それがすべての悲しみの根源なのだ。
私の友人のオーストリア人たちは「フクシマはどうなっているのだ」と、頻繁に心配して聞いてくれます。また誰もが「汚染水」の現状をよく知っていて「日本のような最新のテクノロジーを持った国が、いつまでなんと酷い地球環境汚染を続けていくつもりだ」と怒ってもいます。また最近の「数年内に建屋を壊す」という方針は、福島に残っている子供達や、「除染」で帰還させられた人々へのリスクを、どこまで無視しろというのでしょうか。
ところが東京の知人の多くは、ほとんど福島の事を忘れたかのようです。福島のことを話すと「雰囲気が壊れる」という人さえいます。先日上野の駅前で「福島」を呼びかけているいましたが、誰一人として振り向く人はいませんでした。
なにごともなかったかのように、忘れてしまうのがいいというのでしょうか。現日本政府が希望するように、次の大災害が起こるまでは・・・。
七十年代に、日本が原子力発電を導入したときに、反対をしなかったから、間接的責任があると思っている人は、どうかその考えを捨てて下さい。あの当時の大衆は「未来のエネルギー原子力の平和利用」という言葉に、誰もがだまされていたのです。原子力の本当の恐ろしさを知った今こそ、本気で反対運動をしなければなりません。日本人の七十パーセントが、原発は要らないと思っているのですから、皆で力を合わせれば必ず全廃できます。世界中の、日本と日本人を愛する人達が応援してくれています。がんばりましょう。
もう、福島の避難者のことなど忘れたように暮らしている私達。事あるごとに思い出すことが大切である。

2015年5月13日水曜日

きけわだつみのこえ


日経のエッセイ「半歩遅れの読書術」に、今回は詩人の道浦母都子氏の「戦没学生の無念・処刑を前に明日をしのぶ」と言うエッセイが掲載されている。長いが全文を紹介する。
昔もなく 我より去りし ものなれど 書きて偲びぬ 明日という字を 木村久夫
忘れがたい一首といわれると、つい、この歌が浮かんでくる。
『きけわだつみのこえー日本戦没学生の手記』(現在は岩波文庫など)を手にしたのは、高校時代。図書館で見つけ、家に持ち帰り、一気に読んだ。当初、「日本戦没学生」という言葉の意味がよくわからなかったが、読み進むうちに、「学徒兵」と呼ばれる勉学途中で戦場に赴き、生命を失った人たちのことだと理解できた。
学生の立場なのに戦場にいかなければならなくなり、ついには死に至った人たち。その心情を細かく描いた一人が、先述の木村久夫氏である。
彼は大阪府出身、昭和十七年四月に京都大学経済学部に入学。その年の十月に入営。戦争終了後、シンガポール・チャンギー刑務所で、戦犯として刑死。二十八歳での死である。
先の一首は、処刑を前にしての思いを託しての歌であり、当時の彼の心境を如実に物語るものでもある。
木村氏の遺書は、死の数日前、偶然、手に入れた田辺元著『哲学通論』の余白に記されたもので、「日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである」「私は死刑を宣告せられた。誰がこれを予測したであろう。」年齢三十に至らず、かつ、学半ばにしてこの世を去る運命を誰が予知し得たであろう」「私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である」
日本の敗戦、それに伴って、自らの身にふりかかった戦犯という格印。学問半ばで死んでいかねばならない悔しさ。自分は本当に死ななければならない罪を犯したのか。
揺れる心情が細かく記され、処刑前には、「私の命日は昭和二十一年五月二十三日なり」と記しているが、別のところでは命日は誕生の日にしてはしいとの記述も残されてある。  
生き続けたい。だが、死んでいかねばならない自分。それを見据え、「明日」という字を書いて偲ぶ作者。彼の来し万を重ねながら読むと、自然と熱いものが、こみあげてくる。
たまたま、彼の生家が、私の住む大阪・吹田市内であったことから、私は彼の墓を探しあて、墓詣もした。
近年、戦犯とされた彼の死を深く掘り下げた加古陽治編著『真実の「わだつみ」』(東京新聞)、木村氏の上官だった鷲見豊三郎氏による『或る傍観者の記録』()が刊行され、彼にあらたな光が投げかけられている。
「学徒兵」、学業半ばでの戦場への出兵。それを余儀なくされた当時の学生たち。今の若者は、そうした事実をどのように、受けとめるのだろう。(歌人)
わずか70年前の学生の姿である。あらためて「きけ わだつみのこえ」を読んでみたい。

2015年5月8日金曜日

帰還兵はなぜ自殺するのか


帰還兵はなぜ自殺をするのかを読む。アフガニスタン、イラクに派兵された200万人の兵士のうち、50万人がPTSDTBIに苦しんでいるという。その本の訳者のあとがきを紹介する
訳者あとがき
「ワシントン・ポスト」紙で二十三年間にわたって記者として働き、二〇〇六年にピュリリツアー貨を報道部門で受賞したデイヴィツド・フィンケルは、イラク戦争に従軍する兵
士たちを取材するために新聞社を辞めてバグダッドに赴いた。そして二〇〇九年に『TheGood Soldiers』を上梓した。これは、二〇〇七年四月から1年間にわたって、陸軍第十六歩兵連隊第二大隊の兵士たちと生活を共にし、緊張に満ちた日常と死と隣り合わせの戦闘を詳細にレポートしたものである。
それで終わるはずだった。「ジャーナリストとしてこの仕事をやり遂げた。それを私は誇りに思った」とフィンケルはQ&Aのインタビューで語っている。ところが、それで終わらなかった。バグダッドで知り合った兵士たちが、帰還後に電話やメールや手紙で不調を訴えてきたからである。
兵士たちが日常にすんなり戻れないことや精神的なダメージを抱えて苦悩していることを知ったフィンケルは、「私の仕事は半分しか終わっていない。戦争の後を取材しなければならない」と決心した。そして彼は兵士本人はもちろん妻子や身内にいたるまで時間をかけて取材し、ペンタゴンの上層部や医療関係者からも、丁寧に聞き取りをおこなった。
こうして書き上げられたのが本書である。アメリカでは二〇十三年に出版された。完成された十六の章から浮かび上がってくるのは、戦争の後の苦痛に満ちた人間の姿であり、
無力感にとらわれる家族の姿であり、焦燥感に苛まれる医療従事者や陸軍の上官たちの姿だった。
イラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を隠しているという理由でアメリカがイラクに侵攻したことから始まった。二〇〇三年の三月のことである。その裏には、9ll以降のアメリカの不安と、石油問題や宗教問題があったと言われているが、国家の威信を守るために直接戦地で戦ったのは、大半が貧困家庭出身の若い志願兵だった。第十六歩兵連隊第二大隊の兵士の平均年齢は二十歳だった。
そして戦争が終わり、兵士は英雄となって帰ってきたように見えた。ところが、日に見える身体的な損傷はなくても、内部が崩壊した兵士たちが大勢いることがわかった。アフガニスタンとイラクに派兵された兵士はおよそ二百万人。そのうち五十万人が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)TBI (外傷性脳損傷)に苦しんでいるという事実が明らかになった。そして残された問題は、精神的な傷を負った兵士たちをどのように治していくのか、果たして治せるのか、というものだった。
 日本の時の政府は、このような事実を知っているのか。イラク支援のために自衛隊員がのべ1万人派遣された。イラクから帰還後に28人が自殺したことが報道されたのは1年前の事である。

2015年4月30日木曜日

違いを認める


「向かいあう、日本と韓国・朝鮮の歴史」近現代編、大月書店を読む。ちょっと高いが読んでみて欲しい。(2800円+税)本の「エピローグ」の部分を少し長いが、紹介する。
平和な東アジアを築くために
1997年、北海道北部の朱鞠内に、日本人、韓国人、在日コリアン、アイヌの若者たち約100人が集まってアジア太平洋戦時下のダム工事に動員され犠牲になった朝鮮人 ・日本人の遺骨を発掘しながら話しあった。この活動は、2001年からは「東アジア共同ワークショップ」としてその幅を広げ現在にいたっている。遺骨を掘るという共同の作業を通して共通の体験をもち、共同の論議のなかから共通の認識を育てる努力を続ける。彼らは、国境を越えてその論議を深めることで互いの違いを認め、尊重していくことに未来への可能性が見出せると考えている。
歴史問題の発生と葛藤についての事実を正確に認識し、隣国の歴史や文化の理解を高めて平和と共存の重要性を考える機会とするために、日本・中国・韓国の中学生・高校生の直接交流も行われるようになった。「東アジア青少年歴史体験キャンプ」という名前で、2002年のソウルから始まり、三国の中高生が集う。2013年には京都市で12回目を迎えた。彼らは三国を順に訪れながらフィールドワークをしたり、スポーツ・交流活動をしながら東アジアの歴史についてもじっくりと話しあったりする。日本の中学生はこのキャンプに参加して「中国・韓国の子たちはよく勉強してきているなと思いました。アジアの歴史を知らなかった。もっと勉強したい」と語った。
韓国の女子高生は「日本各地の歴史や平和を求める活動を体験しながら日本に対する認識が変わったし、これまで東アジアの歴史に無関心だったなあと思うようになった。そして、隣国の日本のことを少しでも知ろうとする努力が必要だと思う」という意見を感想として残している。
また、日本の女子中学生は「日本人のなかにも平和のために努力した人がいるのに、なぜ中国や韓国では知られていないのだろう」と疑問をもちながら、「慰安婦問題などを教科書から削除するなど、日本が加害国であったという事実を隠すことは平和にはつながらず、逆に戦争への道につながっていく」と発言した。
三国の中高校生は、「平和な東アジアを築くために、互いが意見を交換し、相手の価値観や文化を尊重することのできる機会を増やし、交流の輪を広げていく。みずから積極的かつ理性的に、事実に基づいて歴史を見つめていく」などの行動指針を決めてこれからも活動していこうとしている。
このように、人々の国境を越えた連帯が希望を生むことを今一度確かめあえる時代が来ようとしているのである。東アジア青少年歴史体験キャンプに参加した若者たちも言っているように、歴史認識の違いは大きいし、その違いを乗り越えることはやさしいことではない。しかし、その違いを認めることはできる。つまり、現実や歴史を違って見ているとしても、その違いを認めあいつつ、互いに尊重することを通して歴史認識を深めることができる。日本人のなかにもさまざまな歴史の見方があり、それは韓国でも同じだ。だから、歴史認識の共有を急ぐのではなく、互いが異なった歴史認識をもった存在であることを認めることから出発して、何が、どのように違うのか、なぜ違うのかを探っていくことが大切なのではないだろうか。その一助としてこの本が役立てば、こんなにうれしいことはない。
そうなのだ。違いを認める作業が大事なのだ。きちんとむかいあってこそ、これからの日本と韓国の関係が改善されていくのである。

2015年4月28日火曜日

戦後70年談話


日経に連載されている池上彰の「大岡山通信」若者たちへーで、「戦後70年談話」について東京工業大学の学生への講義の内容で次のように述べている。
戦後70年談話に込められたメッセージ次第では、戦後体制の枠組みに対する批判と受け取られる可能性があります。安倍首相は「歴史修正主義者」と厳しく指摘されるだけでなく、日本が国際社会から孤立してしまいかねないのです。
過去に学ぶ
もちろん若い世代の皆さんには、70年以上も前に起きた戦争について責任はありません。ただ、日本がこうした歴史を背景に戦後を歩んできたことを知ること、そしてこれからの未来について責任を負っていることを忘れないでいてください。
これまで歴史といえば受験勉強の科目の一つにすぎなかったかもしれませんね。しかし、一つ一つの歴史の積み重ねが現代を築いています。過去を知ることで、「どうして現代はこうなったのか」というつながりを学ぶことができます。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な言葉があります。人間の英知や失敗が詰まった歴史を手掛かりにすれば、同じ過ちを繰り返さずにすむかもしれません。それは私が講義を通じて訴え続けている視点でもあるのです。
最後に今年1月に亡くなったドイツのワイツゼッカー元大統領の演説をご紹介します。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」―― 。戦後40年にあたる85年、西ドイツ大統領(当時)として演説し、有名になったメッセージの一節です。
ナチスドイツがユダヤ人や欧州の人々にもたらした惨禍と戦争責任を改めて明確にし、ドイツがその罪を忘れていないことを伝えました。この演説によってドイツの戦後の歩みが決まったとさえ評価されています。
日本は今、世界に向けて過去への責任とこれからの国際貢献について明確なメッセージが求められているでしょう。ワイツゼッカー元大統領の演説が、30年を経てもなお、人々の心をとらえている重みに日を向けるべきではないでしょうか。
 池上彰といえば、あらゆるメディアに出ていているので逆にうっとおしく思っていた。しかしよく知ってみるとしっかりとした知識に裏付けられた考えを持っている人だと言うことがわかってきた。

2015年4月27日月曜日

子供の貧困


池上彰氏のちくま新書から出た「日本の大課題 子供の貧困」(社会的養護の立場から考える)を読む。児童養護施設から見えてくる子供の貧困を書いている。あとがきを紹介する。
本書をお読みいただき、児童養護施設がどのようなものか、おわかりいただけたでしょうか。
児童養護施設での取り組みを見ることで、「子どもの貧困」の実情も見えてきたはずです。
児童虐待は貧困家庭に起きやすく、必然的に虐待を受けた子どもたちが、親から切り離されて施設に入ってきます。
そこでの子どもたちの様子を観察すると、貧困だけでなく、虐待だけでもない、重層的に積み重なってきた問題が存在することが見えてきます。
貧困の中で追い詰められた親の中には、精神疾患に苦しむ人たちも多数います。その親の様子は、子どもにも悪影響を及ぼします。
こうした様子は、「多重逆境」と呼ばれます。なんともやり切れません。それでも健気に生き抜く子どもたちの姿もまた、浮かび上がってきたのではないでしょうか。
子どもたちの自立を支援する。子どもたちが自立できれば、社会で就職でき、きちんと所得税や住民税を払うことができるようになる。まさに「良き納税者」を育てるのです。
「子どもの貧困」を考える上で最も大事なことは、抽象論ではなく、子どもたちの実相を把捉することです。さまざまな対策づくりは、そこから始まります。
児童養護施設の子どもたちの様子は、ふだんの私たちの視野からは消えています。見えないということは、存在しないも同然。子どもたちは社会から忘れられてしまいます。社会から忘れられることの辛さ。これでは、子どもたちは自立することができません。
子どもたちを見守り、自立を助け、社会で働いて税金を納められるように育て、社会に貢献する存在にすること。これが喫緊の課題だと思うのです。
社会の中で自分の存在が確認できれば、人は絶望の淵から這い上がることが可能になります。人が、人として認められ、人として生きていくことが可能な社会。これが、私たちが築くべき社会だと思うのです。
本にまとめるに当たっては、筑摩書房の永田士郎さんにお世話になりました。永田さんの的確なアドバイスによって、本の視点が定まっていったと思います。
20152月ジャーナリスト  池上彰
子供の養育は親の責任だけでなく、社会の責任でもある。親が良き納税者になれない社会では、国、社会の責任は大きい。

2015年4月21日火曜日

沖縄と福島


毎日新聞「発信箱」に政治部記者のコラムが載っていた。全文紹介する。
沖縄と福島
先日取材で沖縄を訪れた際、福島第1原発事故を機に2人の息子を連れ水戸市から避難している久保田美奈穂さん(36)に会った。内部被ばくによる健康不安から戻る気になれず、6月で丸4年。息子は10歳と5歳になった。
それまで政治に全く興味がなく、反原発運動も人ごとのように見ていた。しかし原発事故で平穏な生活は引き裂かれ、国や東京電力との交渉を重ねる中で「事故の被害に誰も責任を取らない」と痛感。2年前の311日、国と東電を相手取り、原状回復と被害者全体の救済を求める訴訟の原告団に参加した。
沖縄に避難したことで、米軍基地問題にも目覚めた。米軍普天間飛行場へのオスプレイの配備を止めるゲート前での座り込みに駆け付けたこともある。在沖米軍は日米地位協定で事実上の治外法権状態。「基地の被害も誰も責任を取らない。おかしいと思ったことを見過ごしたら認めることになる」と思ったからだ。今年3月には原発と基地の問題を考えるシンポジウムを1人で企画し実現させた。
「原発事故がまた起きたら、私たちは加害者になる。自分が子どもにしてあげられるのは、原発再稼働に反対し、よりよい社会を残すこと」。久保田さんの言葉は、普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する人から聞いた「基地が造られ、戦争に加担することになったら、私たちは加害者になる」という言葉と重なる。沖縄と福島。共通点を見いだす意見も、同列に論じるべきでないとの意見もある。基地と原発が自然に結び付いた人もいると知った。
シンポジウムを一人で企画し、実現するとはすごい。以前にも書いたが、新聞の小さな記事の中にはいい記事が多い。テレビは深夜にいい番組がある。意識的に捜してみる事をお勧めする。

2015年4月18日土曜日

他人の意見を聞かない人


東洋経済の本の紹介欄に精神科医「片田珠美」氏の「他人の意見を聞かない人」という本の紹介があった。成程と思うことばかり。以下、紹介する。
他人の意見を聞かない、自分の都合ばかり押し通す人が増えているという。その精神構造を分析し、対処法を探っていく。
― 安倍晋三首相の真骨頂なのですか。
あの方は他人の意見を開かない典型だ。象徴的なのは、昨年12月の衆議院選挙開票の特別番組での言動だ。質問にいきなりイヤホンを外した。自分の言いたいことだけを言っているように見受けた。聞きたくないという意思表示にほかならない。沖縄県の知事にもなかなか会わない。会わないのは、その人の意見を聞かないことを態度で示すメッセージだ。自分に対して批判的な意見は聞かないし、聞きたくないのだと思う。
小説『薔薇の名前』で著名な記号論哲学者、ウンベルト・エーコ氏に『永遠のファシズム』という本がある。その中でファシズムになっていく過程には、「差異の恐怖」を味わわせることがあるという。ほかの人と違うことをしたら、あるいは権力を持っている者に批判的なことを口にしたら、何かひどい目に遭うのではないか、そういう恐怖感を抱かせる。その種の分析研究を知っていて、もしかしたらそれを狙っているのかもしれない。
―一般に、なぜ人の意見を聞こうとしないのですか。
自己を正当化したいからだ。自分が正しいことを思い知らせたい。自己正当化には利得が絡んでいる場合と、自分の間違いや失敗といった「悪」を否認すること、あるいはプライドを守ることが絡んだりする。
利得の絡んでいる場合がいちばんわかりやすい。順番待ちの行列に割り込んでい続ける。一方否認の場合は、たとえば、こんなミスをしているから直せと指摘されても、自分はミスをしていないと聞き入れない。自分は悪くないと言いたいから他人の意見を聞かない。プライドは、自分が上の立場にあり、力を持っているのだから人の意見など聞く必要がないと考えるのだ。
― 聞かない人は多くの場合、妄想、強迫観念、強すぎる自己愛のいずれかを抱いているとか。
自己愛は絶対にある。自己愛で訂正不能になると、妄想の域に近づく。妄想には定義として三つの条件がある。一つは不合理な内容や現実離れした内容。二つ目はそれを本人が確信している。三つ目は訂正が不能ということだ。たとえば、私が米国の問題人物でFBI (米国連邦捜査局)につけ狙われていると被害妄想を抱くとする。これは誰が見ても不合理。でも、被害妄想に陥っていると、身辺のささいな物音でもその関連と解釈したりする。現実離れした荒唐無稽な内容を本人が信じ込んでいるからだ。もしかしたら祖父を超えたいという安倍首相の主義、主張はかなりの部分で、それに近いのかもしれない。
― しかも、人の意見を聞かない人は増えているのですね。
増えている理由は三つ。一つには社会がぎすぎすし、自分が大事という自己愛志向になりがちなこと。二つ目は自己保身に走らざるをえない。ソニーや電通までが早期退職を募り、会社ではいす取りゲームが強まっている。ミスを認めたら、それこそ追い落とされかねないから、自分が悪いと認められないし、他人の意見を開けない。三つ目は実は自信のない人が増えている。自身のない人ほど強がる、虚勢を張る。他人の意見を聞いたら、自分が操作されて支配されてしまうのではないか、という不安があって聞かなくなる。
 最近、このような人が増えていると私も思う。

2015年4月16日木曜日

挨拶


高村薫と言えば「マークスの山」で直木賞をとった作家であることを知っている人は多いと思う。彼女は19532月生まれで私と同学年となる。彼女が4月より、毎日新聞に月1回「お茶にします?」というエッセイを連載する。第一回を紹介する。
季節はどんな人にも平等にめぐってくる。今年も桜が咲き、子どもから大人まで、新生活の始まる時節となったが、近所や知り合いと交わす道端での挨拶に、ひどく気を遣うのもこの時期である。
この国が繁栄を謳歌していた一昔前まで、学生は学校を卒業したら就職するのが当たり前だったし、勤め人の失業や転職もそうそうあることではなかったので、「息子さん、そろそろ社会人でしたかしら」「お嬢さん、すっかりおきれいになって」などと、ご近所の間で気軽に声をかけ合うのがむしろ礼儀だった。
けれども近年は、よほど親しい間柄でない限り、他人の家庭のことなど触れるわけにはゆかない。4割弱が非正規雇用という時代、学校を卒業しても必ずしも企業に就職できるとは限らない平均的なサラリーマン家庭でも解雇や失業は他人事でない。場合によっては子どもの学費や住宅ローンを抱えて生活が破綻しかねない厳しさかもしれない。それでも他人には窮乏を見せないよう装うのが日本人だから、なおさら言葉には気を遣う。
ご近所だからこそ無難に行きたいと思えば、口に出せる挨拶の言葉は「暖かくなりましたね」「桜が咲きましたね」「皆さん、御変わりありませんか」といった程度だろうか。そして応えるほうも「ほんとうに」「そうですね」「おかげさまで」。
もはや何を話したかは問題でなく、言葉を交わす行為自体が地域社会の円滑な暮らしに欠かせないというだけのことだが、昨今はそれすら面倒だと感じる人もいるので、私のような古い世代は、はて挨拶をしたものかどうか、なおさら頭を悩ませることになる。
けれども私たちのこんな気遣いは、結局のところ相手を傷つけない配慮であると同時に、こちらも傷つけられないための自己防衛なのであり、ならば初めから知らん顔でいいではないかという考え方も一理あるから、人間関係というのは難しい。いざというときの地域の共助のためにも、挨拶ぐらいは交わす関係を保っておくのがほんとうは望ましいのだけれども、転勤族などにはそれもピンとこないに違いない。
実際、挨拶を交わすだけの関係でなにがしかの繋がりが保たれるというのは幻想だろうし、挨拶はするけれども相手の家族構成も知らないという状況は、端的に「関心の外」ということだろう。昔の庶民の長屋暮らしとは違い、私たちはお節介も焼かない代わりに関心ももたない。もともと外からはうかがい知れないのが他人の家庭事情というものだが、それ以前に端から知ろうともしないのが私たちなのだ。
他人との密な関係を嫌う現代の心象は、私たちの人生をどんどん内向きにしてゆく。他人への無関心は、人間関係の煩雑さがない快適と孤独の両方を私たちにもたらすが、両者はつねに反転しては不安定に揺れ動く。他人と深く関わらない人生の代償は、己が存在のそこはかとない不全感かもしれない。
ひるがえって世界や人間への好奇心に満ち満ちている子どもたちは、人間関係を怖れたりしない。遠慮もしない。近所に、9歳になる私の姪の遊び友だちのわんぱく兄弟が住んでいて、毎朝拙宅の前を通って学校へ行くのだが、私の姿を見かけるやいなや大声で「○○ちゃん(姪の名前)のおばあちゃん、見っけ・・・!」と叫んでくれる。私は姪の伯母だが、何度説明しても兄弟には理解してもらえない。だから私も「こらあ・・・!」 と怒鳴り返す。こういうときの私は、実は孤独ではない。
さすが作家ならではの視点。同感である。まずは挨拶から。

2015年4月14日火曜日

キャラウエイ


東洋経済で連載されている、佐藤優氏の「知の技法、出生の作法」で今夏は沖縄の基地問題について述べている。一部を紹介する。
米軍普天間飛行場移設問題に関し、菅氏は「辺野古移設を断念することは普天間の固定化にもつながる。(仲井真弘多前知事に)承認いただいた関係法令に基づき、辺野古埋め立てを粛々と進めている」と説明した。
翁長氏は「『粛々』という言葉を何度も使う官房長官の姿が、米軍軍政下に『沖縄の自治は神話だ』と言った最高権力者キャラウエイ高等弁務官の姿と重なる。県民の怒りは増幅し、辺野古の新基地は絶対に建設することはできない」と強く批判した。/ (中略)(翁長知事は、)日米安保体制の重要性は認識しているとした上で「基地建設のために土地を強制接収され、県民は大変な苦しみを今日まで与えられてきた。そして普天間飛行場は世界一危険になったから『危険性除去のために沖縄が負担しろ』と言う。(反対すると)『日本の安全保障はどう考えているんだ』と言う。こんな話が出ること自体、日本の政治の堕落ではないか」と批判した。)
翁長知事は、安倍政権の沖縄政策が、植民地主義そのものであるということを批判しているのである。ここでカギになるのが、「キャラウエイ高等弁務官の姿と重なる」という表現だ。残念ながら、沖縄のメディア以外はこの表現が持つ重みに気づいていない。高等弁務官(HighCommissioner)とは、一般に宗主国が植民地に置いた行政最高責任者を意味する。沖縄に関しては195765日、米国のアイゼンハワー大統領が沖縄統治に関する新しい基本法として「琉球列島の管理に関する大統領行政命令10713号」を公布して、高等弁務官制を設けた。この行政命令が公布されるまでは、極東軍総司令官が沖縄の民政長官を兼ねていた。しかし、極東軍が廃止されたので、高等弁務官という役職が新設された。
高等弁務官の権限は強大で、琉球政府の裁判権は、高等弁務官の恣意的判断でいつでも制限することができたという。まさに沖縄人には菅官房長官の姿がキャラウェーの姿とかさなったのである。日本の政治の堕落である。

2015年4月9日木曜日

ニューズレター


 二木立氏の「ニューズレター」より、朝日新聞の氏へのインタビュー記事を紹介する。 

インタビュー:介護職員の待遇改善を
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「朝日新聞」2015323日朝刊4面。「報われぬ国 負担増の先に」


医療福祉政策を考えるときは、歴史に学ぶことが大事だ。介護職員は2025年度に全国で約30万人が不足するともいわれ、絶望的にもみえる。ただ、今の状況は1990年前後の看護師不足とよく似ている。当時、看護師は「3K(きつい、きたない、きけん)などと言われ、病院内での地位や給料も低かった。

それが92年以降の診療報酬改定で、看護の報酬が大幅に引き上げられた。より高い配置基準(患者数対比の看護師数が多い病院ほど報酬も多くなるしくみ)も導入され、看護師が増えて労働環境がよくなった。

あわせて、4年制大学の看護学部が増え、高学歴化が進んだ。卒業後も、専門性を高める「卒後教育」を看護協会などが推し進めた。それで給与が改善され、看護師の社会的な地位も高まる好循環になった。近年は離職率も下がり、今や花形職業だ。

介護職の場合も解決策は同じだ。介護報酬を引き上げ、介護職員の配置基準を高めるべきだ。事業者は報酬が高くなれば、正職員を増やせる。今は非正規職員も多いが、長く勤める正職員になら、技術を高めてキャリアアップさせる研修にお金を出しやすくなる。

その意味で、今年の介護報酬の大幅引き下げは、時代の流れに反する。財源がないというが、そんなことはない。日本の中間層の税や保険料の負担は欧州より少ない。介護も医療も保険料の引き上げは避けられない。低所得者には配慮しつつ、所得税の累進制強化など、高所得者により負担してもらうことが必要だ。

ケアは可能な限り自宅で受けるのが理想だが、一人暮らしなどで難しいケースもある。それでも、厚生年金をもらっているようなある程度お金のある人は、民間の有料老人ホームや「サービス付き高齢者向け住宅」などに入れるだろう。

問題は、とくに都会で国民年金だけで暮らすような低所得の人たちだ。安く入れる特別養護老人ホームを増やすとしても、自治体の予算などで限界がある。集合住宅の空き室や、安価な宿泊所のようなところに住んでもらい、訪問で必要な介護サービスを提供するなど、行政が工夫していく必要があるのではないか。 (聞き手・生田大介)

今の介護問題が端的に示されていると思う。

2015年4月6日月曜日

非戦の誓い


毎日新聞「毎日夫人」に月1回連載されている諏訪哲史の「うたかたの日々」を紹介する。
非戦の誓いを破る日
非戦を誓った史上最高の平和憲法、憎悪の連鎖である戦争から長く僕らを守ってきた日本国憲法第九条が、かつての空爆の地獄を忘れた、または頭でしか知らない世代の多数決によって今まさに葬られようとしている。
他国の戦争に加担し、同盟と看做され、憎悪の連鎖に陥った反撃者に街を火の海にされる。
戦争を知らぬ子孫を再び戦争に行かせず、敵国を作らないためには、今の時代に一票を持つ僕らが非戦の誓いを守り抜かなければいけない。沖縄を見よ。戦争体験者が次々に没し、戦争を直に知らない世代が来て、国から金を積まれても、戦争・戦場・基地を放棄する非戦・平和への強い意志に貫かれている。
幼稚で愚かなプライドのために、憲法を改変し非戦の誓いを破棄せんと企む者たちがいる。好戦的な政治家とその政党の支持者たちだ。しかし支持者の多くは改憲に無自覚で、日銀の作為的な金融緩和に演出された偽の好景気に満悦させられて、非戦の誓いを破る政策までを一緒くたに支持してしまっている。
例えば僕が好戦党の党首なら、どうやって九条を葬るだろう。まず国民の悲惨な戦争の記憶が消えるのを待つ。人は忘れる生き物。だから語り伝えを邪魔し、人を無知にする。次に、子供には他国より日本を愛せと教育する。世界の前に日本が大事。日本民族は優秀。そう国のエゴを刷り込む。最後は改憲の国民投票だ。投票権を20歳以上から18以上に引き下げ、より戦争を知らない票を取り込む。
投票は政治家が操作できる。多数決とは喩えれば、18歳~死までの限られた長さを持った「投票権の吊り橋」を渡るその時代の乗り合わせ者の中の瞬間多数を捉えて決議し、後にこの「日本」という橋に知らずに足を入れる新人たちの運命までを決めてしまう恐ろしい行為だ。
戦争を知る多くの者が橋を渡り終えようとしている。後には陸続たる愛国少年の群れ。非戦と平和とが不可分であることを知る僕らのせ代の眼が黒いうちは、九条の誓いは破らせまい。
投票権を18歳にする真の狙いは、政権が戦争を知らない票を取り込むことにあるのは、隠ぺいされている。

2015年3月27日金曜日

ビッグ・イシュー


先日、お茶の水で会議がったので、橋のたもとで「ビッグ・イシュー」を購入した。
浜矩子のストリートエコノミクス213を紹介する。
がんばる者しか報われなくていいのか
2015212日、安倍首相が国会で施政方針演説を行った。その調子は高ぶり、上ずっていた。のっけから「日本を取り戻す」のフレーズが登場した。取り戻したがり病が治癒に向かう兆候はみられない。
相変わらず、「人間」という言葉は、この演説の中にも登場していない。人間不在ぶりは変わっていない。「格差」もゼロ回登場だ。「貧困」は一回だけ登場している。
だが、この演説の中における「貧困」の使い方は、どうも、ピントがはずれている。そのくだりは次の通りだ。「子どもたちの未来が、家庭の経済事情によって左右されるようなことがあってはなりません。子どもの貧困は、がんばれば報われるという真っ当な社会の根幹にかかわる深刻な問題です」
ここで、まず引っかかるのが、子どもの貧困を「がんばれば報われるという真っ当な社会の根幹にかかわる深刻な問題」というふうに位置づけていることだ。がんばれば報われるのが、真っ当な社会なのか。むろん、がんばる人は報われるに値する。がんばる人が報われない社会は、確かに真っ当な社会だとはいえない。この点にケチをつけるつもりはない。
だが、がんばりたくても、がんばれない人々はどうするのか。がんばれていない人々は、社会から何ら報いを得る資格がないのか。がんばっていない者は、真っ当な社会の埒外に放逐されるしかないのか。貧困問題の根幹にあるのは、がんばることへの道を閉ざされた人々が存在するということではないのか。
家庭の経済事情が子ともたちの未来を左右してはならない。これも、それ自体としてはおっしゃる通りだ。だが、そもそも、子どもの未来を貧困の淵に追い込むような家庭の経済事情は、なぜ生じるのか。それは、その家庭の世帯主ががんばっていないからなのか。がんばっていなければ、共感に価しないのか。がんばる者だけしか報われない社会の包摂度は低い。未成熟社会だ。大人になりきれていない。
はま・のりこ1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。エコノミスト。三菱総合研究所初代ロンドン駐在員事務所長として1990-98年英国在住。現在同志社大学大学院ビジネス研究科教授。
まさに、弱肉強食、富国強兵の世界観である。

2015年3月24日火曜日

七転び八起き


毎日新聞に連載の野坂昭如氏の「七転び八起き」が324日の第200回で終わった。最後の一部を紹介する。
14歳の夏、突然戦争が終わり、世の中が一転、何もかもすべてガラリと変わってしまった。もの心ついた頃は戦時下。お国のため命を捧げることがあたり前。成長盛りにロクな物を口にせず、授業も満足に受けられなかった。ぼくら昭和ヒトケタ世代はかなり特別な少年時代を過ごした。
やがてウロウロするうち経済大国、戦後はその繁栄の恩恵を十分に受けて、ギクシャクしながらも生きてきた。ぼくらの世代にも責任はある。70年前の今頃、大日本帝国は瀕死の状態だった。 310日の東京大空襲で10万以上の命が失われ、それでもまだお上の暴走は続く。4月、ひたすら本土防衛のための沖縄戦がはじまる。沖縄県民の命を盾として、いたずらに死者を増やすし、約20万の命が棄てられた。
この唯一の地上戦によって沖縄は本土の捨て石とされた。今なお、それは続く。52425日東京空襲、山の手が焦土と化した。65日神戸に空襲、これによってぼくの家族、家も焼失。人生が大きく変わった。70年前、昭和20年の今頃に生きていた大人達は何を考えていたのだろうか。子供だったぼくの目にうつる身近な大人は、上辺平静だったように思う。列島は空襲の嵐、戦争が迫っていた。お上の制度は猫の目の如く変転、変わりないのは強気な大本営発表だけ。
普通に考えれば日本の負け、と見当つくはずだが、大人達に焦燥の色も諦めた感じもうかがえなかった。今の日本がどんな状態なのか、ぼくにはよく判らない。ただぼくなりに冷え冷えと眺めている。この歳では眺めるしかない。あの命の危機を目前にしていた時代とはまるで違う。だが今日あるが如く明日もあるとみなして、具体的に破滅を回避する手段を講じない。今も昔も同じ。大人達は思考停止じゃないのか。
飢えに苦しんだ経験をあっさり忘れ、食い物は他国にまかせ、その食い物の大半を廃棄し続けている。危なっかしい原発、安心、安価、クリーンは嘘だった。ツケは子孫にまわす。年金、健康保険もそう長くないだろう。
日本には金があるという。債権国だといったところでドルという紙切れ。1000兆を超えた国公債の利子払いもある。これを免れるには極端なインフレしかない。モノ不足の再来は遠くないだろう。現状維持を最優先、後はすべて先送り。危機感を持たず、リスクを避けてきた日本。敗戦から何を学んだか。震災、原発事故から何を学ぶのか。
戦後70年、平和は奇跡的に続いた。安倍首相悲願の憲法改正は日本を破滅に追いやるだろう。戦争というものは気づいた時にははじまっている。今、戦後が圧殺されようとしている。
破滅に追いやらないために、今何をしなくてはいけないのかを考えたい。