2013年12月27日金曜日

<正常>を救え


人から、紹介され、「正常を救え」というタイトルの本を購入し読んでいる。あとがきのところに興味深い記述があるので紹介する。
人間の多様性には目的があり、さもなければ激しい進化の競争に耐えて受け継がれたはずがない。われわれの祖先が生き残れたのは、部族が多種多様な才能と性向を併せ持っていたからだ。自分に酔っている指導者もいれば、指導者に喜んで頼る追随者もいた。隠れた脅威を嗅ぎつけるくらい猜疑心の強い者も、仕事を片づけずにはいられないくらいきまじめすぎる者も、異性を引き寄せるくらい目立ちたがりの者もいた。危険を避けたがる者と、遠慮なくそれを利用する者がいるのは好都合だった。
たぶん最も健全なのは、こうした特性のバランスが最もよくとれていて、平均値あかりにいる人物だっただろうが、集団にとつては、特別な必要があるときにいつでも登板する用意ができているはずれ値を持っておくのが最善だった。甲虫や熱帯雨林の木にあれほどの異なった種があるのとちょうど同じように。
ダーウィンは、脳の機能やそれが生み出す人間の行動も、肉体の形状や消化器系の働きとまったく同じで、自然淘汰の産物であることにすぐさま思い至った。人間を理解したければ、哲学や心理学の本を研究するのではなく、ヒヒを研究したほうがいい。そしてダーウィンは、熟練した博物学者の鍛えられた目で、自分の子どもたちが日々成長していくさまを観察した。われわれに悲しみや不安やパニックや嫌悪や怒りを感じる能力があるのなら、それはいずれにも生存上の大きな利点があり、人間の生活の不可避にして不可欠な部分をなしているからである。

われわれは愛する者の死を悲しまなければならないのであり、さもなければ心から愛さない。われわれはみずからの行動の結果を心配しなければならないのであり、さもなければそういう行動によって苦境に立たされる。われわれは環境を管理しなければならないのであり、さもなければ混乱が生じる。病気は平均から遠く離れた末端にのみ潜んでいる。われわれの行動の大部分には、しかるべき理由がある。われわれの大部分は正常なのである。

私はエキセントリックな行為や人物が好きだ。「常軌を逸した」を意味するeccentricは、「中心からはずれた」を意味するギリシャ語の幾何学用語から来ている。英語では、天文学で天体の軌道を説明する際に使われたのが最初である。現在では、ふつうとちがう人たちを指して使われている。 たいていは軽蔑の意味が含まれており、彼らの特別な才能を賞賛しているときは少ない。自然は均質をきらい、エキセントリックな多様性を明らかに好む。われわれは'大部分の人間が少なくともいくらかはユキセントリックであるという事実を祝福すべきであり、欠点も含めて自分たちをありのままに受け入れるべきである。
人間の差異は、どこかの精神科のマニュアルから軽々しく導かれた診断の膨大なリストに単純化されていいものではなかった。部族が成功するためにはあらゆる種類の人間が必要だし、充実した生を送るためにはあらゆる感情が必要である。差異を医療の対象にすべきではないし、 ハクスリーのソーマの現代版を飲んで無理に治療しょうとすべきではない。精神科の治療の最も残酷な矛盾は、それを必要としている人がたいてい治療を受けず、治療を受けている人がたいていそれを必要としていないことである。
私の友人の中にも「エキセントリック」な人が多い。私たちのまわりには、正常で健康な人を異常とみなし「薬漬け」にして儲けようと企てている「製薬企業」がいっぱいある。正常でなければ、すぐに治療される時代である。「正常値とはなんぞや」ということを、医療人をして考えていかなくはならない問題である。

2013年12月24日火曜日

グローバル平和主義


「集団的自衛権の深層」という本を以前紹介したが、著者は最後の方で、以下のことを言っている。
集団的自衛権が戦後政治で果たしてきた否定的事例をこれだけ紹介したあと、「対案」など問題外だろうと思われる方が多いかもしれない。ただただ批判し、集団的自衛権はタメだといぅ結論を導くのが普通のやり方だと、ほとんどの方はいわれると思う。
しかし、集団的自衛権を行使できるようにするのだという自民党が選挙で国民の支持を得るからには、ただ批判するだけでは済まないと感じる。やはり、目の前の緊迫するアジア情勢のなかで、アメリカが何らかの役割を果たすべきなのは当然であって、そのアメリカに協力するのも当たり前だと考える人びとは多いのである。
緊迫する情勢といっても、日本が武力攻撃を受けるような事態での回答は明白である。確固として自衛権を発動するが、日常的には、憲法九条の「制約」を「優位性」に変えて、アジア諸国との協調を成し遂げる戦略である。筆者はそれを憲法「九条の軍事戦略」(平凡社新書)で描いた。
一方、いま集団的自衛権をめぐって焦点になっているのは、日本への武力攻撃とは直接には関係しない世界の紛争をどう捉え日本は何をするのかである。日本の国際貢献という分野の問題でもある。
日本が侵略されない場合は無関心ということでは、世界からも信頼されない。自民党が支持をひろげる背景にあるのは、軍事的な分野においても、日本が世界に貢献するような国であってほしいという世論があるからなのだと思う。そして、その期待を背にして、自民党は集団的自衛権の行使という結論を導きだしたのである。
では、結論が政府・自民党が選択したものであってはならないとすれば、その回答はどこにあるのか。
アメリカだけ助けるのではなく、世界全体の平和に貢献することこそ、これからの日本の生きる道である。「二国平和主義」から「グローバル平和主義」へ、である。

2013年12月17日火曜日

心のサプリ


毎日新聞の海原純子氏の「新・心のサプリ」は以前にも紹介したことがある。今回は大切な人を亡くした人との接し方についてのエッセイである。
大切な人を亡くした人との接し方。
グリーフケアについての著書のあるドイツ生まれの哲学博士で上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン氏は、著書の中で、大切な人を亡くし悲しんでいる方にかえってコミュニケーションの妨げとなる言葉の実例をあげている。
まず第一は「がんばろう」。1995年の阪神淡路大震災のときには肉親を失った方はそう言われるのを一番嫌なことにあげている。そしてデーケン氏は、これは世界中どこでも同じとつけ加えている。
第二は「泣かないで」「泣いてはダメ」ということば。人は泣くことで感情を表現し心を回復するきっかけとするもの。泣かないで、ではなく、安心して涙を流せる環境を作ることが大事といえるだろう。
第三は「早く元気になってね」。早く元気になりたいのは本人もよくわかっている、でもそんなことはできない。こうした葛藤に気づくことが大切だ。
第四に、「あなただけじゃない」という他人との比較。つらさは他人と比較できるようなものではない。
第五に「時がすべてを癒やす」という言葉。これも悲しみの中にいる人にとっては不快だとされる。いくら時がたってもすべてを癒やすとは限らない。この他デーケン氏は「もう立ち直れた?」や「私はあなたの苦しみがよくわかる」などをコミュニケ-ショ.ンの妨げとなる言葉としてあげている。
言葉はたしかに大切だ。しかし大事な人を亡くした方に接するとき必要なのは、「言葉を超えるコミュニケーション」ではないかと思う。つまり、ただそばにいて、つらい方が安心して泣ける環境を作り、共に泣き悲しみをわけ合う、そうしたコミュニケーションが最も必要なのだと思う。
さて、デーケン氏は死についてヨーロッパの祈りを紹介している。「変えられないことはそのまま受け入れる平静さと、変えられることはすぐそれを行う勇気を与えてください」。亡くした人の死を悲しんで過ごす日から一歩ふみ出す力を願う祈りだという。
そしてその一歩をふみ出すにはそばにいて共に泣きつらさをわけ合える人の存在が大切なのだと思う。(日本医大特任教授)\
確か、東日本大震災の時、テレビでやたら「頑張ろう日本」と言っていたのに違和感を覚えていたのを思い出した。
大切なのは、自分が逆の立場で大切な人を亡くしたらどう思うだろうということを、真剣に考えることだと思う。そうすれば自ずと接し方がわかってくると思う。

2013年12月14日土曜日

集団的自衛権の深層


集団的自衛権の深層」松竹伸幸著(平凡社新書)を読む。帯には「安倍政権の時代遅れの発想は、取り返しのつかない事態をまねくかもしれない」と書いてある。はじめにの一部を紹介する。

集団的自衛権というものの複雑さ

本書は、安倍首相がそれほどに執念を燃やす集団的自衛権とは何か、その行使を可能とすることの是非をどう考えるかということを、さまざまな角度から検証しようというものである。そのため、集団的自衛権が行使された過去の実例はもちろん、さまざな法解釈などにも言及していく。
じつは私は、集団的自衛権を全否定する立場ではない。おいおい書いていくことだが、集団的自衛権というのは、国連憲章のうえでは、あくまで侵略された国を助ける軍事行動のことである。どこかの国が侵略されたとき、その国を助けたいという気持ちになるのは、自然なことだと考える。憲法九条を大切だと思う人のなかに、どんなものであれ武力行使はダメだという考えの人がいることは理解するが、侵略された国を助けたいという人びとの気持ちまで否定してしまうような議論をしていては、世論の理解は得られないと感じる。
自民党がこの問題を推進する背景にあるのも、侵略された国を助けるという純粋な気持ちを私用する思惑からきている。
同時に、集団的自衛権を論じるうえで大切なことは、この問題には、侵略された国を助けるなどというきれい事を許さない実態が存在することである。建前は侵略された国を助けるものであるとされながら、実態は侵略の口実になってきたという歴史があるのだ。

賛成か反対かという角度だけからみてはいけない

こうして大事なことは、「集団的自衛権」というものが、侵略と自衛という、本来は絶対に両立しないもの、いや正反対であるものを包含する概念になってしまったことである。建前は自衛だが実態は侵略、建前は正義だが実態は不正義、ということだ(便宜上、「正義」という言葉を使ったが、私は、たとえ侵略に対する自衛という性格をもつ戦争であっても、それを「正義の戦争」と呼んではいけないと思う。「正義」と言ってしまえば、何でも許されるかのような考え方も生まれるのであって、せいぜい「やむをえない戦争」という表現にとどめるべきだろう)
この事実は、集団的自衛権を論じる際、つねに念頭においておく必要がある問題である。集団的自衛権は悪いものだ、不正義だという固定観念にしぼられていると、なぜ侵略に対してまじめにして自衛するのがいけないのだという批判には答えられないことになる。あるいは、侵略に対して個別的・集団的自衛権が発動されたとき、そこには評価すべき点があるかもしれないのに、ただただ批判に終始して道理を欠くことにもなりかねない。逆に、攻撃された国を助けるのだから当然だという建前からだけみていると、集団的自衛権をめぐる現実が目に入ってこないということになる。
要するに、この問題は、集団的自衛権に賛成か反対かという角度だけでみていては、深い理解に達することはできないのである。安倍首相をはじめ集団的自衛権の行使を求める人びとのなかには、この問題を同盟国との関係の枠内でしか捉えられない硬直した思考にしばりつけられている人が多いが、集団的自衛権を批判する人びとは、同じ水準であってはならない。頭を柔らかくして考えることが求められる。
そうなのだ。われわれは集団的自衛権を叫ぶ人たちとは同じ水準では勝てないのである。まさに、この様な本を読んで学習を深めることが重要だ

2013年12月12日木曜日

肉声


毎日新聞のコラム「発信箱」になるほどと思う文章があった。以下、全文を紹介する。

肉声の力

物事を、よりリアルに伝える手段とは何か。新聞記事とか写真、映像だろうか。京都大大学院教授で現代アラブ文学研究者の岡真理さんは、何かをより強く、深く伝えたいのであれば、それはむしろ「文学」であり、それを読み上げる「肉声」ではないかと考えている。
岡さんは、2008年末から09年初めにかけてのイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区空爆の様子を描いた朗読劇「ガザ希望のメッセージ」の脚本を書き、演出した。空爆下のガザから寄せられた、ガザ・アズハル大学のアブデルワーへド教授からのメールなどが題材で、09年夏に京都で初公演。今年は5年目で、今月1314日、東京都中野区のポレポレ坐で再演する。
岡さんが朗読劇に魅せられたきっかけは、歌手の沢知恵さんの弾き語り「りゅうりぇんれんの物語」だったという。日本に強制連行され、その敗戦も知らずに北海道の原野で逃亡生活を続けた中国人の人生を詩人、茨木のり子氏が描いた長編詩。「弾き語りというより朗読で、その肉声の力、可能性に衝撃を受けた」
演劇や映画は視覚的に出来上がっていて、聴衆は受け身になりがちだが、朗読劇では、朗読者がまず物語をしっかりとつかんで読み解き、提示する。受け手はそれにより想像力が喚起され、能動的にとらえようとする。その作業こそが理解を深め、心を揺さぶるのだという。
ガザはイスラム原理主義組織が07年に武力制圧し、イスラエルは人と物の動きを規制する封鎖政策を実施。「閉ざされた世界」での市民生活の困窮が続いている。「人として、どう向き合うべきなのか、問いかけたい」という。
私は小説の朗読を聴くのが好きだ。毎週土曜日の朝、NHKラジオで小説の「朗読」をやっている。テレビで見るより、活字を読むより、はるかに想像力が働き、楽しい時間となる。朗読者が上手ければなおよい。私たちは「肉声」を忘れてはいないだろうか。

 

2013年12月10日火曜日

文学の中の鉄道


「文学の中の鉄道」(鉄道ジャーナル社)原口隆行著 を読む。その中の一遍、夏目漱石の「草枕」に出てくる鉄道場面を紹介し、コメントしている。少々長いが、一部紹介。

草枕    夏目漱石

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば、角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
この有名な書き出しで始まる『草枕』は、明治三十九年(一九〇六)、雑誌「新小説」の九月号に掲載された。
この小説の主題は、この書き出しに集約されている。つまり、人間が知恵を働かせようと思うと事が荒立ってしまう、そして情に抗おうとすると葬り去られかねない。いやはや、住みにくい世の中だこと・・・ 。
「余」は三十歳、東京に住む洋画の画工である。都会での人間関係に倦み、しばしの間でいいから「非人情」の境地に浸りたいと考えて遠出の旅に出た。
「余」は峠の茶屋で一休みし、そこのお婆さんと源兵衛という馬子から温泉宿・志保田の娘の噂話などを聞かされた後、山里に降りてゆく。
落ち着いた先は那古井という、かつて一度泊まったことのある海辺の集落だった。「余」は志保田の離れの一室で寝泊りすることになる。
那古井には、東京にはない時間が流れていた。時は春。いい時節を迎えて桃源郷ともいえる世界がそこにはあった。これこそ、「余」が求める非人情の世界である。だが、非人情では絵は描けない。だから、「余」の筆は重い。
さて、ここで那美さんという、嫁いだ先から出戻り、今は実家の志保田で奔放に暮らしている女性が「余」のまわりに出没するようになる。那美さんは、相愛の男と離され、金持ちに嫁がされた経験があるからか、欠片も人情がない。つまり、非人情の人である。 
「余」はここに逗留する間に、宿の隠居や那美さんの従兄弟の久一、大徹という和尚と近づきになる。これらの人にもどこか人情を超越した趣がある。
ある日、写生に出た草原で「余」は那美さんがいかにも生活にくたびれたといった風体の男と話しているのを目撃する。那美さんはこの男に財布を渡す。男は那美さんと強引に離縁された夫で、落ちぶれて満洲に赴くところだった。
大団円は、久一が日露戦争に従軍することになり、それを見送るために久一、隠居と那美さん、近くに住む那美さんの兄、世話を焼く源兵衛、それに「余」が川舟に乗って「吉田の停車場」まで向かう場面。
いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と言う。汽車ほどこう二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百という人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると言う。余は積み込まれると言う。人は汽車で行くと言う。余は運搬されると言う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。
文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。(中略)余は汽車の猛烈に、見界なく、すべての人を貨物同様に心得て走るさまを見るたびに、客車のうちに閉じ寵められたる個人と、個人の個性に寸毫(すんごう)の注意をだに払わざるこの鉄車とを比較して、― あぶない、あぶない。気つを付けねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。おさき真闇に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。
引用が長引いたが、これは駅前の茶店で考えた「余」の「汽車論」である。汽車に象徴される二十世紀文明が、この警句の通りに推移したかどうかはともかく、人間の個性をある面で均質化してしまったことは一面の真実だろう。軟石の慧眼には脱帽である。
100年以上前に発刊された小説であるが、漱石の小説は現代にも通じるものがある。通学時代、日本文学全集を乱読したが、鉄道との関係で読んだことはない。漱石の言っている「汽車にのるのではなく、積み込まれる」という表現は面白い。私などは東京の「山手線」を思い出してしまう。(黒字は小説の原文)

2013年12月7日土曜日

もんじゅ君


以前、紹介した「ビッグ・イシュー」に「もんじゅ君からのお手紙」というツイッターが紹介されている。フォロワー10万人と割れている。一部紹介する。

もんじゅ君からのお手紙

こんにちは。ボク、福井県敦賀市にくらす高速増殖炉のもんじゅだよ。ポクが初めて臨界をはたしたのは94年なんだけど、この20年間でお仕事したのはたった4カ月。どうしてこんなにサボってばかりかというと、それはあまりにもトラブルが多いからなんだ。
95年にはナトリウム漏れ火災事故、2010年には原子炉中継装置落下事故とおおきな事故を起こして、どちらもかかわってくれていた職員さんが自殺をしたの。安全面だけじゃなく、組織風土の面でも疑問をもたれているんだよ。
それでもボクのパパであるJAEA (日本原子力研究開発機構)のおじさんたちはずっと「おまえはやればできる子」「夢の原子炉だぞ」と、蝶よ花よとはめそやしてくれていたんだ。それで、ポクもなんだかそんな気になっちゃってたの。
だけど、そんなただれた甘い生活も、20113月のふくいち君(福島第1原発)の事故で終わりを告げたんだ。テレビを流れる爆発シーンを見ながらボクは気がついちゃったの、「ぜんぶウソだったんだな」って。
日本各地に50基あるふつうの原発は「軽水炉」っていうんだ。だけど、ボクは高速増殖炉といってちょっと違うタイプで、使えば使うほど燃料のブルトニウムが増えていく (はずの)原子炉なの。燃料がどんどん増えるなんて、昔話の「うちでの小槌」みたいでしょ。だから「夢の原子炉」なんて呼ばれたりしたんだよ。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、高速増殖炉を研究していたほかの国はみんな手を引いちゃった。だってお金がかかりすぎるし、事故を起こしやすくてとっても危険だから。
それでも日本はあきらめずに「2050年代に実用化」なんていっているの。最初は80年代に完成予定だったのを70年も延期しているなんて、どう考えてもウソっぽいよね。
どうして日本がすなおに「高速増殖炉なんてやめる!」っていえないかというと、「原発から出た使用済み核燃料は、六ヶ所村の再処埋工場でリサイクルして、それを高速増殖炉でまた使いますよ。だから、ゴミ処理もバッチリ」という建前があるから。
だけど六ヶ所村だってぜんぜん完成しないし、この核燃料サイクル計画はとっくに破綻しているんだ。
でもそれを認めたら、日本中にある大量の使用済み核燃料の処分方法を本気で考えなきやいけなくなるし、ゴミの行き場がなくなって、原発も動かせなくなっちゃう。それでウソの建前をまもりつづけるために、ボクもんじゅのことも「あきらめてないふリ」しているの。
だけど、16万人もの方がおうちに帰れないという福島の現実を見つめたら、これ以上ウソをつきつづける理由なんてないんじゃないかな。
最後に明るいおはなしをひとつ。ポクの先輩にあたるドイツのカルカー高速増殖炉は、80年代に完成したけれども住民の反対運動が高まって、動くことなく引退したの。それでいまは遊園地に変身して、毎日、子どもたちを楽しませているんだよ。ボクもいつかご隠居して、ソーラー発電所に生まれかわれたらいいのにな。
126日は悪名高い「秘密保護法」が成立した日として記憶に留めておきたい。「原発」「TPP」「消費税」等々、やり放題の政府に鉄槌を!

2013年12月3日火曜日

内なる天皇制


出張先のホテルで朝日新聞が無料で置いてあったので、久々に朝日新聞を読んだ。我が家は毎日新聞である。朝日新聞のオピニオン欄に、映画監督であり、作家でもある森達也氏が、「内なる天皇制」として文章を書いている。その中のごく一部を紹介する。
「そもそも人間は象徴にはなり得ません。ひとりひとり個性があるからです。表情や発言に感情がにじんでしまうことがある。寿命があるから代替わりもする。象徴天皇制は、どんなキャラクターの人が天皇になるかによってその相貌が変わる、実はとても不安定な制度です」
「天皇が『現人神』のままでは占領統治がうまくいかないと考えたアメリカの意向を受け、昭和天皇は『人間宣言』をし、象徴天皇となった。ここで捩れてしまったのです」
 ただ、天皇への思い入れが薄い若い世代が増えれば、状況はずいぶん変わってくるでしょう。
「僕もそう思っていましたが、今回、それは違うと気づいた。老若男女を問わず日本人は好きなんですね、『万世一系』という大きな物語が。日本は世界に例をみない特別な国なんだという、インスタントな自己肯定感を与えてくれますから」
「天皇制は、選民思想を誘発します。この国の近代化の原動力の一つは、他のアジア諸国への蔑視であり優越感で、敗戦後もその感情は持続しました。だからこそ原爆を二つ落とされ、首都は焼け野原になって無条件降伏をしたのに、二十数年後には世界第2位の経済大国になった。確かにこれはミラクルです。しかし、GDP (国内総生産)は中国に抜かれ、近代化のシンボルである原発で事故が起き、日本は今後間違いなく、ダウンサイジングの時代に入ります。でも、認めたくないんですよ。アジアの中のワン・オブ・ゼムになってしまうことを。ひそかに醸成してきたアジアへの優越感情をどうにも中和で経ない。その『現実』と『感情』の軋みが今、ヘイトスピーチや、『万世一系』神話の主役である天皇への好感と期待として表れているのではないでしょうか」
「結局、戦後約70年をかけてもなお、僕たちは天皇制とどう向き合うべきか、きちんとした答えを出せていない。山本さんの軽率な行動は図らずも、このことを明らかにしてくれました」

確かに、平成天皇は「昭和天皇」とはまったくイメージが違う。そこの違いと、今の若者の天皇感を森氏はうまくとらえていると思う。自分にとっての「内なる天皇制」を考えてみたい。「そもそも人間は象徴にはなり得ません」はまったく同感。

2013年11月30日土曜日

「NOとう言葉」


 出張帰りに新宿西口で、「ビッグイシュー」を購入した。寒い中、若者が頑張って売っていた。私と同年代の人も購入していた。その中で、雨宮処凛氏の連載エッセイを紹介する。

嫌なことには嫌と言う    雨宮処凛

最近、刺激的なシンポジウムに参加した。それは「こうのとりのゆりかご」、通称「赤ちゃんポスト」のシンポジウム。さまざまな事情から親が育てられなくなった子どもを受け入れる施設で、07年に熊本の病院に開設されて以来、92件の利用者があったという。この「赤ちゃんポスト」については「捨て子を助長する」「虐待などで命を命われるよりはマシ」など、賛否両論さまざまだ。

しかし、シンポジウムに参加して、「とにかく赤ちゃんの命を救いたい」という病院の人たちの思いに触れた。「どうにもならなくなった時にここにくれば大丈夫、という象徴でありたい。本当は利用者がいない方がいい」という思い。一方、望まない妊娠の果てに生まれた赤ちゃんがトイレや駅に放置され、命を満としてしまうような事件が起きていることはご存じの通りだ。

そんな事件が起きると、すぐに「無責任な母親」がバッシングに遭う。しかし、その背景にはさまざまな事情がある。レイプなどの性暴力、不倫、妊娠させた男性が逃げた、などなど。シンポジウムで痛感したのは、「男の身勝手」だ。女性を妊娠させても、男は逃げることができる。しかし、女性は自らの身体からは逃げられない。誰にも妊娠を告げられないまま悩み抜き、たった一人で自宅や車の中で出産し、泣く泣く赤ちゃんボストを頼るー。熊本にある赤ちゃんボストの利用者の9割が、県外からやってきた人だという。

そんなシンポジウムで上野千鶴子さんとご一緒させていただいたのだが、上野さんの言葉に、目が覚めるような「気づき」をもらった。それは「避妊」について語っていた時。裸で向き合っていても男性に「避妊して」と言えないような関係性はおかしい、という主旨の発言のあとに、上野さんは言ったのだ。

NOと言えないのは、愛されていない、大事にされていないということ」

そうなのだ。男女関係に限らず、嫌なことにはっきり「嫌」と言えないのは、「愛されている」「大切にされている」自身がないからだ。自分がマトモに愛され、大切にされていると感じるとき、人はちゃんと自分の意思を表明できる。だけどそれができないということは、どこかで「大事にされてない」ことをわかっているのだ。

上野さんの言葉で、私を大切に思ってくれている人と、そうでない人が急にはっきりした。どんなことに対しても私がちゃんと意思を伝えられる人と、伝えられない人。大事にされていないのを認めるのはつらいことだったけど、認めると、ふと気が楽になった。 

嫌なことに嫌と言えないと、自分のことがどんどん嫌いになってしまう。「NO」という言葉を飲み込むたびに、人はたぷん、卑屈になってしまうのだ。

「男は逃げることができる」「「NOと言えないのは、愛されていない、大事にされていないということ」この二つの言葉は考えさせられる。

 

2013年11月25日月曜日

禁忌と秘密

   「熊野でプルートス読む」という本からエッセイをひとつ紹介する。もちろんこんな訳のわからないタイトルの本の著者は、以前にも紹介したことのある「辻原登」氏である。
   禁忌と秘密
   想像力を持つ。
   秦の始皇帝は、焚書坑儒というのをやった。
平凡社百科事典にはこうある。
「書物を焼き学者を生埋めにすること。医学、占術、農学以外の諸学派の書物は、政府の手でとりあげて焼き、儒教教典を読み、政治を批判する学者は死刑と定めた」
   ああ、今の世に生まれてよかった。もし始皇帝の時代にいたらどんなにつらかったか!
   想像力を持つというのは、こういうことではない。
秦の始皇帝の世に自分を置いてみる。そして、焚書坑儒におそれおののきながら、ひそかに、禁じられた『詩経』や「諸子百家」などを読み、自由な空想をはばたかせる自分の姿をありありと思い描き、秘密のよろこびを感じる。これがほんとうの想像力というものだ。
   私が、初就職したのは三十歳の時だった。雇うにあたって、その会社のオーナー社長は、私にあることを禁じた。もし違約すれば、即刻やめてもらう。秦の始皇帝めへと思った。
私は、十四年間、その約束を忠実に守った。厳しい商条件の異国へのセールスも、わがままな得意先の深夜におよぶ接待も、嬉々として、とまではいかなくても、まあそれなりの充実感をもってこなすことができた。
   なぜなら、私には秘密があったから。
じつは、社長が禁じたことというのは、「小説」だった。小説家志願だったことを知ったうえで、雇うことに決めた社長にしてみれば、当然すぎる命令である。
   しかし、私のサラリーマン生活を支えてくれたのも「小説」だった。つまり、私は十四年間、社長をあざむきつづけたのである。彼とのこのスリリングな関係は、いま思い出しても冷や汗が出る。四十四のとき、会社をやめた。くびではない。円満退社である。その後、1年に一、二回、酒をくみかわす。彼はいう。おれは、きみが約束を守っていないのをすぐ見破ったよ、だけど黙っていた。
ほんとうだろうか。
   焚書坑儒というこの凶々しいやつも、時に捨てたもんじゃないぞ、と思うことがある。きみの場合はどうか。
   「焚書坑儒」という言葉も知らない人が多くなったと思う。この中でのキーワードはやはり、「想像力を持つ」と「秘密」であろう。「秘密」は良いも、悪いも、魅力的な言葉だと思う。

2013年11月22日金曜日

書評

   佐藤優氏は、東洋経済の連載で新聞の書評について論じている。以下一部を紹介。
 書評にはさまざまなスタイルがあるが、まず重要なのは引用箇所をきちんと明示していること。長い書評で引用が一カ所もない場合、評者がテキストを精読していないと考えたほうがいい。そのような書評は読んでも時間の無駄である。
   さらに同じ本を取り上げた評者が異なる書評で、引用箇所が同一である場合も注意が必要だ。この場合は二つの可能性がある。
   第一は、後から書評を書いた人が先行書評を読んで、その内容をまねている場合。これは限りなく剽窃に近い行為なので書評家として論外だろう。
   第二は、出版社がつけてくる資料に基づき、書評している場合だ。こういう資料には作品の肝になるテキストが引用されている。資料に依存して書かれた書評は広告とほとんど差がなくなる。
   辻原登氏は「熊野でプルートスを読む」という氏の、書評本の中で以下のように言っている。本屋で「本屋大賞」なる、書店員が「おすすめ!」と言って推奨することに関して異議を唱えている。書店員は一般人より、本をどれくらい読みこなしているのか、読書人として釈然としないと。紹介するなら、きちんと本を読みこなしてから紹介しなさいと言っているのだ。
   私も、その通りだと思う。決して店内のポップスタンドの紹介では本は買ってはいけない。書評で本を買うなら、書評している人を選んだ方がいい。

2013年11月19日火曜日

普天間とカジノ

   東洋経済の歳川隆雄氏の「動き出した普天間基地問題」という記事が掲載されている。その中で、興味深い一部を紹介する。
   沖縄が求める条件
   その条件とは何か。この間、安倍首相の特命を受けて仲井眞知事と交渉を繰り返してきたのは菅義偉官房長官である。岸田文雄外相でも、小野寺五典防衛相でも、山本一太沖縄・北方担当相でもない。
   仲井眞知事が菅官房長官に提示した第一の条件は、9月に普天間基地に配備された米海兵隊のオスプレイ(垂直離着陸輸送機MV22)24機の県外訓練の早期実現である。
   第2の条件は、日米地位協定運用の見直しだ。在日米軍兵士(軍属を含む)の犯罪に関して、現行制度は米側による裁判の確定判決を日本側に通知することでよしとされていた。
   それは新たに未確定判決や軍の懲戒処分、不処分も日本側に通知することが義務づけられた。これまで米側の同意が必要であった被害者やその家族への開示を日本政府が行うようにするというものだ。来年1月1日以降の米兵の犯罪に適用される。 
   これら二つの条件がクリアされたうえで、仲井眞知事は菅官房長官との折衝の中で次なる条件を提示していたのだ。
   すなわち、沖縄本島北部地域の振興策である。これまで取りざたされていた沖縄南北を結ぶ鉄道建設構想もあるが、いま沖縄県が求めでいるのはカジノ設置構想、20年の東京五輪開催を控え、将来、普天間飛行場の完全移設が実現した場合、その跡地に統合型リゾートを建設するというものだ。
   政府は、移設反対派の稲嶺現市長の再選は織り込み済みで、次の一手「沖縄にカジノ設置」を餌にして、仲井眞知事に移設許可をもらおうとしているのだ。

2013年11月18日月曜日

古池や蛙飛び込む水の音

   辻原登氏の「熱い読書・冷たい読書」という変なタイトルの本を購入して早速読む。その中で、長谷川櫂氏の「句集 松島」の本の紹介をしている。芭蕉の「奥の細道」を、今までにない読み方をしている。以下、それに対しての辻原氏の評論である。
   古池や蛙飛びこむ水の音
   誰もが知っている芭蕉の句だが、いったいこの句のどこがすごいのだろうか。蕉風開眼の一旬、つまり俳諧に革命をもたらした名句として読まれ、この句が生まれて三百二十余年たっても、その評 価はゆるがない。
   しかし、正岡子規は、「古池の句の意義は一句の表面に現れたるだけの意義にして、また他に意義たるものなし」(「古池の句の弁」)と言い放つ。
   古池に蛙が飛びこんで、水の音がした。そこで、はっとそれまでの閑けさに気がついて、驚いた。まあそんなところか。
しかし、現代俳人の長谷川櫂が最近、興味深い読みを示した(古池に蛙は飛びこんだかと)。
   芭蕉が古池の句を詠んだのは貞享三年(一六八六年)春、深川の芭蕉庵で催された蛙の句合わせにおいてらしい。
   ここで、芭蕉はまず、蛙が水に飛びこむ音を聞いて、「蛙飛びこむ水のおと」と中下旬をつくった。さて、上五には何を置くか。
   其角が「山吹や」はどうかといった。それは、古今集の「かはづなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはまし物を」を踏まえたもので、古来、蛙とくればその鳴き声であったところを、水に飛びこむとぼけた昔をぶつけることで、伝統和歌をからかおうとしたわけだ。俳語の効用のひとつである。
   しかし、芭蕉は「山吹や」を択らず、「古池や」とした。
長谷川櫂の論の面白さはここからで、なぜ「古池に蛙飛びこむ水の音」でなく、「古池や」なのか。
   やは強い切れ字である。つまり上五と中下七五は切れている。断絶しているのだ。古池があって、そこに蛙が飛びこんで水音が上がる、それを聞いているという句ではないのだ。
   先に、芭蕉が、蛙が水に飛びこむ音を聞いて、あとから沈思黙考の末へ古池や、と置いたことを思い出してみよう。芭蕉は、蛙が飛びこむ音を聞いているが、古池をみているわけではない。どこにあるかも分からない。
   蛙も水の音も現実だが、古池は心に浮かんだどこにもない幻の池、夢の池、思い出の中の池、あるいは中国や日本の古典の中に描かれた池、つまり古い池なのだ。
   古池に蛙飛び込む水の音。こえならたしかに蛙は現実に古池にとびこんで、ポチャンと音をたてている。
   古池や蛙飛びこむ水の音。古池と蛙は別次元の世界に在る。蛙は現実の世界に、古池は想像の世界に。とすると、蛙は古池に飛びこめない。
   と、ここまで長谷川櫂の論をたどってきて、私は、それでも蛙は池にとびこんだと考える。蛙は現実の世界から、存在しない、幻の古池にとびこんだ。すると、水の音は、まるで死の世界に吸い込まれるように消えて、そこに広大無辺の閑けさの世界が生まれる。芭蕉はその閑けさに耳を傾けているのだ、と。
   その芭蕉が『おくのほそ道』の旅で、山形立石寺を訪ねて詠んだ句を思い出す。
   閑さや、岩にしみ入 蝉の声
この閑けさも、ただの閑けさでないことはいうまでもない。
   確かに、閑さやと蝉の声とは別の次元として捉えないと理解できない句である。
長谷川櫂、ただものではない。

2013年11月13日水曜日

二木立氏の「名言・警句」

   「二木立の医療経済政策・政策学関連ニューズレター」の「私の好きな名言・警句」の中から二名紹介する。
   大平政樹(石川県保険医協会副会長) 
「人にはいろんな生き方がある。その一つの尺度は権力との距離だと私は考えている。右も左もない。今、この大地に生きる人たちが等しく豊かに、誇りと尊厳をもって暮らす。そこを突き止めていくと、必ずその時代の権力とぶつかる。経済人であれ、文化人であれ、そして医療に係わるものであれ、それなりに歳を重ねると政治とも権力とも無縁では生きられぬ。賢く生きようとすれば、何かに目をつぶるしかない。私たちは生きていく上で、知らず知らず世のしがらみに縛られ、どこかで口を閉ざす。そうしなければ、自分自身が満身創痍となる。そうして、私自身はどこかで現実と折り合いを付けて生きてきた。それ故に[莇昭三]先生の生き様は私にはひたすらまぶしく、時に妬ましい」(『莇昭三業績集:いのちの平等を拓く-患者とともに歩んで60年』(日本評論社,2013,315-316頁「『戦争と医療』推薦の辞」。莇昭三氏は、全日本民医連名誉会長)。
   二木コメント-研究者にとっても、「権力との距離」の取り方は、常に意識・選択すべき重要な事柄だと思います。
下重暁子(日本ペンクラブ副会長、77歳)
「私は『仕事は趣味のように楽しく、趣味は仕事のように真剣に』と常日頃から言っていて、その境界はあまりなく、仕事も楽しむのが一番幸せだと思っているから苦にはならない。逆に趣味はほんとうに好きなら真剣にならざるを得ない」(『老いの戒め』海竜社,2003,223頁)。
   二木コメント-仕事と趣味の「境界はあまりなく」が鍵と思います。この境地は、本「ニューズレター」110号(2013年9月)で紹介した、納光弘氏の「趣味は努力」に通じると感じました。
 趣味は真剣には、できそうな気がする。仕事は楽しくはなかなか難しい。仕事はいい加減にとならないよう、戒めたい。

2013年11月11日月曜日

ボランティア

   毎日新聞の連載に「白川道の人生相談・天の耳」がある。白石氏と言えば、学生時代から無頼な人生を送ってきた作家である。今回の相談は60代の男性からの相談で、「3年前より、ホームレスを対象にした、ボランティアをしているが、動機が不純かとも考えている」との相談の回答である。
   ボランティア活動する人の動機は、人それぞれでしょう。なかには宗教的な背景からの人もいるでしょうし、政治的な考え方の人もいる。それとはまた別に、ただ純粋に、人や社会に貢献したいという思いの人もいる。はたまた、貴男のように、自分の人生体験から行動に移す人もいる。
   ただ断言できるのは、どんな背景や動機が因になっているにせよ、その活動は間違いなく、人や社会のために役立っているということです。
   人間ですから、十人いれば十人の考えがある。ですから、なかにはボランティア活動について、あれこれ言う人もいるでしょう。しかし、あれこれ言ってなにもしない人よりは、どんな小さな活動であってもする人のほうが良いことは分かりきったことです。小生と同級生の知人のなかには、もう二十年近くも、フィリピンの恵まれない子供たちを救おうと活動している人がいます。なぜフィリピンなのか?恵まれない子供はこの日本にも他の国にもたくさんいるではないか、と同窓会で嫌みを言われたりしていますが、でもそうした疑問はナンセンスです。その人はその人なりの動機があったのでしょうし、なにより身体はひとつであって、どこにでも手を差し伸べることはできないからです。ただはっきりと言えることは、その活動によって、フィリピンの恵まれない子供たちの何人かは確実に救われているということです。
   貴男が疑問を持たれるように、ボランティアには、もうひとつの側面があります。人のためというより、自分のためではないのか、というそれです。いいではないですか、ご白身のためで。そうすることによって、ご自分の心が満たされる。貴男の活動によって助かる人がいると同時に、ご自身も人間としての充実感を覚える。このことに疑問を持つこと自体がナンセンスです。
   私も、よく何故日本の恵まれない子どもの支援でなく、外国の子どもの支援なのかと考えてしまっていた。あまり身近だとやり難い支援もある。何事もやらないで文句ばかり言っているより、やってみることだ。今、やれることから。

2013年11月9日土曜日

分人

   平野啓一郎と聞いて大学在学中に芥川賞を受賞した小説家と、わかる人はかなりの本好きの人である。1975年生まれで、まだ38歳である。彼が「私とは何か」という本を書いた。一部紹介する。
    「本当の自分」幻想がはらむ問題
人間には、いくつもの顔がある。―― 私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然と様々な自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒臭がられるだけで、コミュニケーションは成立しない。
   だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人(individual)」ではない。複数の「(分割可能な)分人dividual」である。
   人間が常に首尾一貫した、分けられない存在だとすると、現に色々な顔があるというその事実と矛盾する。それを解消させるには、自我(= 「本当の自分」)は一つだけで、あとは、表面的に使い分けられたキャラや仮面、ペルソナ等に過ぎないと、価値の序列をつける以外にない。
   しかし、この考え方は間違っている。
   理由その一。もしそう考えるなら、私たちは、誰とも「本当の自分」でコミュニケ-ションを図ることが出来なくなるからだ。すべての人間関係が、キャラ同士、仮面同士の化しかし合いになる。それは、他者と自分とを両方とも不当に貶める錯覚であり、実感からも遠い。
   理由その二。分人は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも相手との相互作用の中で生じる。キャラや仮面という比喩は、表面的というだけでなく、一旦主体的に決めてしまうと硬直的で、インタラクティヴでない印象を与える。
   しかし、実際に私が実家の祖母や友人との間にそれぞれ持っている分人は、長い時間をかけたコミニュニケ-ションの中で、喜怒哀楽様々な反応を交換した結果である。また関係性の中でも変化し得る。何年も経てば、出会った頃とは、お互いに口調も表情も変わっているだろう。それを一々、仮面を付け替えたとか、仮面が変容したとか説明するのは無理がある。
   理由その三。他者と接している様々な分人には実体があるが、「本当の自分」には、実体がないからだ。―― そう、それは結局、幻想にすぎない。
   私たちは、たとえどんな相手であろうと、その人との対人関係の中だけで、自分のすべての可能性を発揮することは出来ない。中学時代の私が、小説を読み、美に憧れたり、人間の生死について考えたりしていたことを、級友と共有出来なかったのは、その一例である。だからこそ、どこかに「本当の自分」があるはずだと考えようとする。しかし、実のところ、小説に共感している私もまた、その作品世界との相互作用の中で生じたもう一つ別の分人に過ぎない。決してそれこそが、唯一価値を持っている自分ではなく、学校での顔は、その自分によって演じられ、使い分けられているのではないのだ。
   分人はすべて、「本当の自分」である。
   私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体そそのかがないにも拘らず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中そそのかされている。それが、「私」とは何か、という、アイデンティティの問いである。
   他者があっての自分、自分とはどう認識されるのかという、きわめて哲学的な命題を「分人」という言葉でわかりやすく説明しようとしている。
   よく、自分のゴルフができれば、自分の相撲ができれば、じぶんの・・・と言われることが多い。私は、自分の・・ができればという言葉が嫌いだ。その解がこの本の中にあるような気がした。

2013年11月7日木曜日

被爆労働

 月刊誌「世界」10月号に小出裕章氏のインタビュー記事が載っている。「福島第一原発はどうなっているか」の中で、“被爆労働は誰が担うのか”で以下のように言っている。
   被曝労働を誰が担うのか
   現場で収束作業にあたる作業員の方々の被曝線量が日々、積み重なっています。被曝低減のために何か必要でしょうか。
   小出 基本的には被曝の低減は難しいと思います。広島に落とされた原爆の何千倍、何万倍という放射性物質を閉じ込めようという作業です。しかし、先ほどもいいましたが、熔け落ちてどこにあるかわからない炉心を掴みだそうとするような選択をしてしまうと被曝量が膨大に増えてしまうので、そうした選択はするべきではないでしょう。
   汚染水問題を乗り越えるために、私は地下に遮水壁を作ることを提案していますが、その建設のためにも被曝は避けられません。汚染水をめぐっても作業員の被爆は増えています。被曝の避けようがない事態が今後もずっと続くでしょう。ですから、日々、その作業でどれだけ被曝するか、別のやりかたにすれば低減できるのか、 一回一回考えながら、少しでも被曝を減らしていくしかないでしょう。
   考えなければいけない問題は他にもあります。現在、被曝しながら作業をしているのは、 10次にも及ぶという下請け・孫請けの労働者です。その人たちの被曝管理がきちんとできているなどということは,私にはとうてい考えられません。公表されている数字よりもはるかに多い被曝を労働者はしていると思います。被爆線量をごまかせという指示を会社が出し、線量計に鉛のカバーをつけて被曝量を低く見せかけるということが起きました。雇う方にしてみれば、被曝量が低減きれば作業員を長く働かせることができます。しかし、問題は働く側の方です。現在の法律では、福島第一原発の事故収束に従事する労働者は作業中の合計で100ミリシーベルトの被爆まで許されることになっています。しかし、その100ミリシーベルトの被曝に達してしまうと、5年間、原発の仕事に従事することはできなくなります。そうなると、生活ができなくなります。労働者自身が被曝線量をごまかす、そういうところに追い込まれています。それがもっとも根本的な問題で、事故収束に向けては被曝そのものは避けられないけれども、このような構造はなくすべきです。
   一部の人に被曝のしわ寄せが行くようなありかたを改めると、今度はいまよりも人手が必要になります。被曝をごまかしていた分を別の労働者が担うことになります。チェルノブイリ事故の際には、60万から80万人といわれる労働者が収束作業に従事しました。その多くは軍人もしくは退役軍人です。そのほかにも多くの技術者や労働者が参加しています。チェルノブイリでは一つの原子炉が事故を起こしたのですが、福島では4つの原子炉です。これからどれだけの期間、収束に向けた作業を続けなければならないのか、どれだけの人数の労働者が必要になってくるのか、考えただけでも気が遠くなります。収束作業を続けていくことができるのか、不安になります。
   やはり、私も含め、原子力の現場にいた人間で、事故に対してそれなりに責任のある年齢の高い人間が被曝作業に従事すべきだと思います。私も参加していますが、若者に被曝させないために退役世代が中心になって呼び掛けている福島原発行動隊というような人たちが被爆作業に当たっていくことが必要だと思います。多くの日本人、特に責任のある人たちは率先して被曝労働を請け負ってほしいと思います。
   福島原発行動隊という提案はすごい。手厚い保障をしながら、責任ある人たちが請け負って欲しい。決して若い人にやらせてはいけない。

2013年11月5日火曜日

なくせ原発

   なくせ原発!福島大集会に参加してきた。福島を忘れないためにも参加したいと思っていた。集会の「アピール」を紹介する。
手と手をつなぎ、前へ進もう
   東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から2年8ケ月、福島は今も深刻な事態のただ中にあります。汚染水は流れつづけており、「コントロール」などできていません。原発事故・震災関連の死者数は認定されただけでも1500人を超え、直接の死者数を上回ろうとしています。そしてなにより、原発事故の収束が見通せないこと自体が私たちの不安の根底にあります。避難を強いられている方々は、不自由な仮暮らしをつづけています。原発事故は、あらゆる生活と営みにさまざまな被害を与えています。 
   しかし、わたしたちはそれらを乗り越えるため、そして、新しい福島をつくるため、懸命の努力を続けています。原発再稼働に反対し、原発即時ゼロへの運動も、県内はもとより全国各地で大きく広がっています。
   あなたのとなりを見てください。
ふるさとに戻ることを願いつづける人々がいます。
家族揃って暮らせる日がくることを待ち望んでいる人々がいます。
おいしい米を、野菜を、果物を、誇りをもって作りつつける人々がいます。
   漁で生計をたてる喜びを取り戻そうと、船や漁具の手入れをする人々がいます。
   日々、学び、選び、実践しながら、子どもたちの笑顔を守ろうと懸命な人々がいます。
   のびのびと野山をかけまわれる日を心待ちにしている子どもたちがいます。
   わたしたちは、うつむいてはいません。
   わたしたちは、希望をつないで前にむかっています。
わたしたちは、国も東京電力もこの福島の現実を直視すること、そして国が東京電力まかせでなく、全責任を持って対応にあたることを求めます。あらゆる立場のみなさんとさらに強く、大きく、手をつなぎましょう。
   「『収束宣言』を撤回し、汚染水問題の抜本的解決を!」
   「徹底した除染と完全賠償、健康管理と医療保障を!」
「福島原発はすべて廃炉に!再稼働をやめ、原発即時ゼロの決断を!」
   いのちと原発は共存できません。
わたしに、あなたに、未来につながるいのちに、美しい大地・空・海をひきつぐために、いま、声をあげましょう!もっともっと大きく広げましょう!
   「なくせ 原発! 安心して住み続けられる福島を!」
2013年11月2日
   なくせ! 原発 安心して住み続けられる福島を! 11・2ふくしま大集会
  福島の人はなぜこんなにも、おとなしいのだろう。避難者全員が国会を取り巻いて政府に抗議していいのではと考えてしまう。東電は破産処理して、国の責任で事故対応を!

2013年11月1日金曜日

この星に生きるために

   雑誌「世界」の10月号は(汚染水・高線量との苦闘)という特集をしている。其の中で藤田祐幸氏(元慶応大学助教授)が「福島後をどう生きるか」と題して書いている。その最後の部分を紹介する。
   この星に生きるために
   この放射性廃棄物の毒性の寿命は人類の歴史を凌鴛する。10万年という時間を考えれば、それはもちろん、たちの世代が責任を負うことはできないばかりか、いかなる企業も、いかなる国家も、いかなる国際機関も、人間が作るどのような組織も、費任を負うことのできる時間ではない。いったい誰が、どこに、どうやって、これを処分するのか、すべての問題を先送りにしたままここまで来てしまった。この道は後戻りのできない道である。
   この惑星は1万年ほど前に長く続いてきた氷河期が終わり、ゆっくりと温暖化の時代が始まった。氷雪に覆われていた大地が緑の沃野へと生まれ変わり始めた。人々の生活の場が広がり始めた。後に日本と呼ばれることになる列島でも、石器の時代から縄文土器の時代に変わっていった。それから1万年の時間が流れ、今の私たちがいる。その私たちが10万後の子孫たちに何を残してしまったのか。
   豊かな森林と、緑滴る沃野と、見渡す限りの湿原と干潟と、その先に広がる海と、世代を超えて受け継がれてきたこの豊穣の列島を、さらに豊かにして次の世代に引き渡すことが、私たちの世代の為すべきことではなかったか。福島で起こったことはこの1万年の歴史に対する冒涜ではなかったか。
   アメリカの先住民は重大なことを決めるときに、その決定が七世代あとの人たちにとってどのような意味があるかを、すべての価値の基準にしてきたと言われている。目先の利害にとらわれることなく、未来に対する判断をすることこそが、今求められているのではないだろうか。
   もう福島の前の時代に戻ることはできない。今、為すべきは、再び同じ悲劇を繰り返すことがないように、きちんとした歯止めをかけることである。まずはすべての原発を直ちに廃炉とし、福島の被害を最小限におしとどめることに、すべての知恵を集中しなければならない。そして、作り出してしまった放射性廃棄物の処分の道筋が見える時が来るまで、これを安全に保管する術を見いださねばなるまい。
   負の遺産の負担を最小限にして残すことこそが、この山に生きあわせてしまった私たちの世代の責任であろう。
   もう福島前の時代に戻ることはできないのだ。私も含めて今生きている大人の世代の責任は大きい。

2013年10月30日水曜日

教育とはエロス

   毎日新聞、鹿島茂の「引用句辞典」から、“大学入試制度改革”についてのコメントを紹介しよう。
   文部科学省が教育再生実行会議の提言を受けて、センター試験を廃止し、「基礎」と「発展」の二段階からなる達成度テストに替えると言い始めた。
   教育現場にかかわっている人間にとっては「またかよ、もう、いいかげんにしてくれ!」 というのが本音だろう。とにかく、文部科学省が(審議会の答申という形式は取るものの)なにか「改革」を思いつくたびに、事務仕事の量が倍になり、教育どころの騒ぎではなくなるのが常だからだ。
   極論すれば、文部科学省とは、雑務を増やし教育を阻害するためにのみ存在する官庁である。「最も良い文部科学省とはなにもしない文部科学省である」と囁かれているのを当の役人は知っているのだろうか?
   制度をいじれば教育の質が向上すると考えるその発想法がそもそもの誤りなのである。教育というものに携わったことのない彼らは教育の本質というものをまったく理解していないのだ。
では、教育の本質とはいったい何なのか?
   プラトンに言わせると、それはエロスであるということになる。エロスとは生き物に子を産むようにしむける神である。死をまぬがれぬ動物はエロスに導かれて、より良きもの、より美しきものと結合して子をなさんとする。自己をより良くより美しく永遠に保存し、不死にしたいからである。
   しかし、人間という特殊な動物にはこうした生物学的自己保存願望のほかにもう一つ、自分が獲得した「知」を同じように永遠に保存したいという本能がある。しかも、より良く、より美しいもの(つまり優秀な生徒)を見つけてその中に自己を保存したいと欲するのだ。「そのような者たちは、通常の子育てをする夫婦よりもはるかに強い絆と堅固な愛情で結ばれることになる。なぜなら、彼らが一緒に育てている子どものほうがより美しく、より不死に近いのだから。どんな者でも、人間のかたちをした子どもよりも、このような子どもを自分のものにしたいと願うことであろう」
   もちろん、ここにはプラトン特有の少年愛的なエロスが暗示されている。しかし、プラトンが本当に言いたいのは、教育というのは本質的にエロスの支配する領域であり、知を獲得したものが自己保存本能に駆られて行う再生産にはかならないということだ。この意味で、教育ほどエロチックなものはない。
   少しでも教育に携わったことのある人ならこうした教育のエロチシズムというものが理解できるはずだ。教育は、それがうまく行けば、教える側には大きなエロス的快楽をもたらすのであり、この快楽があればほかに何もいらないほどなのである。
文科省の役人に決定的に欠けているのはこうした教育のエロス的側面への理解である。教えることが好きで好きでたまらない人間のヤル気をそぐこと。文科省の役人の狙いは、どうもここにあるとしか思えないのである。
   鹿島氏はフランス文学者であるので、よく「プラトン」を引用するが、なかなか的確でユニークである。「教育とはエロス」であるというプラトンは今から2400年位前の古代ギリシャの哲学者であるが、この言葉は今の時代にそのまま通じる。

2013年10月28日月曜日

莫言

   「莫言」とは、と聞かれてすぐに答えられる人は少ない。「ばくげん」と読む。2012年度「ノーベル文学賞」を受賞した中国人である。予想では、「村上春樹」が受賞するであろうと言われた年度の受賞者である。彼の本を大部分翻訳している吉田富夫氏が書いた「莫言真髄」という本を読んだ。「莫言」とは何者であるかを紹介して本である。そこで紹介されている、2010年に彼が日本に来た時の講演の一部を紹介する。
   人々はなぜ貧困を忌み嫌うのでしょうか。貧乏人だと思うさまおのれの欲望を満足させられないからです。食欲にしろ性欲にしろ、虚栄心にしろ美の追究にしろ、病院で行列せずに診察してもらうにしろ、飛行機でファーストクラスに来るにしろ、すべてカネで満たし、カネで実現しなければなりません。むろん、王室に生まれるとか、高官になるとかすれば、上述の欲望を満足させるのにたぶんカネは必要としないでしょう。富はカネに由来し、貴は出身や家柄や権力に由来します。むろん、カネ持ちになれば、貴を気にかけることはありませんし、権力を手にすればカネの心配もないらしい。なぜなら、富と貴とは密接不可分で、一つの範疇に合体させうるものだからです。
   貧乏人が富貴を羨み、それを手に入れようと望むのは人情の常で、正当な欲望でもありまして、孔子さまもこのことは肯定しておられます。ですが、孔子さまは、富貴を望むのが人の正常な欲望だとしても、正当ならざる手段で手に入れた富貴は享受すべきでないとも言っておられますーーー 貧困は誰しも忌み嫌うが、正当な手段を用いずして貧困を脱却するなど、すべきではない、と。    
   今日、二千年前の聖人の数えは、もはや民百姓の常識になっています。ところが、現実生活にあっては、正当ならざるやり方で貧を脱して富に至った者がゴロゴロしていますし、正当ならざるやり方で貧を脱して富に至りながら懲罰を受けていない者がゴロゴロいますし、正当ならざるやり方で貧を脱して富に至る人たちのことを痛罵しながらも、おのれにチャンスさえあれば同じことをする者にいたってはもっとゴロゴロしています。これぞすなわちいわゆる、世の気風は日に下り 、人心は古のごとくならずであります。
   古人はこうしてわれわれのために無欲恬淡として貧に安んじ道を楽しむという道徳的手本をうち立ててくれていますが、その効果は微々たるものです。人々は血を吸う蚊か臭にたかる蝿のごとくに名利を追求し、古今にわたって無数の悲劇を演じてきました。むろん、喜劇も無数に。
   社会生活を反映する芸術形式としての文学は、当然この問題をおのれの研究し描写するもっとも重要な素材としてきました。文学者も大多数は富を愛し名利を求めますが、文学はカネ持ちを批判し、貧乏人を称えるものです。文学が批判するカネ持ちはカネのために酷いことをしたり、不正な手段で富を得た人で、称えるのは貧乏でありながら人としての尊厳を失わない貧乏人です。
ちょっと思い出しただけで、文学におけるそうした典型的人物をたくさん思いつきます。作家たちはそうした人物の性格を作り出すにあたって、生死や愛憎の試練を与える以外に、常套手段として富貴を試金石として人物たちを試します。富貴の誘惑に耐えぬけばむろん本物の君子ですし、それに耐えられないと小人や奴僕や裏切り者やげす野郎に成り果てます。
   まさに、今の中国の現状を憂えている文章である。
私は、ノーベル文学賞など興味はない。彼が、受賞した時、中国ではあまり歓迎されていなかった。何故か、その辺を知りたくてこの本を読んだ。あらためて彼の本を読みたいと思った。「莫言」はペンネームである。「いうなかれ」と読む。彼は小さい時から「おしゃべり」で、よく母親から叱られたのでそれをペンネームにしたそうである。

2013年10月25日金曜日

池上彰の政治学校


   「池上彰の政治学校」という本を入手した。今、本屋へ入ると、池上彰の本が何冊も平積みにして売られている。私は、このような売られ方をしている本は読まないことにしている。古本市で安く売られていたので、読んでみた。「食わず嫌い」もいけないと思って。その中で、成る程と思ったところを紹介する。
       若者よ、投票へ行こう
   日本の政治の問題として、若い人を中心に日本人が選挙に興味を示さなくなり、このところ投票率が下がっているという事実があります。これは民主主義の根幹を揺るがす由々しき事態です。
では、日本人に選挙に興味を持ってもらうには、どのような方策があるのか。
   アメリカの学校では、授業でさまざまな実際の政策を披露しながら、どれがいいかを決めるために「模擬投票」まで行うことがありますが、同じように日本でも、小学校や中学校から、社会科の時間などを利用して政治教育をする必要があるという話が出ています。
   ただ、日本の学校で政治教育をするのは簡単ではありません。たとえば、衆議院議員選挙に合わせて、「さあ模擬投票をしてみよう。みんな、どの政策がいいと思うかな。今の立候補の中で誰がいいと思う? 考えてみよう、実際に投票してみよう」などという授業をすれば、すぐにマスコミが、「学校の先生がそんなに政治的なことをやっていいのか」といったネガティブな報道をするはずです。父母の中には、学校や教育委員会に文句を言いにいく人も出てくるでしょう。
    だから、学校の先生はうっかりしたことは言えません。とにかく教科書に書いてある一般論として選挙の仕組みの話しかできない。それでお茶を濁して先へ進む。こうして政治に関する本当にしなくてはならない教育が行われていないのです。いわゆる「関心を持たせる」ような教育ができないわけです。
   実は、私が若者の投票率を上げる秘策として考えているのは、二つあります。一つは、今解説したように小学生、中学生の頃から、「模擬投票」など、政治に興味を持たせるような授業をすること。そしてもう一つが、選挙権を与える年齢を引き下げることです。 
たとえばへ18歳から選挙権が与えられるようになったとします。すると高校生のときから選挙権を持つことになるわけです。高校生であれば、まだ純情ですから、「選挙に行かなければいけないよね」と言われれば、とりあえず投票に行く人も多いと思います。そこで政治に興味を持ってもらえれば、大きな動きにつながる可能性がある。
   ところが20歳になると、すでに就職していたり大学へ行ったりしていて、まず時間がありません。それに、地方から都会の大学へ進学している人も多いでしょう。自分の地元であれば、どのような問題があり、どのような候補者がいるのか、わずかながらでも耳に入れたことがあるかもしれませんが、東京に出てきたばかりでは、候補者も知らないし、何が問題なのかわかりません。結局、関心も持たないし、投票にも行かないということになってしまいます。
そうして何年も行かなくなると、「選挙に行かない癖」がついてしまいます。あるいは、行ったとしてもどうしていいのかわからないから、怖くて行けないという人も出てきます。 
   高校生のときに、とにかく自分が生まれ育ったところで一度でも投票をしておけば、少なくとも選挙で票を入れるときに何をすればいいのかわかるようになります。それに18歳から政策について自分の考えを持つようになれば、精神的にも成長するようになるでしょう。政府も18歳から選挙権を付与する方針を打ち出しましたが、いつまで経っても実現する気配がありません。
   私は、18歳からの選挙権に賛成である。しかし、当面はならないだろうなあ・・・。

2013年10月23日水曜日

校庭に東風吹いて


 赤旗連載小説「校庭に東風吹いて」の159回目を紹介する。真治と知世は夫婦、ユリはその娘。彰は知世の兄で、母親を妹の夫婦に面倒を見て貰う内容のところである。作家は柴垣文子氏である。
   二月の連休が始まった日、名古屋の兄が訪れた。知世は真治とユリとともに出迎えた。彰は和室に入ると、畳に両手をついた。
「きょうだいを代表して、お礼とお願いに上がりました。母との同居を引き受けていただいて、ありがとうございます。よろしくお願いします」
   「分かりました」真治は真面目な顔で答え、ユリはうつむいている。「楽にしてよ」知世は言った。しかし、兄は正座したままだった。
再び、兄は深く頭を下げた。「たくさんのきょうだいがいながら、真治君たちに頼むのは心苦しいことです。それでも無理を承知でお願いしたいのです。ここで暮らしたいという母の望みをかなえてやりたいのです。ユリちゃんも頼みます」
   彰の言葉に、ユリが驚いた様子で顔を上げた。「はい」うわずった声で応えた。真治が口を開いた。
   「お義母さんと家族になりたいと思いますので、よろしくお願にいいします。お義兄さん、今回、家族について考えました」
「真治君の家族論を聞きたいものですね」
   「家族論というほどのことではありません。結局、苦楽をともにする、という昔の言葉にいきつきました。同じ食卓を囲む、同じ庭を眺める、ひとつ屋根の下で暮らす、日常の暮らしを積み重ねて、苦楽をともにすることだと思うんです」
   「よろしくお願いします」再び、兄は深く頭を下げた。
「知世は働いていて、僕には転勤の話があります。しかし、これまでも、厳しい局面をなん度も切り抜けてきました。今回も精いっぱいやります」真治の声は明るかった。
   「さあ、楽にして」知世はお茶を勧めた。茶わんを手に取り、すすってから彰が口を開いた。
   「しばらくの間、おふくろと一緒に暮らしてみて分かったよ。やはり、時間と労力は考えていた以上だ。通院はあるし、三食の糖尿病食を作らなければならない。一日も休みなしだ」
その言葉に昨秋、しばらくの間だったが、母と一緒に暮らしたときの気ぜわしかった日々がよぎった。
   「僕はなぜか、お義母さんと気が合います。だから、家族になれると思います」真治が快活な口調で言うと、彰は頬をゆるめた。
「ありがたい言葉だが、同居が双方に強いストレスを生むことはまちがいない。お互いに距離が必要だろうな。知世は一緒に入浴していたそうだな。おふくろは喜んでいたよ。だが、おふくろは一人で入浴できる。知世はとも働きだ。自分の時間を大切にした方がいいよ」
   距離が必要、という言葉に思い当たることがあった。「考えてみます」知世は答えた。「ところで、おふくろの永住の場所について、きょうだいの意見が、いろいろあったのには驚いたよ。なん度もやり取りをして、最後は親の意思を尊重することにまとめたよ」
   東風は(ひがしかぜ)と読むのだろう。古典では(こち)と言う。
「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は菅原道真の歌である。この時は東風(こち)である。
   それはいいとして、「同じ食卓を囲む、同じ庭を眺める、ひとつ屋根の下で暮らす、日常の暮らしを積み重ねて、苦楽をともにすることだと思うんです」という言葉、身につまされる。

2013年10月21日月曜日

ビッグイシュー

 ビッグイシューを購入した。「ビッグイシュー」はホームレスの人々に収入を得る機会を提供する事業として、1991年に英国ロンドンではじまった。300円定価でそのうち160円が販売者の収入になるシステムである。その中で、「浜矩子のストリートエコノミクス」という連載コラムがある。以下の紹介する。
万事は人間中心でなくっちゃ
日弁連の人権擁護大会に、シンポジウムのパネリストとして参加した。国防軍創設構想を軸に、憲法改正問題を論議した。
人権擁護に燃え、平和憲法を守り抜く決意固き参加者たちの熱気が心強い会合だった。パネルの論講も高質で濃厚だったと思う。
議論が進む中で、あることに気づき始めた。それは、とかく、人間と経済はかけ離れていると思われがちだが、人間と外交・安全保障との関係にも、同じ側面があるということだ。いずれも、変な話だ。経済活動は人間の営みだ。外交・安全保障は人間と人間との関係をつかさどる営みだ。いずれも、定義上、そこから人間が疎外されるはずのないテーマだ。
ところが、実際に議論を始めてみると、どうしても、話は国家という存在を語る方向に進んでしまう。アメリカがどうした。中国がどう出る。その時、日本はどう反応する。そういうトーンで話が進む。むろん、それは重要な視点だ。だが、国家を語る時、我々は国民を忘れてはいけない。国家は国民のために存在する。その逆ではない。国々の人々がお互いにどのような関係を形成するか。そこを取り扱うのが外交・安全保障の仕事だ。国々の人々はお互いに何を与え合い、何をどう分かち合うのか。そのあり方の総体として経済活動がある。
我々の視野から国民が消えて、国家ばかりを語るようになると、必ずや、議論がおかしな方向に行ってしまう。グローバル時代においては、経済上も外交・安全保障上も、国家間関係はことのほか難しくなりがちだ。グローバル時代が国境なき時代だからである。
だが、グローバル時代が国境なき時代だからこそ、人々の間の経済的絆はかってなく強まり、おつき合いのあり方は一層幅広く、濃密になっている。誰もが、みんなグローバル長屋の住人だ。何をテーマに議論するにしても、そこが発想の焦点でなければならない。改めて、そう痛感した。
浜矩子氏は1952年生まれである。私と同い年である。
国家、国家、国家と連呼する人や文章は、まともに信じない方がいい。

2013年10月15日火曜日

イアン・ブルマ

   東洋経済にイアン・ブルマ氏(米バード大学教授)世界の視点のコーナーで「キリスト教軟化と集団的道徳の崩壊」という文章を書いている。その中の一部を紹介。
   集団行動の道徳的基盤を確立する新しい方法ははたしてあるのだろうか。世界の形を変える新しい市民ネットワークのためのスペースを提供することで、インターネットがその役割を果たすだろうと考える夢想家もいる。SNSが大義名分のために人々を結集するという考えもある。
   だがネットは、実際には、私たちを逆方向に向かわせている。ネットにけしかけられて私たちはナルシシスト的消費者となり、自分の「いいね」を表したり、誰とも気持ちが本当に通じ合っているわけではないのに私生活の一から十までをシェアしたりしている。
   これは、善悪を定義したり集団における意義や目的を確立したりする新しい方法を見出す際、何の拠り所にもならない。ネットが果たしてきたのは、営利企業が私たちの生活や思考、欲求に関する巨大なデータベースを構築するのを容易にするという役割だ。
   大企業はこの情報を大きな政府に横流しする。だからスノーデン氏の良心は、政府の機密を私たち全員とシェアしなければ、と彼に思わせたのである。スノーデン氏は私たちに「いいこと」をしてくれたのかもしれないが、私としては懐疑的だ。
   前後の文章がないので、理解し難いかもしれないが、「ネットが果たしてきたのは、営利企業が私たちの生活や思考、欲求に関する巨大なデータベースを構築するのを容易にするという役割だ。」というところは、鋭い視点である。

2013年10月11日金曜日

POPEYE


   月刊「POPEYE」をご存知だろうか。主に若者をターゲットにした、写真が多い雑誌である。これが結構、大人にも読める記事もあるのだ。今回「大人になるには?」という特集を組んでいたので購入した。その中で、24歳のライターが山田太一インタビューした記事を紹介する。以下その概要である。
   確かに、人を知るということは大人になるひとつの方法なのかもしれない。そういう意味では、ドラマを見ることはものすごく勉強になる。ある日、編集長に借りた「ふぞろいの林檎たち」を見て、ぼくはそう思った。昔のドラマだと甘く見ていたが、人間のどうしようもない悲しさをここまで感じたシーンはあまり見たことがない。
   ぼくはこの話の生みの親にどうしても会いたくなった。だめもとで事務所に電話をかけてみると優しい声のおじさんが出た。まさかの本人である。あたふたしながら企画を説明すると「じゃあ来週の金曜日の16時に喫茶店で」とお茶の約束をするような軽やかさで取材が決まった。即決である。当日、デパートの中にある喫茶店に山田太一さんはフラッと現れた。
   「こんにちは、山田です」あの名シーン、“ヌカれ泣き”を作った人とは思えない物腰の柔らかさに驚いた。
「大人ですか? ほっといてもなりますよ(笑)。まぁ、固いことを言わないのが大人なのかなあ」
   ぼくは、その言い方から「この人は、やはり、相当な不良なのではないか」と思った。「若いときは、自分の正しさに燃えますからね。それも他人からインプットされた正しさに。その視点で世界を全部捉えられるぞと興奮して万能感を手にした気になったりね。でも、それは大抵間違い(笑)。人間はものすごく偶然の中にいて、非常に不平等な世界で生きてる。同じ時代に生まれた人でもまったく平等じゃないでしょ? しかも、個人差がある上に、その時代にたまたま適応できる人とできない人がいる。そんな中で失敗する場合もあるし、成功する場合もある。でも、それは自分の力じゃないんですよね。多くの要因は、“なにか”のせいですよ。それが自分のコントロールのおかげだと思っていたらちょっとバカね(笑)」
24歳で、やる気に満ちた発言をすると「若いからなんでもできる」と応援されることはあるけれど、“間違い”と言われることはなかなかない。でも、山田さんにはきっと若者の“間違い”の原因が見えているのだろうと、その不敵な笑みを見て感じた。
   「若いときは、努力すればなんとかなるっていう一本調子の人生観じゃないですか。正しいものは勝つ!とかね。でも世の中をみていると「勝たないことがある」ことがわかってくる。そうすると、人っていうのは、自分を棚に上げられなくなりますよね。道徳とか倫理に反する人を徹底的に叩くということができないはずなんですよ。「もしかすると、自分がその状況でもやるかもしれない」という留保を持つようになるんです。だから、大人かどうかはそういう認識を意識的、知的に持つか持たないかだと思いますね。子供は自分のことはピュアだと思っているから、「あいつは信じられない奴だ」とか言って、極端になると死ねとか思ったりするでしょ。だから、原理主義というのは子供の考えですね」
   そう考えると、あの中井貴一はどうなのか? あのやるせない怒りには時代を超えたなにかを感じるけど、山田さんから見て今の時代はどう見えるのだろうか。
   「社会の大きな流れは止めることはできませんね。現代で言うと世の中が過度にテクノロジー化していくという流れはもう止められませんよね。でも、一人一人はブレーキをかけられますよね。ぼくは普段ほとんど車を使わないで電車に乗ったり、歩いたりしているんですけど、そうするといろんな人を見られるんですよ。効率のよい、体を使わない日々より味が深い。テクノロジーに対して、自分の中でストップをかけられるのも大人の教養だと思いますね。 
   最近は、ちょっと不自由とかちょっと不便とか、ちょっと貧乏ってかっこいいなって思ってます。みんなで新しいものを追いかけて「おれは人より適応した」と未来に向かって競うっていうことは、みんなで現代を逃げているんですよね。現代を生きていないのね。だから、みなさん現代を生きましょう(笑)」
   「テクノロジーに対して自分の中でストップをかけられるのも大人の教養」「原理主義というのは子どもの考え」という考えは言い得ている。自分の力でなんでもできると勘違いしている政治家がいかに多いことか。

2013年10月9日水曜日

いわさきちひろ

   文藝別冊「いわさきちひろ」を読む。ちひろ関連本は年に何度か見たり、読んだりすると心がやすらぐ。今回読んだなかで、ちひろが2人の結婚にかんするエピソードを書いている。一部紹介する

   わたしの結婚
   「花とぶどう酒とーーー二人だけの結婚式」 いわさきちひろ
松川事件、三鷹事件があいついでおこったころでした。画の勉強をしていた私は、ふと絵筆をおきました。これはとてもたいへんなことです。この真実をすこしでもおおくの人に知ってもらいたいと、私はポスターはりやビラくばりを急にいっしょうけんめいにやりだしました。そんな私たちのところへ、国会の共産党の秘書をしている青年が、ある日入ってきました。
   ナッパ服をきて、ゾウリはきの人でした。彼はよく何か用事をつくって私のところにやってきました。
   「絵をみせてください」ともいってきました。そして食事をしていくのです。飯ごう一ぱいのごはんとイカの煮つけが一日中の食事といった自すい生活をしていた彼でしたから、ほんとは女の人の手づくりの料理が目あてだったかもしれません。
   「善明さんって、ステキ!」とおっしゃる若い娘さんもあるそうですが、そのころの松本はけっして素敵なんてものではありません。ビラはりにいくのにも、二人であるくのにも、神田の舗装道路をピタピタとゾウリはきなのです。靴が買えないのだろうかと思った私は、さいわい画料が入ったので、
   「靴を買ってあげましょうか」といいますと、
   「ぼく、靴なら家に六足ももっている。でもぼくは一生、革命に身をささげるんだから、靴など買う身分にはならないと思う。だから六足の靴は一生だいじにはくんだ」
というのです。
   結婚してから私がこの話をもちだすとてれくさそうに“つまらない話はよせ”といいますが、一生貧乏な生活をしていくんだと確信をもっていった二十三歳の青年に、私がひどくうたれたことはたしかです。
   私たちが結婚したころのことを話しあうと、松本は、私が結婚を申しこんだのだといいます。私が「マルクスの奥さんは年上ね、レーニンもねーー 」といったのが、松本より年上の私の結婚申しこみだというのです。私はそんなつもりでいったのではないと主張します。そしておしまいには「錯覚結婚だ」といって笑ってしまうのです。
   ちひろの夫はご存知のように、元共産党国会議員だった「松本善明」である。終戦後5年たった時、6歳年下の「革命に生きる人」と結婚した「いわさきちひろ」は本当に純粋な人だったと思う。

2013年10月7日月曜日

あべこべ

   毎日新聞の論説委員が、発信箱というコラムを毎週書いている。一人よがりのコラムもあるが、今回は面白いので紹介。  
   金づちとクギ抜き
鎮具は「ちぐ」と読み、金づちを指す。破具は「はぐ」でクギ抜きのこと。二つあわせた「ちぐはぐ」は、金づちとクギ抜きを交互に使って、仕事が進まず何をしているのかわからない、というのが語源。
ことばの由来を集めたサイト「語源由来辞典」にある説明だ。裏づけがなく一俗説らしい、と書かれているけど、ちぐはぐ感は十分出ている。
   安倍晋三首相が消費税の「来年4月8%」を決めた。同時に約2%にあたる5兆円を使い景気対策をする。毎年の借金を少しでも減らそうと我慢する増税なのに、景気対策の名の下、ばらまく。
   ちぐはぐの関連語に、「あべ・こべ」というのもあった。1993年から2009年の間、日本人の平均年収は441万円から385万円に減ったのだけど、最大の原因は、小売りなどサービス産業でパート労働者が増えたことと労働時間が減ったことだという。経済産業研究所の児玉直美さんらが調べて行きついた結論。「誰の賃金が下がったか。一口で言うと、製造業よりサービス産業」
   サービス産業で給料が増えるよう知恵をしぼる時に、製造業にお得な円安政策や減税をやる。利益がなく法人税を納めていない企業が全体の7割、これを何とかしなきゃいけないのに、残り3割相手の法人税減税で、賃金上昇が広がるって。
   新明解国語辞典(第7版)によると、「あべこべ」は、「順序・位置・関係などが、本来あるべき状態とは逆であること」。そして、「ちぐはぐ」は、「期待したことと結果とがひどく違っていていらいらさせられる(不運を嘆きたくなる)感じ」。嘆いてからでは遅い。国のお金の「入り」と「出」、両方に目を光らせないと。
   「ちぐはぐ」と「あべこべ」は「アベノミクス」のキーワードにしたい。

2013年10月4日金曜日

死に支度

 月刊誌「群像」に連載されている「死に支度」という小説の一部分を紹介する。はたして作家はだれでしょうか。

春の革命
   台所で、食べ終ったばかりの食器を洗いながら、私は首を廻して背後の壁の時計を見た。七時二十分と確かめると、思わずひとり笑いがこみあげてきた。こんなに早く、こんなに食器の数の少ない朝食を私は四十年近くもこの寂庵でとったことがない。たいてい寂庵に居る時は、深夜も、早朝もひたすら机にしがみつき、書きに書いていて、私の眠りは深い代りに至って短い。
   スタッフたちの就業時間は朝九時から午后五時まで、量食休みは適当にと決めてあるので、九時ぎりぎりまで誰も出勤して来ない。彼女たちが揃い、いっせいに雨戸をくったり掃除の物音を賑やかにたてはじめると、ようやく私は目を覚まし、寝足りない仏頂面で、みんなに「おはよう」と声をかけるのだった。まだ頭の中に書きかけの原稿が重くわだかまっている時は、向うから「おはようございます」と挨拶されても耳に入らず、むっとした顔つきのまま、返事もしない時があるらしい。彼女たちは、長い歳月の間に、私のそんな表情の意味も読みとっていて、そういう時は自分たちも足音をつつしみ、黙って香り高いコーヒーだけをさしだしてくれる。
「どうかもう台所に来ないで下さい」台所一切を取りしきっていたハンちゃんこと森はるみから、ある朝、面と向って宣告されたのは何年前のことだったか。
   「どうして?」
   「だって、先生が台所に見えると、必ず食器の数が増えるんですもの」
   聞いていた他のスタッフが声を揃えて笑う。私が台所で何か手出しをすれば、粗相して食器を割ってしまうということなのだ。一緒に昼食を取りながら、岡本かの子はよく台所で自分が食器を割ることを食器の数が増えると表現したと、笑い話にしたことを覚えているのだ。そのかわり、私は彼女たちがどんな高価な食器をこわした時も怒ったためしはない。
   「物は、いつかはこわれるのよ。人は必ず死ぬ。逢った者は別れる。それが人生の法則だから。こわした時はごまかさずに、今度から気をつけますと、謝ればいいのよ」
   自分の粗相に脅えていたスタッフは、ほっとした顔になり改めて両手をついて謝るのだった。その真似をして、私はかしこまってハンちゃんに深く頭を下げた。
「いやだ、そんな芝居みたいなことをして、からかわないで下さいよ」
   年と共に体つきにも性根にも貫禄を増してきたはるみを、昔のままハンちゃんと呼ぶのは私だけで、次々増えてくるスタッフたちは、誰が言いだしたか、みんな「お姉さん」と彼女に呼びかけ、自然に敬語を使うようになっている。年中旅に出て留守がちか、在庵の時には仕事に追われて上の空の私は、頼りにならないと見え、いつの間にか全員が何事によらずはるみの指示で動いていた。私の食事の世話は、はるみが一手に引き受け、ほとんど他のスタッフに手を出させない。
   作家の名前は「瀬戸内寂聴」である。今年の5月で91歳になった。この年でまだ連載を書いているだけでもすごいのに、文章が若い。「物は、いつかはこわれる。人は必ず死ぬ。逢ったものは別れる・・」まさにその通り。
因みに90歳は卒寿という。卒の略字は「卆」と書く。九と十と書くので90歳を「そつ寿」と言う。卆寿を過ぎてなお健在である。

2013年10月2日水曜日

名言・警句

  二木立氏の「私の好きな名言・警句」から紹介する。
  植草一秀(エコノミスト、スリーネーションズリサーチ株式会社代表取締役)「現実には一つ一つのファクトがあるだけです。それをどう読むかは、無限の可能性がある。その時、ある仮説を立てて、それらの関連性を読み解いてゆく。こういう出来事の因果関係について、確実な証拠が揃うというようなことはないわけですから、結局すべては推論でしかなく、そういう言い方をすればすべての推論は陰謀論になってしまうわけです。ある仮説を立て、現実の流れを読み解いてゆく、その推論が信じられないのか、説得力があると見るかということだけなのです。客観的に見てかなり無理のあるこじつけをしているなら陰謀論でしょうし、客観的にみて絶対とは言えないまでも、そういう見方が成り立ちうる推論までを、陰謀論として切り捨てようとするのは、逆の立場から、そう推論されることを否定したいという意向を反映しているのではないかと思うのです」(鳩山由由紀夫・孫崎亨・植草一秀『「対米従属」という宿痾』飛鳥新社,2013,152-153頁。孫崎亨『戦後史の正体』を「典型的な陰謀史観でしかない」と批判した、佐々木俊尚氏の「朝日新聞」書評を批判して)。二木コメント-私は「陰謀史観」は嫌いですが、自分と違う主張・推論を反証も示さず「陰謀史観」と切り捨てる「上から目線」はもっと嫌いです。植草氏の発言を読んで、次の言葉を思い出しました。

  野谷茂樹(東京大学教養学部助教授・当時)「前提から結論へのジャンプの幅があまりに小さいと、その論証は生産力を失う。他方、そのジャンプの幅があまりに大きいと、論証は説得力を失う。そのバランスをとりながら、小さなジャンプを積み重ねて距離をかせがなくてはならない。それが論証である」(福沢一吉『議論のレッスン』(生活人新書,2002,92頁)。「飛躍をともなわない意見は主張ではない」の項で、野谷茂樹『論理トレーニング』産業図書,1997)の複数の箇所から総合的にまとめた形で引用)。

  高橋伸彰(立命館大学国際関係学部教授、日本経済論)「国によって人びとの行動パターンは違います。違うのがおかしいというほうが本当は『おかしい』。日本の経済学者やエコノミストの多くは『アメリカでは』を連発するデハ(出羽)の守ばかりです。『日本には』というニハの守をもっと増やすべきです」(高橋伸彰・水野和夫『アベノミクスは何をもたらすか』岩波書店,2013,92頁)。二木コメント-私も「アメリカに限らず、どこの国であれ、特定の国を礼賛する『出羽の守』は、現実の改革には無力だと考えて」いるので大いに共感しました(『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房,2006,100-101頁)。

  大学時代「アメリカでは」を連発する教授を思い出した。
何事も「面倒くさがらない」事が前進の一歩であると考える。  

2013年9月25日水曜日

軍隊形成の方法

 
民医連医療9月号のメディアへの「眼」を紹介。
     第29回徴兵制
まさかそんなこと  国際政治学者畑田重夫
一人も死なず、一人も殺さなかった自衛隊小泉内閣時代に自衛隊がイラクへ派遣されたことは誰にとっても記憶に新しいところでしょう。あのときは憲法9条という歯止めもあり、自衛隊は「戦闘地域」へは行きませんでした。したがって、自衛隊は1人も戦死することもなく、また相手側の兵士や民間人を問わず1人も殺しませんでした。ところがイラク戟争だけで、アメリカ兵は4065人(負傷兵2万9978人)、イギリス兵176人、イタリア兵33人、ポーランド兵23人、ウクライナ兵18人、ブルガリア兵13人、スペイン兵11人というように、多国軍の人的被害の実数が記録されています。
   もし立法措置によって日本が集団的自衛権の行使が可能な国になり、自衛隊がアメリカが行う戦争に参加し、そこでたとえ1人でも戦死という情報が流れたとしたらどうなると思いますか。日本の親たちは、息子たちに、「生命が危ないから絶対に自衛隊へ入っちゃダメだよ」と言うに違いありません。それにより、自衛隊員の募集は困難を極め、定員を充足することが不可能になります。そうなれば、あとは法律的強制を加えて自衛隊員を集める以外にはないではありませんか。結局、徴兵制実施による隊員の充足必至ということになるのではないでしょうか。
    軍隊形成の2つの方法
一般に兵員を集める上では、およそ2つの途(ルートもしくはケース)があります。1つはその国の経済や社会事情が庶民にとって非常に厳しくなって、「軍隊に入りさえすればちゃんと給料ももらえるし、住居、服装、食事など一切心配ないよ」という宣伝(口コミも含む)によって兵員を集めるという方法です。いまのアメリカはその典型です。アメリカという国は貧富の格差がひどく、周知のように若者たちを中心とする99パーセントが1パーセントの富裕層に対するたたかいを展開しています。沖縄駐留の米海兵隊員にしろ、在日米軍のすべての兵たちも極貧層の出身者が圧倒的部分を占めています。
    いま一つは、かつての日本や今の韓国のように徴兵制によって兵士を集めて軍隊を形成するという方法です。参院選でたとえ改憲勢力が3分の2を占めることになったとしても、すぐに改憲発議→国民投票ということにはなりません。第一次安倍内閣時代に強行成立をみた「国民投票法」の宿題である、①最低投票率の設定、②18歳投票権の整備、③公務員労働者の活動制限、が未解決のままだからです。安倍首相は、96条改憲構想ももっていましたが、同構想は、改憲主義者からも「邪道」だと言われるほど大きな批判や抵抗を招き、全く誤算となった状態のもと、当面、過半数で決められる立法改憲に向かうのではないかと思われます。それは、とりもなおきず、現憲法のままでも、日本がアメリカと一体になって戦争ができる国になるという道をひらくことになりますので、私見によれば、前述のように徴兵制も遣い先の話ではなくなるということになるわけです。
   軍隊形成の2つの方法のうち、日本はどちらの方法をとるであろうか。私は、1つ目の方法だと考える。もう日本の若者は十分貧しくなっているから。

2013年9月17日火曜日

一滴

   山梨民医連新聞の一滴に掲載した文章を紹介する。
   NHKテレビで「28歳になりました。7年毎の記録」を録画でみた。最近のドキュメンタリーで見ごたえのあるものはほとんど夜遅い時間帯での放送が多い。この番組も夜中の12時頃であった。今年28歳になった若者の13人に、7歳、14歳、21歳の時にインタビューして将来、何になりたいかと尋ねている。そして今28歳に何をしているかを対峙させている。
   ある人は東北の農家の4代目の跡取りである。7歳の時は「お父さんの後をとってお米をつくる」と無邪気に答えている。14歳の時は、お米を作ることに悩み、21歳の時は長男のプレッシャーを感じ、そして28歳の今、農家を継がないで地元の企業に就職、派遣から漸く正社員になれたと喜んでいる。
   沖縄の女性は、7歳のとき「戦争はいやだ」と言っていた。28歳の今は、「7歳の時の純粋さがなくなって、現実が見えてきてしまって複雑」彼女の父親は、基地で整備士として働いている。沖縄の状況は現状維持か悪化するであろうと述べている。
   ある人は大学受験に失敗し、今は日航のキャビンアテンダントになり、頑張っている。日航の倒産を経験し、再建の使命感を感じて頑張っている。どの若者も、けなげに真面目に働いている様子がひしひしと伝わってくる。どの人の背景にも今の政治が反映している。この若者達の将来に幸あれと切に願う。
   他にも、一人っ子で検察官になりたかったが、コーヒーのチェーン店の店長をしている青年。伊万里焼の15代続く窯元を親子で頑張っている青年。歌舞伎俳優だが、世襲ではない父が死亡し、後をついでいる青年。瀬戸内の小島で育ち、今は四国本島で暮らしている女性は不便な島には帰りたくないと言っている。どの人もそれぞれの立場で一所懸命である。

2013年9月11日水曜日

恩師


   大学時代の恩師より、著書が届いた。大学を卒業しても、まだ気にかけてくれている。先生は、私を民医連に導いてくれた人である。挨拶とはじめにの部分を紹介する。
   謹呈
   猛暑の続いた人月し-たが、お元気でお過ごしでしょうか。すっかりご無沙汰いたしました。この度、「自分を耕せ」という本を書いてみました。内容がお粗末でお恥ずかしいのですが、日頃のご無沙汰のお詫びの気持ちでお届けしました。却ってご迷惑でしょうが、お受け取り頂けるとうれしいです。
    一部の方には近況報告という形でお伝えしましたが、私は車いす生活の一人暮らしです。八十五歳になりました。友人、仲間の好意に甘えて支えられ、感謝しています。ここまで生き長らえることが出来たことが不思議なくらいですが、生きている限りは、前向きな暮らしを続けていきたいと願っています。
   どうぞ皆さんも健康に留意され、ますますご活躍になられますよう期待申し上げます。二〇一三年九月 河合聡

  はじめに「生きるとは何だろう?」。これは、すべての人にとっての真剣な問いかけではないでしょうか。私たちは、二十歳前後の青春時代に、誰しもこの問いかけに向き合い、思い悩んだ経験があるでしょう。年老いてなお、折に触れて頭をよぎる問いかけです。この問いかけは、おそらく人類の歴史とともに始まったことでしょう。この問いかけによって、文化は生まれ受け継がれてきたのだと思います。そして、今も人生における重要な問いかけであり続けています。
   一方、「人類の歴史は大きな転換期を迎えている」という言葉を最近よく聞きます。これはどういう意味だろうかと考えます。
弱肉強食、適者生存は生物界における鉄則だと言われます。そのきびしい現実を私たちは日々目にしています。生物の一種である人類の歴史においても、長い間、民衆は弱きものとして、 一握りの権力者たちの踏み台となって、下積みの生活を強いられてきました。時には明るい明日など望みようのない辛い日々でした。ところが近年、民衆は結束によって大きな力を発揮できることを学び、歴史の表舞台に姿を現し、主役を演じ始めるようになりました。
   まだまだ萌芽とジグザグの段階に過ぎませんが、その主役を演じる民衆の目線の先には、「支え合う社会」の実現という新しい壮大な価値観の創出を目指しているように感じます。これこそ、「人類の歴史は大きな転換期を迎えている」という言葉の意味ではないでしょうか。そして、この転換を推し進めるエネルギーこそ、「個の確立」ではないかと思われます。
   こうした視点に立って、私たちが生きることの意味を改めて考え、「個の確立」という点に軸足をおいて、これまでの多くの先人たちが、この重い課題と悩みながら苦闘し、どう向き合ってきたかに学びたいというのが本書の趣旨です。
  本来ならば、教え子達が恩師を心配するのであろうが、全く逆である。本当に素晴らしい先生である。又、読み終えたら、紹介したい。

2013年9月9日月曜日

寄り添いと共感


斉藤環氏の文章の最後の部分「あわりに」を紹介する。
   おわりに
さまざまな喪失感があるなかでも、いま私がもっとも懸念しているのは、福島県の人々のそれだ。原発事故によって医療資源が不足しつつあることももちろん問題だ。しかしそれ以上に、いまや「放射能」が人々の喪失感を宙吊りにしているように思われるからだ。
「宙吊り」とは、どういうことだろうか。
   福島では、原発周辺の住民は、たとえ土地や家が無傷であっても避難を強いられた。眼に見えない放射性物質は、人間の住めない広大な土地をもたらした。それは果たして決定的に失われたのか。あるいは除染を繰り返すことで、いつかは取り戻すことができるのか、いまだそれすらもはっきりしない。とどまるべきか避難すべきか、故郷を捨てるべきか帰るべきか、その迷いと葛藤が多大なストレスをもたらしている。この種のストレスは、日本人がこれまで経験したことのないタイプの「喪失感」に由来する。
   いわゆる低線量被曝の問題も、人々のこころを迷わせる。わずかな放射線も危険であるとして、福島にとどまり続ける当事者を批判する人。低線量被曝が人体に有害であるという医学的根拠はないと安全性を強調して、御用学者と叩かれる人。いずれも善意であるがゆえに対話にならず、感情的な対立だけが深まっている。ここにも当事者を置き去りにした、不毛な言語ゲームが繰り返されている。
   しかし、あえて言えば、いまなされるべきは当事者の啓蒙や説得などではない。
   被災者の喪失感に照準し、当事者の主体性を最大限に尊重すること。相手に寄り添い共感する姿勢のもとで、対話の試みを続けること。われわれはあくまでも、福島から学ぶ立場であることを忘れないこと。
   私もまた、学ぶものの一人として、当事者の声と喪失感情のゆくえを見守っていきたい。 
   我々に、今できることはなにか。被災者の心に寄り添い、現地に足を運び、忘れないことではなかろうか。

2013年9月7日土曜日

こころの喪失感


雑誌KOTOBAの特集で「死を想う」の中で、精神科医の斉藤環氏は以下の文章を記している。
愛する人を失うということ
震災がもたらした、こころの喪失感
   かけがえのない人を失ったとき、人は長期にわたり想像を絶する悲嘆の日々を生きる。自身も医療ボランティアとして被災者たちの「こころのケア」にあたった精神科医は、かつて日本人が経験したことのない「喪失感」に被災者たちが苦悩しているという。
斎藤環 
   東日本大震災から一年が過ぎた。かつてないほど長一年だったと感じているのは、私一人ではないだろう。
   個人的には「震災前」と「震災後」で、はっきりと時間が分断された思いがある。とりわけ震災以前の記憶は、決定的に失われた、彼方の記憶という色調をうっすらと帯びはじめている。私自身の被災はごく軽微なものだったが、それでもそうした感覚があるのだ。実際に家を失い、家族や友人を失った人々の思いはいかばかりだっただろうか。 
   災害は、人のこころを深く傷つける。当たり前、と思われるだろうか。しかし、この事実が広く認識されるようになったのは、ごく最近のことなのだ。
   一九九五年の阪神・淡路大震災以降、被災した人たちの「こころのケア」が注目されるようになった。「トラウマ(心的外傷)」や「PTSD (心的外傷後ストレス障害)」などの言葉が一般に語られるようになり、災害が起きると現地に「こころのケアチーム」が派遣される機会も増えた。
   東日本大震災においても、震災発生直後から全国の自治体や大学、学会などが精神科医を中心とする「こころのケアチーム」を被災地に派遣し、支援にあたっている。今回の震災で、こぅした対応がかなり迅速になされた点は、わが国の「こころのケア」の進歩のあかしとして、高く評価したい。
   ところで、現地入りした多くの「こころのケアチーム」はPTSDを中心とするこころの問題が多発することを予想して支援の計画を立てていた。しかし実際に行ってみると、現地ではそうした訴えがほとんど聞かれなかったという。
   宮城県の被災地を訪問した臨床心理士の報告によれば、避難所を訪問しても「こころのケアチーム」であるとわかると、「私には関係ない」と言わんばかりの態度をとる人が多かったとのことだ。この点は私自身も、昨年七月に医療ボランティアで岩手の被災地に行ったおりに、同じような印象を持った。
   これはどういうことか。噂に聞くように、これが「東北人のがまん強さ」というものだろうか。私自身、東北出身でありながら、いまひとつよくわからなかった。
   確かに多くの被災者は、辛さを簡単に口にしない。しばしば開かれたのは「もっと大変な人がいるから」という言葉だ。これらの言葉はがまん強さというよりも、辛さや苦しさを自分だけ訴えるのは憚れるという、周囲への配慮に思えてならなかった。
   だから私は、避難所で話を開く時、血圧計と聴診器を持参した。「なにかお困りのことは?」と問われても「大丈夫」としか答えない人たちも、「血圧測りませんか?」と尋ねればだいたい応じてくれた。
ゆっくり血圧を測りながら話を開いていくと、避難所の生活の大変さや苦労について少しずつ語りはじめる人が結構いる。話し終わって「また来てくれるんですか?」と聞かれるのはつらかったが、これでわかった。確かにみんながまんはしているが、本当に「大丈夫」なわけではない。被災して平気なわけがないのだ。ただ、表し方が違うだけなのだ。
   これは大きくみれば“文化の違い”なのかもしれない。たとえば同じ戦争体験でも、アメリカ軍の兵士のほうがイギリス軍の兵士よりもPTSDになりやすいという研究がある。辛い経験をどんなふうに受けとめ、それをどう表現するかということは、文化や風土に深く根ざした問題でもあるのだ。
   喪失には量的喪失と、質的喪失があると言う。「量」とは物、「質」とはこころの問題であろう。